言の葉と燃ゆ。

見咲影弥

本編

 「儀式をしよう」


彼は言った。クーラーの効いた部室の中で。彼と私の二人きりの時。儀式に参加するのはこれで何回目になるだろう。思えばかなりの頻度で行ってきた。けれど、この関係にも終わりが肉薄していた。


彼とは1年の頃からの友人だ。文芸部所属、小説家を目指す同志。初めはただそれだけの関係だった。だけど、儀式に参加したことをきっかけに、私の彼に対する思いは深まっていった。


総ては一昨年の夏から始まった。


私が、校舎裏で彼の火遊びを目撃したところから――。


 *

 夏の補習が終わった放課後。彼は独り、人気のない校舎裏に入っていった。普通に通りかかるだけじゃ、大型設備のせいで死角になってしまうところ。何をしているんだろうとほんの少し好奇心を抱いて彼の様子を覗き見ることにしたのだ。すると、しゅっと何かがこすれる音がして彼の手元が明るくなった。少し遅れて彼が火をつけたことに気づいた。


「ちょっと、何してるのよ!」


私は慌てて火を消そうと駆け寄った。彼が驚いた顔をこちらに向け、すぐに片手で制すも、その逞しい腕を撥ね除けて私は見た。小さな炎が彼の足元にあって、煙を燻らせていた。いけない、そう思って私は火を踏み消そうとした。


「消すなっ」


彼が今まで聞いたことのないような声で私に叫んだ。あまりにも鬼気迫っていたので、私は慄き、一歩引いた。


「邪魔、しないでくれ」


彼はそう呟いて、私に去るように言った。それでも、私はしつこく追求した。


「何してるんですか」


「理科の実験だよ」


バレバレな嘘だ。あからさまに視線を逸らすし、第一こんな隠れた所で行う必要がない。静寂の中、パチパチと火の粉の音だけがした。その火元を見て、私はもしかして、と彼の方を見やった。


「原稿、燃やしてるの?」


万年筆で書かれた彼の文字の、小説の破片が夏の風に乗って舞い上がった。


「儀式だよ、これは」


ようやく彼が本当のことを話した。


「ある種供養のようなものだ。生み出したものをまた元に還してる、それだけだ」


意味が分からなかった。


「どういう意味、それ」


「そのままの意味さ。自分が書いた小説を責任を持って燃やしてるのさ」


やっぱり、彼が言い換えても私には理解しかねる内容だった。訳分かんないと言うと、彼はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「僕も君と同じように小説を書いてるんだ。それで、公募に応募したけど、見事に一次で落とされちまったんだ。仕方ないから燃やしてるってわけ」


「重要なところを端折らないでよ。燃やすまでの過程が気になるんだけど」


「君も同じ物書きなら分かるだろ。認めてもらえなかったものをこの世から消してしまいたいって気持ちくらい」


「……分からなくもない。だけどさ、そこからどうして原稿を燃やすことになるわけ?飛躍しすぎでしょ」


「だから、それを儀式と言うんだよ、言葉を地に還すための。生み出したもの総てを灰にして地に還す。言葉を、小説を一度崩すんだ」


例えばさ、と彼は話を続けた。


「三日悩んで考えた主人公の決め台詞があったとする。一言考えるのにそれだけ悩んだものを簡単に捨てられるかい?無理だろうね。少なくとも僕には出来なかった。気づけば、その言葉に囚われてしまうんだ。その文句以外に、新しい文章を生み出せなくなってしまう。たとえそれが世間から認められなくとも、その文句を素晴らしいと思い込んだままの僕は言葉に固執してしまう。だから、僕は燃やすということによって、言葉の死をつくった。燃やしてしまえば生き返りはしない。そういうことにしたのさ。僕の中での決め事だよ。踏ん切りをつけるための儀式さ」


そう一続きに述べて、彼はまた原稿を数枚破って火に焚べた。赤が沢山入ったツギハギの原稿に火が移り、瞬く間に燃え広がった。彼は手書きにこだわっていた。一度書いて、また赤で訂正して、時には原稿用紙を切り貼りして作り上げた下書き。創作に賭ける思いが詰まった原稿だった。やっぱり、私には理解できなかった。必死に努力してきた証を燃やすという行為が。でも、分からないから、俄然興味が湧いた。


「私も、儀式に参加していい?」


彼はやや戸惑いを見せたが、最終的には柔らかな笑みを浮かべ承諾した。


 私は早速部室から一篇、プリントした小説を持ってきた。私の処女作だ。筆名を考えてから最初に書いたもの。思い出深い、けれど呪縛になっていたもの。気づけば、似たりよったりの作品ばかりになってしまっていたから。だから、これを燃やして、私も形から脱却しよう、そう思ったのだ。


「これ、燃やしたい」


と彼に差し出した。彼はプリントしたものを受け取ると、これは読んだことないタイトルだ、と言ってページをめくり出した。読まないでよ、と急いで取り返す。ごめんごめんと彼は笑いながら言った。それから、炎を指さして


「君も、さあ」


と促した。小説を炎の先に近づけるとちりちりと音がして、紙が火がついて黒くなった。あまりにも火が回るのが早くって、驚いて手を離す。こらこら、と彼が小説を摘み上げて炎の中に投げ込んでくれた。私の小説は勢いよく燃え上がった。私の思い出が燃えてゆく。少し、後悔した。容量がいっぱいになった時に元データは削除してしまった。この小説を書いたという証は、このプリントだけだったのだ。それを燃やしてしまった。言葉が跡形もなく消えてゆく。総てが同じ灰になってゆく。でも、それでもいいんだ、とその時思ってしまった。生み出した言葉は消えた。私はまた新しい言葉を創造することができる。過去に囚われず、自由に言葉を操ることができる。そう考えると、何だか心が軽くなった。


「いいじゃん、儀式」


と言うと、彼は、なんで上から目線なんだよ、と言って艷やかな唇の端を緩ませた。その優しい笑顔を見ていると、呼吸が浅くなる。


 それが恋煩いだと気づいたときには、もう遅かった。


 *

 儀式が始まった。


「今年も駄目だったんだ」


彼は力なく笑った。酷く弱々しくって、自嘲が込められたものだった。見てられないと思ってしまった。2年前と比べて、彼は明らかに衰弱しているようだった。あれほど逞しかった腕はすっかり細くなってしまっている。禄に食べてないんだろうというのは容易に想像できた。それが精神の病によるものだということも分かった。


 一度彼のために弁当を作ったことがあった。だけど、彼はもったいないと言って食べてくれなかった。


「最近、食っても全部吐いちまうんだ。君の厚意を無駄にしてしまってごめんよ。ほんとに、ごめん」


弁当箱を返された時、吐きだこのできた指が見えた。私にできることはないのか、そう思って色々試してみたけれど、彼は優しい笑顔のまま首を横に振るだけだった。



 彼はマッチを擦って原稿を千切った山に投げ入れた。じゅわっと紙に火がつき、勢いよく燃え上がる。


「今年は、今まで以上にたくさん書いたんだ。今年こそはって思ってね。ここにある原稿以外にも家に山程置いてある。総てを賭して書いたつもりだったんだけど」


炎を見つめたまま、彼は言った。


「悉く落選した。やはり僕は小説家に向いていないらしい。いくら燃やしても、生き返らせてしまう。結局抜け出せない泥沼をつくっているみたいだから」


儀式ももう終わりにするよ、と彼は言った。私はただじっと彼を見つめることしか出来なかった。慰めとか、励ましとかも今の彼には通用しないのだろうと思ったから。それがかえって彼の心を抉ってしまうのではないか、そんな気がしたのだ。


「ごめんね、弱いところばかり見せて。君には見られたくなかったんだけどな」


と泣き笑いを浮かべて、また原稿を火の中に入れる。こちらには顔を向けなかったけれど、啜り泣く音がした。


「ごめん。僕、もう無理だ」


そう言って彼は立ち上がった。それから、近くに置いていたバケツの水を思いっ切り火に被せた。あっと言う間に火は鎮火された。


「ごめん、自分勝手で。今日はもう、終わりにしようか」


シャツの肩で涙を拭った後、彼はそう言って私の方を向いた。


「僕のくだらない遊びに付き合ってくれて、ありがとう」


それが、悲嘆に暮れた青年の最期の姿だった。



彼はその晩自宅に火をつけて、彼が生み出した数多の言葉とともに心中した。



緊急集会で、彼の死の報せを聞いた。ニュースでは自殺であったために身元が隠されていたのだ。私はその場に崩れ落ち、慟哭した。気づいていた。気づいていたのに、止められなかった。私は何も出来なかった。後悔と悲しみ、何もかもが溢れ出して、止まらなかった。


 *

 彼は1年の頃からの友人だった、文芸に真摯に向き合う同志として。彼は私を文芸部に快く迎え入れてくれた、文芸部顧問として。そう、私達は教師と生徒。私ははなから釣り合わない相手に恋してしまったのだ。


 彼はフレンドリーな先生で、生徒のタメ口も良しとする人だった。それは私だけが特別というわけではなくって、皆に対してだった。私は彼の特別が欲しかった。だから、私は彼と儀式をした。二人だけの特別な儀式。それがまさかこんな結末を迎えるなんて、思いもしなかった。彼は自分の肉体までも儀式に差し出し、総てを地に還したのだ。


私が儀式を止めておけば、自惚れなければ、この禁断の恋が叶うと思わなければ、彼は生きていたのだろうか。


後悔しても、もう遅い。総ては灰になってしまった。残るは、私のこの思いだけだ。


校舎裏にて。私は独り立っている。もう隣に彼はいない。あの優しい笑顔を見ることは二度と叶わない。だから――


握りしめた便箋を見遣る。何十枚にも渡って書いた彼への恋心。彼が傍にいたら、重いと笑われるかもしれない。それを地面一体にばら撒いた。私は彼に宛てた言の葉たちの真ん中に立つ。ひとつ残らず燃やし尽くす。胸ポケットからマッチを取り出し、彼のように手際よく火をつけた。


指先の力を緩めると、マッチはゆっくりと落ちてゆく――。



さあ、儀式を始めましょう。


【了】



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言の葉と燃ゆ。 見咲影弥 @shadow128

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