第2話
「杏、体調どう?さっきの子、嫌な感じだったね。」
私はなるべく、この子の機嫌を損ねないように、努めて冷静に話しかけたつもりだった。
けれど、「お母さん…!」と、何も言い切らず、舌っ足らずな言葉で私のことを呼び、そして震えながら部屋へ帰った。
私は、自分が高校生だった頃のことを思い浮かべる。
私は、優等生だった。
そう、絵にかいたような優等生、何か、私はしっかりしなくていけない、という錯覚を持っていた。というか、その頃まではそれ以外にするべきことが見当たらなかったのだ。けれど、大学に進学しようと決めていた矢先、私は両親の反対を押し切り、唐突に美容師になることを決意した。
それから、私の人生は私の舵の元に進んでいくような感覚がはっきりとあった。これが大人になることなのかと、高揚したことさえあった。
そして、その結末が、これ。
私はでも、自分が今に不満足なのかどうかすらよく分からない。
美容師になり、10年程たち、少しばかりの虚しさが体中を覆っていることには気づいていたけれど、でもまさか、あんなに好きな人に出会うなんて思ってもみなかったのだ。
それまでも、多くの男性とともに生きていた。
付き合ったこともあるし、同棲したこともある、結婚間近まで行ったこともあるが、その時はその人にほかに好きな人ができてしまい、破談になった。
が、そんなこんなで、特に誰かに執着したいという欲望もなく、なんとなく人生に満足していたというのに、私はある日出会った彼が、欲しくて欲しくてたまらなかった。
けれど、彼には子供がいて、その子が、この子、杏だった。
「はあ…。」
この前駅前のデパートで買ってきた紅茶を飲みながら、私はため息をついている。
杏のことは、本当はよく分からない。すごく、好きな人の子供であるはずなのに、私はこの子のことを愛することができない。
どうしてだろう、どうして、そんなことが起こってしまうのだろう。
私は、いつも分かっていない。
本当は分かった気になって、笑ってしまいたいことの方が、理解からは程遠いのだと知っている。
「ただいま、帰ったよ。」
穏やかな声を上げ、部屋に入ってくる彼は、今見ても毎日、ため息をつきたくなるほど好きな、男だった。
「おかえり。杏、お父さん帰ったよ。」
私は杏に声をかける。
気難しい子ではあるけれど、そうなのだ、この人にとても良く似ている。弱くて、でもそこが可愛くて、そういう所が似ているのに、私はもしかして、この子に嫉妬しているのだろうか。
きっと、子供以上にはなれない。
夫は杏のことを愛していた。
そして、本当は私のことを愛してなどいないということは、何度も思った。
けれど私は今が幸せだった。
疎まれようが何だろうが、私はこの子を娘としてずっと面倒を見ていくのだろうと予感していた。
たとえ、嫌われていても。
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