父のこと 後編
『家』に関わる仕事は、厄介な因縁がつきまとうことがある。
父が関わった最後の仕事は、静岡県H市の北部にある、田舎町の現場だった。老朽化した屋根を全部張り替える、というものだった。
父は二人の職人を雇い、父を含め三人でその現場にかかっていた。
まずはじめに異変が起きたのは、職人のうち一方の、Sさんの方だ。僕も何度か話をしたことがあるSさんは調子のいい陽気な人で、猿顔の人だった。父とは以前から友人で、家族ぐるみでの付き合いもあった。
ある日父が晩酌のビールを飲んでいるとき、ほろ酔いした赤い顔を曇らせて言った。
「そういやな、コウ。Sさんっているら?」
僕がうなずくと父はコップを置いて、
「Sさんなァ。怪我しただよ」
「え? 怪我?」
「そう。トラックが崖から落ちてなァ。昨日、現場からの帰りに、峠を降りてるときに。ガードレールの切れ目から、スルゥ、ってなァ」
「……え、大丈夫なの?」
「運ばれて入院してるけえが。まだ意識がないだよ」
実は僕はそのとき、もっと前に母が言っていた話を思いだした。
母が父に聞いた話によると、どうやら、同じ現場で働く、別のところから来ている職人が、交通事故で来れなくなったのだという。
それにこんな話もある。
施工のために屋根をはがしたとき、屋根裏に、妙な神棚みたいなものが出てきたのだという。また、この神棚がある理由は、施主も知らなかったらしい。
翌日、Sさんは意識が戻らないまま亡くなった。
さらに、父の元で働いていた、もうひとりの職人のFさんにも異変があった。
Fさんは、父が建築関係の仕事をはじめてから知り合った、プロレスラーのような大きな人で、僕も何度か会ったことがある。
そのFさんは、現場で、急に落ちてきた瓦に当たって、頭を怪我した。それからFさんはもう、怖がってその現場にはこなくなった。
ある夜、母は父にこんなことを言った。僕は二階から、床に耳をあて、こっそりとその居間での会話を聞いていた。
「もう、あの現場やめたら? おかしいに、絶対」
しばらく間があってから、父は言った。
「やるしかないだよ。食ってかにゃいかんで……」
そして、その週の土曜日、父は物言わぬ姿になって帰ってきた。父らしい、因業な最期だった。
愛人を連れてヨット遊びをしていたとき、愛人が海に転落したのだという。そこで父は、愛人を助けに海へ飛び込んだ。
それで父は溺れて死んだ。馬鹿な話だ。
家族を裏切って、馬鹿な最期を遂げた父を、僕は、死んで当然の人間だと思う。けれど、その父の苦しみのために泣くこともあった。
人は矛盾している。悲しいほどに。
僕はこの事故について考えるとき、人の業と、その報いについて思う。
父は心のどこかで、罰せられることを望んでいたのかもしれない。その想いが、事故を引き寄せたのかもしれない。――いや、それは美化しすぎだろうか。それか、もしかしたら、生まれる前からの因縁や宿命があったのかもしれない。
いまとなっては、それらを知るすべはない。僕らはただ、薄い暗がりの中を、笑ったふりをして歩いていくだけだ。
そもそも。父の死の原因が、呪われた現場のせいかはわからない。たんなる偶然で、奇妙な事故が続いただけなのかもしれない。
それならそれで、結構なことだ。
とはいえ、人は不条理に耐えられるほど強くはない。『呪いや祟り』みたいな説明でも、それがあることで精神衛生上、効果的な場合もある。理由というものは、それだけで価値がある。
父の葬式から後日、母はこう言った。
「お父さんねェ。悪いものを、全部持って、先祖の人に、連れて行ってもらったよ」
それは、葬儀からおよそ四十九日が経った日のことだった。
実は僕も、父の気配が消えたことを、少し感じていた。死んでから四十九日後に、父の気配が消えた。それが実感としてあった気がする。
母の話によると、夢の中で父が、先祖らしき人に連れられて、遠くに歩いて行ったらしい。また、その先祖らしき人は、山折りになった編笠をかぶっていた。その編笠は、父の実家の地方で、古くに使われていたものらしい。
さらに後日、父の実家に住む叔母は、こうも言った。
「お父さんね、たまに、うちの台所に、来てるよ。ずっと黙って。懐かしそうに……」
ということは、すぐには成仏できなかったのかもしれない。
とにかく、現実なんてものは混沌としており、生と死はテキーラ・サンライズの中のテキーラとオレンジジュースのように混じり合い、複雑な赤味を帯びている。
僕は常にテキーラに酔っていたい。いや、誰しもが酩酊を必要としているはずだ。こんな不条理な世界では。
いったんここまでだ。
父のことについても、本当はまだ、語りきれていないが、いまはここまでで十分だ。
〜父のこと〜 終り
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