夢と死者、薄皮のめくれたふち

夢と死者、薄皮のめくれたふち

 僕は夢の中でなものを視た。


 そのために、自分なりに夢について調べたり、心理学を学んだりもした。


 今回はそんな、夢について語ってみようと思う。




 例えば高校三年生のころ、こんな夢を見た。


 朝方に、父方で農家を営む伯父が米袋を担いで、家にやってくるという夢だ。さっそく僕が母に伝えると、


「へえー、妙な夢を見るだねえ」


 と言われた。


 その日、僕が学校から帰ってくると、母は目を丸くして言った。


「コウ、きょうね、本当におじさんが来たに! あんた、なんか聞いてたの?」

「え? いや、しらないよ。とにかく、夢で見たんだって」


 そういうことって、たまにあるのだと思う。


 この世の中はなかなかに不条理で、わけのわからないことがおきる。往々にして。


 拙作の『水玉と青いサカナ』の中で、『薄皮のめくれたふち』という詩でも僕は書いている。


 薄皮を一枚めくると、この世の中の不条理と悪意と奇跡が渦巻いている。


 その薄皮のめくれたふちに、本当の世界があるんじゃないかって。


 ――ときどきそう思うことがある。




 それに例えば。


 この『僕の奇妙な冒険』の頭のほうで出てきた父の話がある。


 父が悪運によって亡くなったとき、母は夢の中で、父の霊が苦しんでいるのを見たという。


 ――そう、母もなかなかに『薄皮』をめくる力があるのかもしれない。


 先日故郷に戻ったときも、母はそのときの話をした。


 家に葬儀の白い祭壇を設け、床には父の遺骸が置いてある状況で、母は椅子に座って夢現にしていた。


 父の霊はそんな母にすがり、こんなことを何度も何度も言ったらしい。


「おい、おっかあよぅ。おりゃぁ、どうなっただいなぁ。いったい、どうなっただいなぁ。助けてくりょお。なあ、おっかあよぅ……。どうも、変だで……」


 本当に困惑した、泣きそうな声だったという。


 そのとき母は、なにかの本で学んだ知識を活用した。


「あんた! あんたは死んだだよ! 死んだだでね! もう、出てきちゃいかんだよ! だめ!」


 そう叱った。叱らなければだめなのだ。死を知らしめないと、霊をよけいに惑わせて、苦しめてしまう。


 そんなときに母は、編笠をかぶった、白い装束の人々を見た。


 ――あとで分かったのだが、その装束は父の故郷で昔に使われていた装束だった。


 父の迎えがきたのだ。


 それで父は迷わず昇天してくれればよかったのだが、実はそうも行かなかった。


 父は一度は納得して『お迎え』に従って『あの世』へ行ったようだった。


 しかしそれから後日、父の実家に住む伯母にこんなことを言われた。


「お父さんね、たまに、うちの台所に、来てるよ。ずっと黙って。懐かしそうに……」


 伯母には霊感があり、視る力があった。


 この話を思い出すとき、僕は『葬儀とはだれのために行うのか』と考える。


 一般には、『葬儀とは、残された者たちが心の整理をするためにおこなう』とする場合があるだろう。


 でも僕は、『葬儀とは、死者に死を知らしめ、導くためにおこなう』のではないか思う。ある意味であたりまえのことかもしれないが……。




 あとは、こんな話もある。


 さきほどの、伯父が米袋を担いでくる夢に似ているが。


 僕はある日、父方の祖母を夢に見た。


 祖母はどこか寂しそうに、真っ暗な中でぽつんと立っている。


 そして右手を振って、遠ざかっていく。


 まるで、「コウ、今までありがとう。元気でね」なんて言うみたいに。


 その夢は、正夢の雰囲気をまとっていた。僕は母に伝えた。


「ねえ、父さんのほうのお婆ちゃん、お別れにきたよ」


 すると、「縁起でもないこと、言うのやめて」と母に文句を言われた。


 たしかに、父方の伯父などから、祖母の調子が悪い、とかの連絡もないようだ。



 さて、人間の魂はどこにあるのだろう?


 喋ったり食べたり、歩いたりする人間がいるとして。それだけでその人は、本当に生きていると言えるのだろうか?



 ――僕が祖母の夢を見た二日後、案の定、伯父から電話があった。


 その電話によると、祖母は数日前から急に認知症が悪化し、なにもわからなくなってしまったらしい。


 そこで僕はお別れを言う祖母の姿を思い出して、こんなことを思った。


 もしかしたら、霊というか、心の大部分は、あのときに旅立ってしまったのかもしれない、などと。


 認知症というのは、人間にとってなにを意味するのだろう?




 最後にもうひとつ。これは、書くべきかを迷うところがある。


 僕には高校のときに仲のよかったTという友人がいた。


 Tは人の良い明るいやつだったが、まじめすぎるところがあった。


 社会人になってから久々に会ったとき、どうにも疲れている様子だった。


 そのとき僕は居酒屋で、Tが語ってくれたことを憶えている。


「俺さ、実は、馬鹿なんだ」

「馬鹿? 馬鹿ってなに?」

「俺……。自分で手首を切ってさ。運ばれたんだ……。だから、馬鹿なんだ」


 そう言って、Tは自分の手首をじっと見た。


 それから僕は何度かTと会って、励まそうと連れ回したりしたが、そのうち疎遠になった。


 やがて五年ほど経ってから、僕はある生々しい夢を見た。


 Tが夢の中で、懐かしそうに、親しそうに立っていた。


 暗闇の中で、しょんぼりとして、僕にさよならを告げる感じだった。



 ――なんて夢だ。


 その夢を見た日中に、僕はTに電話をかけた。しかし、『現在利用されていません』だった。


 故郷の友人に連絡をとってTのことを尋ねたが、Tがどこでなにをしているのか、だれも知らないという。


 もし、Tに不運があったり、自らの運命に始末をつけるようなことがあったのだとしたら……。


 まあこの夢に関しては、いまだに答え合わせができていない。たんなる、くだらない思い過ごしであったらと願っている。




 さて、ほかにも夢の話はあるが、今回はこれくらいにしておこう。




 夢とは狭間の世界の入り口であって、『薄皮のめくれたふち』を覗ける、稀有な領域なのだろう。


 あなたも、朝方の気になる夢を記憶していたら、その内容について考えてみるといい。


 そこに、普段では気づかない、不思議な縁や予兆を見つけるかもしれない。


 ――ふちを覗くことを、望むのだとすれば。

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