Rp.5・第四の女

「ねえ、ぼさっと突っ立ってたら、電車、出ちゃうよ?」

楓の言葉に促され、大樹は車内に乗り込んだ。湾岸方面に向かう電車で、ここからは30分程度で到着するはずである。


「あーあ、あたし、招かれざる客だったかなあ。あたしは久しぶりにみんなに会えるから楽しみにしてたのになあ」

4人が向かい合って座るボックス席で、楓の大きな独り言が静寂を破る。白い襟の紺色ブラウス、下はベージュのキュロットスカートを履いていた。動きやすさ重視はのえる同様だが、女子力の高さがうかがえる。

「は…はなみん、そんなことないて。ウチ、楽しみやったで?」

焦ったようにのえるが言う。

「あ、嬉しい。そんな事言ってくれるのはのえるだけね。元カレなんて目も合わせてくれないし」

大樹の隣で窓の外を見ていた悠星がびくっと体を震わせる。

「カッシー、昨日ウチが言うたときは全然反対してなかったやろ、な?」

いったいどちらに向かって話しているのか、楓と悠星を交互に見ながら言う。

「ま…まあ、俺が反対する筋合いはないからな。」

悠星にしては珍しく歯切れが悪い。

「さ、ささっちも、はなみんと知り合いやったなんて、ごっつい偶然やんなあ。ウチ、びっくりやわ」あはは、と愛想笑いをしながら大樹にも、と話題を振る。

「――佐々岡だから『ささっち』なんだよね。のえるのあだ名付けるクセって、変わってないなあ。」

大樹に向けられる、人を食ったような笑顔も昔と全く変わっていない。

「―――俺の苗字、知ってたのか」

初めて大樹が口を開いた。

「そりゃね。だってお菓子の箱に書いてあったもん」

楓は両の人差し指で四角を空中に描く。大樹はしばらく考え、お見舞いのときの菓子折りだと思い当たった。

「ヒロ、うちに来たとき表札見なかったの?」

「読めなかったんだよ。下の『見る』しか。」

小学4年生当時の大樹には、仕方ないことだった。

「へ、へえ、ささっち、はなみんの家に行ったことがあんねや」

なぜかのえるが動揺を見せる。

――はなみん、か…

大樹はため息をついた。まさかそれがが苗字の端見(はなみ)由来だとは思いもしなかったのだ。なぜ『かえでん』にしてくれなかったのか、あとでじっくり説教する必要がある。

「――小学校のときに一回だけな。カエデ、この2人はどこまで知ってるんだ?」

「そんな怖い顔で言わないでよ」わざとらしく両肩を抱いて楓が答える。「悠にはある程度話してるけど、のえるにはほとんど何も言ってないよ」


ふと、悠星に出会った時を思い出す。そう言えば、初対面なのになぜか大樹のことを知っているような口ぶりだった。

「ああ……、じゃあ最初から知ってたのか、悠星」

大樹は先ほどから気配を消している男をじっと睨んだ。

「いや、そんな目で見んなや。俺だって振られた元カノの話とかしたくないわ」

悠星が言い訳をするような口調で答えた。

「そうよ、ヒロ、悠をいじめちゃダメよ。だいたい、被害者はあたしなんだから」

「う……」大樹は絶句する。

「え?はなみん、ささっちに何かされたん?」

「そう。ひどい男なのよ、こいつ。あたしを傷ものにして逃げてったの」

びっ!と人差し指を大樹に突きつける。

「ウソやん……」のえるの眼から、みるみる光が失われてゆく。

「なんて言い方するんだ」大樹は苦い顔をする。

「嘘はついてないけどー?」

楽しそうに体を左右に揺らしながら、くすくすと楓が笑った。まるで徹夜明けのようなテンションだが、あるいはこれが素の状態なのか。

「まあ、それもそうだけど…」

良い機会かも知れない、大樹はそう思うことにした。

「その節はろくにお詫びもできず、本当に申し訳ございませんでした。」

そう言って深々と正面の少女に頭を下げる。

「ほ、ほんまやったんや…」

もはや全身が燃え尽きた灰のようだ。が、のえるのリアクションが大げさなのはいつもの事だ。

「あ、ちゃんと覚えてたんだねー。えらいえらい」

下げた頭のさらに下に潜り込むようにして、楓は大樹の顔を覗き込もうとする。うっとうしいことこの上なかった。

「そりゃ忘れるわけないだろ。」

大樹は楓の顔から逃げるように体を起こす。

「そう?あの後あたし、何度か河川敷に試合を見に行ったんだからね。ヒロ来なかったじゃない」

楓はとがめるような視線を投げかけた。

「まあ…さすがになぁ。うちの親からすっごい叱られたし、サッカーはあれ以降ほとんどやってないよ」

「そっか…」ふっと楓の目が伏せられる。「ま、あたしもね、親に禁止令出されちゃってさ。」

「そうだったのか。…でも、もう二度と会えないかも知れないって思ってたよ」

大樹の口調がしみじみしたものになった。

「ふふっ、デパートのときは逃げてったくせに。でも、あたしはそのうちいずれ、って思ってたよ。朋学館で似てる人がいる、って悠が言ってたから。ね、悠?」

「あ…あー、まあな。名前も佐々岡やったし、そうやないかとは思ったんや」

「あのー、ウチ、まだよう分かってないねんけど。ささっちは、はなみんとサッカーしててケガさせた、ってこと?」

いつの間にか一命を取りとめていたようだ。

「そうそう。あたしも転んでたまるか、って意地張って、結局アバラを折るくらい派手にころんじゃったのよねえ」

おかしそうに楓が説明する。

「ええ…えらいケガやん、はなみん大丈夫なん?」

今さらながら心配そうにのえるが言った。

「小学生のときの話よ。あんたの横でピンピンしてるでしょ」

さすがの楓も苦笑いしながら答える。

「で、あんたたち3人はいつの間に仲良くなってたの?あたしがのえるから『ささっち』の話を聞いたのは昨日が初めてだったんだけど」

楓は3人を見回すように尋ねた。

「ああ、だいたい2週間前かな」大樹が答える。

「え…そうなの、悠?」

信じられないといった口調で元カレに確認した。

「おう、そんなもんやな」

「ほんまやで、はなみん」のえるも相槌を打つ。

「ふうん…なんかずいぶん長いこと一緒にいる雰囲気だけど」

驚いたように楓が言った。


「――もしそう見えるなら、カエデのおかげかもな」

この3人が出会うための準備を、楓は知らないうちに整えてくれていたのではないか。ならばおおいに楓に感謝しなければならない。そう思った大樹は、初めて微笑を浮かべた。

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