おばあちゃんの武蔵野怪談話④

天雪桃那花(あまゆきもなか)

おさき狐と夜道怪

 蒸し暑い夜にぴったりのちょっと怖い怪談話を話してあげようかねえ。


 故郷に帰省してきた孫娘におばあちゃんがちょっぴり不思議でちょっぴり怖い話をしてあげるようです。



       🌻🎐⚡



「おばあちゃんが一つ不思議な話をしてやろうかねえ。これは埼玉県の秩父地方に伝わる物語さ」


 ――埼玉県の山村はとかく獣や妖怪が多く棲み着いた土地だよ。


 今夜みたいに寝苦しい日は、人間も寝づらいが、動物だって獣の怪異や妖怪だって、寝付くのに苦労するんだろうねえ。



        🎐🦊🌻



「うふふっ。今夜は生温かい風が吹くとても蒸し暑い夜ですわねえ――、百物語はいかがですか? ロウソクをそれぞれ用意して持ち寄って廃寺のお堂でお待ち下さいな」


 女の囁く声が、寝静まろうとしたそれぞれの村人たちの耳元に楽しげに聴こえました。


 むかーし、むかし。

 暑い真夏のある日、集まったある山村の村人が順繰りに怖い話をしていき、一本ずつロウソクを吹き消していくのです。


 それそれ、怪異は百も話さずうちに現れますよ。


 ほうら、あなたのとなりに、見知らぬ人がおるでしょう?


 その人は本当に生きた人間ですか?

 確かめてごらんなさいよ。


 ――それとも……、……まさか?


 廃寺の屋根も何もかもが朽ちたお堂の真ん中には、村の若い男女があつまっていました。

 それぞれろうそくを持ち寄っています。

 お堂は不気味だけれど、なんだかわくわくもするのです。


 百本ロウソクの集まりは昔からある。

 怪談話をしながら、ロウソクの炎を吹き消していくというもの。


 怖いもの見たさ、お化けも幽霊も妖怪も怪異も恐ろしいくせに、どうしてかこんな肝試しのひとつは人々の気持ちを高揚させ魅了させてしまいます。


「これはさあ、おらの家のとなりにあるなあ、庄屋しょうやさんのとこの話なんだけんど……」

「ああ、あの名主なぬしの」

「あそこんちの娘御はえらいべっぴんさんだで、よおく知っとるよ」

「また、お前は用もないのに庄屋さんとこ行っただか?」

「馬鹿いうでねえ。用事はあっただよ。醤油は切らしてねえか? ってさ、おらがひとっぱしり買いに行こうかと御用聞きに行ったもんさ」


 村の若い衆が庄屋さんのところの娘さんの話で盛り上がりはじめました。

 お堂に集まった若い娘たちはむすっとしたり、好奇の眼差しを向けております。


「で、ねえ、庄屋さんのとこのなんの話なの?」


 村で一、二番を争う器量よしの娘のお徳ちゃんが話の催促をしました。

 凛としたお徳ちゃんの声に、最初に話をきり出した吾作さんもハッとして、続きを話し出します。


「庄屋さんとこはさあ、おさき狐が棲んどるんだわ」

「ああ、あのものの」

「おさき狐って良いあやかしなんだよねえ」


 そのおさき狐は、秩父山中を寒さと空腹で行き倒れていた狐の妖怪で、この村の庄屋さんが助けたところ、家に居着くようになったとか。

 妖怪おさき狐は『御先狐おさきぎつね』とも『尾裂おさぎつね』とも書く。

 神の眷属のミサキを語源にしている説もある、縁起のいい狐妖怪であるんだがよぉ。

 幸先よし、とても穏やかな性格である。

 おさき狐は主人のためならばと、健気に頑張り尽くす。


「この間、庄屋さんとこの娘がいなくなったんだと。こりゃあ夜道怪っちゅう妖怪の仕業だって話になったが」

「怖いわ……」

「夜道怪は娘子供をさらっては、人間の容易には入れん世界に連れて行っちまうという」


 突然、外が眩しく雷鳴で光った。

 あちこち壊れたお寺だもんだから、稲光の激しい雷光は、破れた障子や壁から堂内を一瞬鋭く明るく照らした。


 話していた吾作さんはその時、集まっている若い衆の影に稲光に浮かび上がったとんでもない『紛れもん』を見てしまった。

 がたがたと歯が震えだしそうだったが、なんとかこらえた。


「いなくなった娘さんをさ、おさき狐が数日捜しに出掛けてるそうなんだがよ」

「ま、まだ見つかってねえのが?」

「ああ、……さっきまではさね」


 そこで、その場のみんなが凍りついたようにだんまりで動きが止まった。


 吾作さんがみるみる姿を変える。

 大きな獣に……。

 毛がふさふさもっさもさに生え、大きな尻尾をフリフリ。たくましい狐の姿になった吾作さんは、百本ロウソクに集まった村の若い衆の一人の手首を掴んでひねり上げた。


「夜道怪を見つけた!」

「なっ、なんであたしっ!? 誰か助けておくれよ!」

「嘘をこくでねえ。お徳ちゃん、お前さんの影は夜道怪のもんだった。本物のお徳ちゃんと庄屋さんとこの娘御をけえせ」


 おさき狐の鬼気迫る勢いと夜道怪という妖怪の名前をきいて若い衆は逃げ出した。

 夜道怪は子供や女性を攫う妖怪だ。

 家の姉や妹たちを狙われたら困る。

 若い衆は一目散に家に帰っていく。


「ばれちゃあ仕方ねえ」

「どうするつもりだ?」


 お徳ちゃんに化けていた夜道怪はにんまり笑うと、高僧の姿に変装したバケモンの見かけに戻る。


「どうもしねえや。おさき狐にはかなわねえかんなあ。大人しく返してやらあ」


 どこからか女たちの泣き声がして、大きなくたびれた風呂敷包みの袋が現れた。

 おさき狐は袋から夜道怪にさらわれた村の娘たちをどんどん出してやる。

 ぞろぞろと這い出てきた娘たちは、とっさにおさき狐の背中に隠れた。


「こらっ、おさき狐よ。おらの影を見て震えたふりなんかしやがって。この策士が!」

「震えたのは演技じゃねえよ。ふはははっ、武者震いさ」

「けっ。格好つけやがって。肝試しの百物語の百本ロウソクに集まった女たちもさらってやろうと思ったのに、計画が台無しだぜ」

「一つ聞く。攫った娘御たちをどうするつもりだった?」

「鬼の村に売ってひともうけ。鬼の頭は、人間の麗しい女たちを嫁にと思っていたみたいさ」


 そこで大嵐の風が吹いて、その場の誰もが目を瞑った。

 目を開けた時には夜道怪の姿はすっかり消えていて、百本ロウソクもちょうど炎が消えた。


 村では戻ってきた庄屋さんの娘御が、夜道怪の魔の手から助けたおさき狐らしい青年と結婚したとかしないとかの噂がたったが、真相は分からないのさ。



  

        🌻🍉🌻



「どうだい? 人を攫う悪い妖怪の話は怖かったかい? 家の戸締まりはしっかりするんだよ。それから甘い言葉の誘いにも気をつけなね? ……くれぐれも百物語なんてやりに肝試しにロウソク持って廃墟なんかに行っちゃあだめだよ。からかい半分でそんな危ないとこ行っちゃあ、火事は危ないし、棲んでるオバケたちを怒らしちまうからね」

「やだ〜。そんな廃墟なんか行かないよ。私、おばあちゃんの不思議な話だけで、こんなに怖いのに」


 真夏の夕方が暮れゆき、風鈴の音が涼し気に響きました。

 山の向こうの空の方ににょきにょきのびた入道雲が見え、遠雷の音がします。


 孫娘は縁側ですいかを食べていると、おばあちゃんがにっこりと笑いました。


 まもなく夕立ちでもありそうですね。


 暗闇にひっそり妖怪の気配がしそうな、そんな夜でした。








               おしまい♪

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