鬼人エリザベート

「いたたたたっ」


 床に身体を打ち付け、転がって道場内に入った私の瞳に最初に映ったもの。


 はい?


 それは遠くで力なく正座しうなだれる悲し気なオーフェン、そして武道場の床に屍の様に転がり、ぼこぼこにされ確実に気絶しているビヨンド、ミューナ、アシスタントプランナーの女の子達、その無残な姿だった。


 なんなのこれ! 戦場? ここは戦場なの!


 ダァァ――――ン!


 突如、四つん這いになっている私の目の前の床に、鞘に入った剣が落雷の如く真っ直ぐに激しく叩きつけられた。


「ひぃぃぃいいいいいいいいい!」


 悲鳴を上げる私の眼前には、殺気を帯びて立っている足が見えた。と言うか足すら怖い。間違いなく仁王立ちしていらっしゃるエリザベート奥様だが、もう怖くて顔があげられない。


「ルーニーが居ると言う事は、お前がシンデレラか! 嫁のくせに不作法にも程がある。この私に対して、最低限の礼も取れず、無様に転がり込んで来るとは言い度胸だな、ぶっ殺す!」


 物凄い殺意をまき散らし、側にいるだけでめっちゃ怖い、がくがくと全身の震えが止まらない。威圧感の塊だ、鬼だ、鬼姑がいる!


 とにかく、私は全身にシャワーの様な冷や汗をかきながら、急いでお義母様にご挨拶をしなければいけないと決意を固めた。そして幸いにも四つん這いだ。


 すぐさま姿勢を整え、全力で土下座をし、私は慎重かつ丁重な声を出した。


「お、お初にお目にかかります! わたくしはこの度、ご子息様でいらっしゃいますカミーユ様とご婚姻させて頂きましたシンデレラと申します。不束者でございますが、以後お見知りおきの程、お願い申し奉ります!」


 ダァァ――――ン!


「ひぃぃぃいいいいいいいいい!」


 再び私の視線の先である床に、激しく剣が叩きつけられた。

 凄まじい風圧を叩きつけられた私の前髪が、一気にオールバックになる。


「貴様に息子はやらん! 目障りだ、さっさとどっかにいけ、いや死ね!」

「ひぃいいいいいいいい! そ、そこをなんとかお願い致しますぅう!」


 ダァァ――――ン!

 ダァァ――――ン!

 ダァァ――――ン!


「ひぃいいいいいいいいいいいい!」


 怒りを滲ませ、豪剣が怒涛の勢いで烈火爆散の轟音をまき散らし、大地さえも殺す勢いで何度も床に叩きつけられた。


「くどい! 貴様に息子が幸せに出来るわけがない! やらんといったらやらん! さっさと出て行け、いや死ね!」

「か、必ず幸せにしてみせます! どうか息子様を私に下さい!」

「図々しいな、てめぇ、殺すぞ!」

「ひぃいいいいいいいいいいいいい!」


 怒髪天を衝く様な怒りの怒号に、私は最早気絶しそうだった。だがそんな恐怖と絶望の中、ふと私の脳裏にシスターアンヌの声が響く。


「いいですか、シンデレラ、今日は人を怒らせてしまった時のお話をしましょう。もし、あなたが人を怒らせてしまったらどうしますか?」

「えっ? 謝るしかないじゃないですか」

「おやおや、まったく空気が読めない子ですね、シンデレラ。怒っている人間が冷静に謝罪を受け入れてくれる、そんな愚かで自分に都合の良い考えは今日限りでお捨てなさい。謝罪とは相手を調子にのらせる悪手です。仮に怒りが解けても、それは許してくれているのではなく、勝ち負けを決めただけの行為。あなたの負けですよ、シンデレラ」

「で、でも、怒られると怖いし」

「シンデレラ、『でも』や『だって』を言う女は自分の価値を下げます。こちらも今日限りで慎みなさい」

「う~、だって、じゃない、えーと、じゃあ、どうすればいいんですか?」

「よろしい、お教えしましょう。怒っている人間に対して行なう事、それは『すっとぼける』事です。以前、私は八股をかけており、それがバレて殿方から激しく怒られ、責め立てられた事があります。愚かな男です。私は言ってやりました、『えーっ、何言ってるか、アンヌ、わっかんなーい』と。相手はさらに怒り続けますが関係ありません。どんな状況下であろうと、どんな不利な条件であろうと、都合の悪い事は全て『すっとぼける』のです。そうすれば相手が根負けします。いいですか、シンデレラ、常に『自分は正しい、間違った事をしていても、例え頭でわかっていても、自分は断固として間違ってない。誰が何と言おうと、私は決して落ち度を認めない、そんな私が好き♡』と、心を強く持つのです。逆境の時こそ、強き心を持つ。それが美しくもか弱き乙女の正しい心がけです。わかりましたね、シンデレラ。『すっとぼける』、大切な教えです。いつまでも美しき乙女でありなさい。神の御心のままに」


 いや、そんな乙女、感じ悪いから!


 当時の私はそう思ったけど、こうしてお義母様から理不尽に責め立てられ、進退窮まった状況でのシスターアンヌの言葉は、私に勇気をくれた! そうだ、心を強く持つんだ!


 私は意を決して叫んだ。


「お義母様!」


 ダァァ――――ン!


「誰がお前のかあちゃんだ! 殺すぞ!」

「あなたです! 私の話を聞いて下さい、いや、もう、何としても聞けや、このやろう!」

「なんだと、くそ生意気な! ぶっ殺すぞ!」


 私はビリビリと異様なまでに禍々しくも修羅の様な闘気が広がるのを感じながら、もう怖くて怖くて今だ顔を上げれないけど、それでも気合だけは入れて大声で叫んだ。


「私は弱い人間です!!!」

「はぁあ?」

「お仕事でも人生でも、失敗するし、落ち込むし、痩せ我慢して頑張っても、無理な時は無理! すぐ泣いちゃうし、愚痴も言うし、どうしたらいいかわからなくて途方にくれるし、誰かに八つ当たりしたくなるし、自己嫌悪で自分が嫌になるし、寂しくなって、弱って、しょんぼりして、ぼんやりして、逃げ出したくなる事なんてしょっちゅうです!」

「なんだそりゃ!」

「でもね、そんな私でも助けてくれるって、ガンバレって励ましてくれる人達がいます。だから私は頼ります! 強がって一人で生きて、なんでも孤独にどうにかしょうなんて考えない! 知り合って、仲良くなって、楽しくなって、ずっと一緒に笑っていたいって、そう思うたくさんの仲間がいて、私と言う弱い人間はやっと一人前になれるんです。だから、人に頼ります、助けてって言います。そうやって自分の全部をさらけ出して、それでもいいよ、大丈夫だよって言ってくれる人達の為に私は頑張れるんです! そしてその人達が困っていたら逆に全力で助けるし、元気づけるし、私に出来る事は全部してあげます! そうやって生きて来たんです、そうやって支え合って来たんです」

「ふん!」

「そんな弱い私はカミーユと結婚しました。そしてすごく怖いけどお義母さんに出逢いました。だから、私はお義母さんにも頼ります! お義母さんにも助けてもらいます。そしてそんなお義母さんを支えます!」

「……」

「だって、私、孤児だから、お義母さんって呼べる人、初めてだから! だから、だから、私と仲良くして下さい! 私と一緒に笑って下さい! カミーユとの事も認めて下さい! そして私に頼らせて下さい! 心からお願いします、お義母さん!!!」


 私は心の中の想いを一気に吐き出した。


 恥ずかしがる事なく、臆面もなく、初対面だけど、全部の気持ちをぶつけた。そしてなんだか胸が高まってしまって、涙が出て来た。悲しいとか、寂しいとか、ましてや怖いとか、そんなのじゃない。


 私はただ受け入れてもらいたいだけだった。


 駄々っ子みたいな、


 小さな子供みたいな、


 そんな我儘でやり場のない感情が、


 私の中をぐるぐるまわって、


 ただ、こんな自分を、


 ただ、弱い自分を、


 目の前のお義母さんって呼べる人に、


 受け入れて貰いたいだけだった。




「ぐすんっ……」


 すると、暫く黙っていたお義母さんから、呟く声が聞えた。


「…………、馬鹿だ、ぐすっ、あんた、馬鹿だな、こんちくしょう、ぐすっ、ううっ」


 突然の事だった。


 からんって音がして剣がほうり出され、土下座している私は背中からがばっと抱きつかれた。


「このやろう、てめぇ、何て事言うんだよ、ぐすんっ、私を泣かすんじゃねぇよ、馬鹿野郎。ううっ、わかったよ、わかった。別にもうカミーユとの結婚に関して、私は何にも言わねぇ、ぐすんっ、いいか、よく聞けよ、ぐすんっ。私はなぁ、全力でお前を応援してやんよ、いいか、この鬼人エリザベート様が全力だぞ、恩にきやがれ、馬鹿野郎、ぐすんっ。そしてなぁ、これだけは言っておくぞ、私を助けるなんざしなくていい、お前には助けてもらわなくていい、ぐすん、ううっ、なんでならなぁ、私はお前のお義母さんだからな! いいか、なんかあったら、すぐにかあちゃんに言うんだぞ、かあちゃんが全力でお前を守ってやるからな、いいな!」


 泣きながらお義母さんは、私にそう言ってくれた。


 嬉しかった


 もう涙で顔がぐちゃぐちゃだ。


 でも、嬉しい。


 ほんとに嬉しい、


 私にお義母さんが出来たんだ。





 私はたまらずに顔を上げて身体を起こした。


 目の前いる、私の大切な、大切な、新しいお義母さんをぎゅと抱きしめようと思った。


 その瞬間だった。


「へっ? しーちゃんじゃない?」


 急にさっきまでの恐ろしいドスの効いた声ではなく、物凄く聞き覚えのある声が聞えた。


 私は涙で視界が良く見えないから、急いで目をこすって、大きく見開いた。


「えっ? へっ? あれ? エリさん? エリさんなの?」

「ちょっと、シンデレラって、しーちゃんなの? えっ? なんで?」


 私の目の前にいたのは、シスターアンヌさんの親友で、子供の頃から私を可愛がってくれていた「エリさん」その人だった。


 エリさんは「もう、いやん、ばか!」と可愛い声をあげて、泣きながら私をぎゅとしてくれた。




「そうかぁ、しーちゃんがうちの子になったんだ、嬉しいなぁ、えへへへへ」


 現在、エリさんは私とカミーユの新居に遊びに来ていて、一緒にお揃いのエプロンを着けてご飯を作っている。


 エリさんはすっかり態度も言葉遣いも変えて、昔ながらのいつもの私達だった。


「もう、大体エリさん、超怖かったし! なんで私ってすぐにわからないんですか!」

「だって、ちょっと我を忘れて、息子をたぶらかした不埒な女めって怒りモードに入っていたから仕方ないじゃない、ごめんごめん」

「まったく、困ったお義母さんです!」

「えへへ、新鮮な響きだなぁ」


 エリさんはそう言ってニヤニヤすると、私を抱きしめてくれた。


 シスターアンヌの親友であるエリさんは、昔から忘れた頃にふらっと教会に現れ、シスターアンヌと夜通し大聖堂で「聖水はうめぇなぁ」と酒盛りをする罰当たりな人だった。

 

 私が10歳になった時には、「歳が二桁になったらお酒は飲んでいいの!」と言い、無理矢理一緒に酒盛りをさせられた。神様、ごめんなさい。


 私はエリさんから今まで、結婚してるとか、子供がいるとか、一切聞いたことが無い。


 ちなみに最後に会ったのは三か月前、カミーユと知り合う直前で、シスターアンヌと一緒にその夜は「王都の酒を飲みつくすぞぉ!」と朝まで歓楽街を飲み歩いたばかりだ。どうやらその後、ブラックワイバーンの討伐に行ったらしい。


「でも。カミーユも見る目があるわぁ。しーちゃんをお嫁さんにするなんて、すみにおけないわね、流石は我が息子、育て方が良かったみたい。実はね、私は密かにしーちゃんとカミーユをくっつけようと思ってたんだからね。アンヌも『面白いですね、神の御心のままに』って賛成してたし」

「ええっ、そうだったんですか、知らなかった!」

「ねぇ、しーちゃん、今日は祝杯しましょ、カミーユと3人で朝まで飲もう!」

「いやいやいや、私、明日もお仕事ですから!」

「えーっ、しーちゃんはお義母さんの頼みがきけないっていうの、嫌だわ、反抗的で冷たい態度、まさに姑をいじめる鬼嫁ね、ひどいわ!」

「あのねぇ、鬼人って言われているくせに、なに言ってんですか、もう!」


 そんな事を話しながら、結局仕事が終わって帰って来たカミーユと3人でご飯を食べた後、飲みに行くはめになり、朝までたっぷり歓楽街で飲まされた。カミーユ、巻き込んでごめんなさい。


 こうしてファンデリス家に嫁に来た私は、怖い怖い姑さんとも、とっても良好な関係を築けて、すごく楽しい毎日を送っている。


 ねぇ、お義母さん。












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