アリウスおじいちゃん

 さて、話は半年前に遡る。



 ここは有名な格付けグルメ雑誌エルランで、★評価を十年連続で獲得している「ロゼム・フィナージュ」。


 海に面した王都でも小高い丘の一等地に位置し、この眺望を望むオープンテラス席の予約は実に数年越しというとんでもない場所だ。


 癒しに溢れた優雅な空間と、技巧を凝らした素晴らしき料理。優しく薫る潮風を感じつつそのテラス席でランチする私の目の前には、ものすごく必死な形相のおじいちゃんが座っていた。


「シンデレラ、結婚してくれ! たのむぅうううう、この通りじゃあああ!」

「何言ってんですか、やめて下さい!」

「だから、たのむぅううううう!」

「やです!」


 このおじいちゃんの名はアリウス・ファンデリスさん。国内最大を誇るファンデリス商会の現名誉会頭である。この席にも予約なしで案内される爵位なき特権階級の凄い人だ。


 元々ファンデリス商会はこのアリウスさんが服飾・バッグのブランド「エル・ヴィノン」を起業した事から始まった。そして驚くべきことに、一代にして多国籍に跨る巨大商会へと発展させ、百数十を超える各国有名ブランドをその傘下に収めている。


 ファッション、ウオッチ&ジュエリー、化粧品と香水、ワインなどを手掛け、王侯貴族や富裕層である市民を主要顧客に持ち、その売上は大国の国家予算に迫る勢いを誇っていた。


「シンデレラ、お前しかおらんのだぁあああ、結婚してくれぇええ!」

「あー、もう! しつこいなぁ、困りますから!」

「なぁ、そんな事言わないで、ねっ、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから!」

「なんですか、そのちょっとだけって! いやらしい!」


 ちなみにファンデリス商会はブライダル関連にも力を入れている。つい最近、国内でも有名なブライダルグループ「エルミス」と友好的な合併を果たし、傘下に収めたのは有名な話だ。この「エルミス」は、国教であるノエリアス教会関連のブライダルグループで歴史ある大手である。


 実は孤児である私はその教会本部が運営する孤児院で育ち、仲の良いおばさんシスターの勧めで、12歳の頃から「エルミス」にお手伝いに入り、すぐに正社員となる。そこから10年を越えるキャリアを積み、ブライダルプランナーとしての腕を徹底的に磨いた場所でもある。


「なぁ、お前さんをうちにスカウトしたいから、今回吸収合併したんじゃ。だから、いいじゃろ、結婚してくれぇえええ!」

「それはそれ、これはこれです! あくまでビジネスパートナーです!」

「そんなつれない言い方しないで、なぁ、ちょっとだけ、本当にちょっとだけでいいんじゃ! すぐに終わらすから!」

「うるさい、殺すぞ、くそじじい!」


 実はこのアリウスさんは敬虔なノエリアス教信者だ。いつも教会本部に多額の寄付を行ないに来ていた。さらにプレゼントを持って孤児院にも訪れ、私とは子供の頃から不思議と気が合い、随分可愛がってもらって来た。まぁ、とても気安い中だ。勿論当時はそんな大商会の代表さんだとは知らなかった。


 その正体を知ったのはつい最近、この吸収合併の後だった。そして今とある問題の為、私は途方に暮れそうになっている。それはランチをしながらではあるが、テーブルの上に置かれた真新しい雇用契約書にある。


「シンデレラ、わしの一生のお願いじゃ! どうか我が孫カミーユと結婚してやってくれ! いきなりはお互い恥ずかしいじゃろうから、先ずはデートじゃ、なっ、ちょっとだけでいいから、カミーユと会ってくれんか、頼むぅううう!」

「だから、困りますって!」


 私はチーフブライダルプランナーとして、ファンデリス商会の経営するブライダル部門に抜擢される契約なのだが、その契約書には「カミーユ・ファンデリスと婚姻すべし」と書かれていた。


 なんだそれ!


 普通にこの契約書の条件だけを見れば、誰もが羨ましがる内容だ。


 ブライダル部門での大抜擢、さらには将来この大商会を束ねる男性の嫁になる、まさにシンデレラストーリーである、そう、あるのだけれど私は納得いかない。


「シンデレラ、ただ『うん』と言ってくれるだけでいいんじゃ、なっ、なっ、いいじゃろ、しようよお、もうしよう、なっ!」

「うるさい! ちょっと黙ろうか、じじい!」


 現在私はごねている。


 実はアリウスさんを信用していたので、碌に内容確認せず、つい、ついね、サインを書いちゃってるんだな、あはははは。


 そんで、「うれしいのぅ、これで孫の嫁が決まった!」との一言ではたと気がつき、慌てて契約書をまじまじと見直すと婚姻の項があった。


 迂闊にもサインしているから契約は絶対だが、私は全力でごねにごねて現在に至る。


「とにかくこれは無効にして下さい、いくら仕事が好きだからと言っても、出世の為にこの身を売るなんて嫌です!」

「身を売るだなんて人聞きが悪い! シンデレラ、これは誰もがうらやむ玉の輿じゃぞ、金も地位も栄誉もお婿さんだって手に入るんじゃ。ほれ、ワシをお爺様って言うてくれ、ほれほれ!」

「誰が言うか、くそじじい!」


 はぁ~、参ったどうしょう……。


 そりゃあね、お金も欲しいし、楽な生活はしたい。でも、それは自分の稼げる範囲で十分だと私は思っている。玉の輿? 馬鹿言っちゃ困る。孤児だった私だ。世間の冷たい風を受け、人間の酸いも甘いも知っている。


 大体、分不相応な地位は人を不幸にする。私は身の丈にあった生活が大事なのだ。だから、大商会に嫁いで行くなんて、とんでもないストレス以外の何ものでもない。


 そもそも、私は私自身をみんなに認められたい。


 それは自立した一人の人間として、自分の力で生きていたいと考えているからだ。これは孤児だった私の大切なプライドでもある。


 人生は神様からの贈り物だ。そしてどんな人生を選択するかという決定権は自分にある。己で判断し、弛まない努力をし、失敗や後悔さえも乗り超えて、そうして勝ち得たものこそが、人生を生きる大切な糧となり、将来の自分を形作るのだと私は信じている。お金欲しさで安直な玉の輿を選ぶなど、身の破滅以外の何ものでもない。


 とは言え、このままでは埒が明かない。


 私は意を決し、すかさずビジネスモードに入ると、目力を全力で込め、グッと前に乗り出し、有無を言わさぬ真剣な表情をアリウスさんに向けた。


「アリウスさん、キチンと私をビジネスパートナーとして認めて下さった事は、とても有難く感謝しております。ですが、この契約書は『人生を自分で手に入れる』、その権利とチャンスを私から奪う最悪で酷いモノです! 迂闊にサインをしてしまった私にも落ち度はありますが、ここは何と言おうと断固拒否させて頂きます!」


 通常なら契約を盾に脅される所だが、私とアリウスさんの仲だ、キチンとお話してどうにか破棄してもらおう、本心から嫌だと伝えれば無下にはされないはず。


 するとアリウスさんは、私の真剣な顔を見て一瞬きょとんとした後、一気にその顔を曇らせ泣きそうな顔になる、いやホントに泣いてそのまま全力で頭を下げた。


「びぇえええええええん! それでもたのむぅうううううう、お前は生い先短いこの老人の願いを無下にするのか、そんな冷淡な子なのか。ちょっとだけデートしてくれたらいいんじゃ、なぁ、頼むぅうううう、シンデレラ! このとおりじゃぁああああああ、お願いじゃあああああ、意地悪を言わんでくれぇえ、うわぁあああんんんん!」


 げっ、このじいさん、すでにもう話が通じない!


 一代で大商会を築いた叩き上げの癖に、ごねる私に対し被せる様に子供みたいな駄々をこね始めた。


「ちょ、ちょっと、アリウスさん! 恥ずかしいからやめて下さい! ほら、周りが見てますから! 多分パトロンと愛人の別れ話かなんかと勘違いして、すっごい軽蔑的な目で見てますから! とにかく恥ずかしいから、もう泣き止んで下さい!」


「いやじゃぁぁああああああああああ、これはわしの一生のお願いじぁああ、どうか見捨てんでくれ、後生じゃぁあああ、お前しかおらんのだぁあああ、お前がわしの生きる希望なんじゃぁああああああああ!」


「こっ、このくそじじい! 誤解されるって言ってるでしょう! もういいから黙れ!」


 私は慌ててアリウスさんの頭を鷲掴みにして起こし、その口を塞いだ。


「ふご、ふがっ、ふぎゅ!」


 私がテーブル越しに頭をロックして口を押えているが、目はまだ必死で訴えかけようとしている。


 くそっ、この湧き上がる感情、これが殺意か、殺意なんだな、初めて知った。しかし、なんで私がこんな目に、もう、嫌だけど仕方ない!


「わかりました! 譲歩です、譲歩致します。お孫さんと会うだけ会いますから、もう余計な事を喋らないで下さい! いいですか、イエス、ノー?」


「ふごごっ、ふぎゅうう! ぐえふ」


 アリウスさんはやっと納得したのか、こくこくと嬉しそうに首を縦に振った。


 まいった、人生最悪の日だ……。




 こうして私は確認しない自分が悪いとは言え、迂闊にサインししてしまった不条理な契約書を覆せず、望まない相手、ファンデリス商会の次期跡継ぎである見た事もないぼんぼんと会い、そしてデートする事となった。


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