#4 分裂

 アカコは目の前にいる自分と同じ顔をした少女を睨みつけた。


 「どういうこと・・・あなたは誰?」

 「あなたは私よ。私とあなたは同一人物なの」

 「はぁ‥?なにこれどういうこと‥」


 葵は頭を抱えて地面にうずくまった。

 「なに‥なに怖い、怖いよ‥」

 「なによその反応」


 アカコは自分のちょうど膝下くらいにいる葵を見下すように言った。


 「え‥?」

 顔を上げた葵は少し涙を流していた。


 なんだこいつ。

 なに泣いてんだよ


 まじでなんなんだこいつ。

 自分の気持ちに対して素直に表情に出し過ぎだ。


 イライラする。

 イライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライラ


 感情に任せて、ちょうど自分の膝にあるアカコの顔めがけてケリを入れた。


 「いたっ」

 ちょっと膝をあててビビらせてやるつもりが、感情が高ぶって強めになってしまった。

 葵は顔を手で覆いながら地面に倒れこんだ。


 まあいいや。


 「本題にはいるよ」

 アカコはしゃがみ込んで葵の顔を除きこんだ。


 目が合う。

 本当におなじ顔してるな。

 そう思って睨みつけてやると葵が目をそらしたので、髪の毛を引っ張ってこっちを向かせてやった。


 「私はね、あんたが嫌いなの。悲しいときはわーわーわめくし。わがままだし気まぐれだし。

 お姉ちゃんが自殺未遂したときだってそうだよね。あんたが一時的な感情で色々言うから、お姉ちゃんは傷ついた。

 ・・・・・・・あの時のお姉ちゃんの表情見ればわかるでしょ?学校で!なんかあったのかなって!!!わかるだろうが!!!!」


 つかんだ髪の毛ごと葵の顔をフェンスに叩きつけた。

 「いっっ!」

 ガシャンと音が鳴り、フェンスに弾かれた葵は再び地面に倒れ込む


 自分でも驚くぐらい大きな声がでたなとアカコは思った。

 葵が倒れた地面に血がポタポタと垂れていた。フェンスにぶつかった時にどこか切ったのだろう


 「あんたはいなくなればいい。自分の気持ちなんかどうでもいいよ。」

 アカコは靴を葵の頭の上に乗せた。


 「‥‥いっ‥ッ」

 乗せた足に徐々に力を込める


 「消えろ。」


 靴をぐりぐりと葵のこめかみに押し付ける。


 「消えろ、消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ」


 葵を見ていると、自分の嫌いなところを見せつけられているように感じる。

 自分の醜い部分、大嫌いな部分。

 

 それを隠したくて、見たくなくて

 心の奥底の、さらに奥にある金庫に鍵をかけて閉めておいたのに

 

 それを無理やりこじあけて、取り出されて、目の前にみせつけられるような感覚。



 私は、

 いや、私たちは


 少し周りの人と違う。

 それは小さい頃からなんとなく感じてた。


 鬼ごっこが楽しくない。

 かくれんぼが楽しくない。

 みんなが楽しいと思うものが、楽しいと思えない。


 教室の隅でずっと自由帳に絵を描いてると、1人の女の子がこう言った。

 「葵ちゃんって、なんか変わってるよね」



 そんなことない。

 私はみんなと同じだよ。

 鬼ごっこ?いいねやろ

 私もやりたかった。負けないよ。


 その日から、絵を描くのが恥ずかしくなった。


 埃を被った自由帳だけが残った。


 友達は大事だ。

 1人でいるのは怖い。


 みんな影で私の悪口を言っているように思えた。

 大事なことを自分だけ知らされていないように思えた。


 みんなと違うことが怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い


 友達みんなで輪になっておてて繋いで

 同じ服着て、

 同じ髪型にして 

 同じ方向向いて歩いていればいいんだ。


 人から嫌われたら終わりだ。

 他人の顔色うかがって、

 嫌われないように、

 嫌われないように嫌われないように。


 これが私の生き方

 これがみんなの生き方

 みんなこう生きるべきなんだ


 それを葵、

 お前はなんだ?


 自分の好きなことばかり言って。

 人の気持ちを読み解こうとしないで自分のことべらべらしゃべって

 

 お前のことなんかみんなそんな興味あるわけないだろ。 

 それなのに

 

 なんで私より、お前が好かれるんだ。

 そう、今井凛久のことだ。

  

 私は必死に自分を押し殺して好かれようと努力しているのに

 好かれようと、なんの努力もせず、だたありのままの自分でいるお前のほうが今井凛久に好かれていることが


 本当に、本当にむかつく。

 

 だから____


 「消えろ!!」

 声が裏返った。

 のどが枯れるぐらい叫んだので、のどの奥が少し痛い。


 その時、

 「・・・・・・・だ」

 葵がなにかぼそぼそと言っているのが聞こえた。


 「は?」


 「嫌だ」



***


 「アカコォ!!!」


 今井凛久は電話越しにそう叫んだ。

 「ちょっと!今井君!!」


 鈴木茉莉に携帯を押しつけ、教室を飛び出す。

 「はあ~?なんなのもう!!」

 茉莉もわけがわからず今井を追いかける。 


 教室に残された波多野優紀は一人、現在の状況について考え込んでいた。

 

 アカコが一色葵を呼び出す?

 ということは一色葵とアカコが同時に存在してるということか?



 こんな


 こんなバカなこと起こるわけない

 一色葵が完全に2人に分裂してる

 これじゃあ翠が話していた童話の再現じゃないか。

 

 一色葵は二重人格じゃなかったのか?

 いや、多くの根拠に基づいてそう結論付けたはずだ。


 落ち着け


 冷静になれ波多野優紀。

 必ず何かのトリックがあるはずだ。

 考えろ。


 全身から冷や汗が止まらない。


 恐怖

 意味不明なもの恐怖だ。これは

 

 くそっ

 考えがまとまらない。

 こんなとき、どうすれば・・・・・


 そうだ、翠

 一色翠に電話してみよう。

 彼女ならなにかわかるかもしれない。


 とにかく自分一人ではどうすることもできなさそうだ。


 波多野は翠に電話をかけたが、通知音が虚しく鳴るだけだった。


 「くそっ!!」


 生徒会の仕事で忙しいのか、部活の最中で電話に出れないのか。

 直接会いに行くしかない。

 波多野は教室を飛び出し、生徒室へ向かった。

 


***


 痛い

 痛い痛い痛い痛い痛い


 赤い髪の女に足蹴にされてる。

 靴をぐりぐりとこめかみに押し付けられる。


 頬に小枝や石が当たって痛い。


 赤い髪の彼女が何者なのか、言っていることからなんとなく予想がついてきた。


 あたしは、自分が嫌いだった。

 本当に本当に大っ嫌いだった。


 周りと違うことは怖かった。

 だから他人に好かれるように努力した。


 人の顔色をうかがって

 つねに神経尖らせて

 流行に敏感になって

 みんなが使う言葉をあたしも使って

 嫌なことがあっても胸の中にぐっと押し込めて


 笑顔を作ってた


 作り笑いは得意だったから______


 そんな自分が大っ嫌いだったから

 だからあんたが出てきちゃったんだよね。


 赤い髪に自然なメイク

 可愛らしい服装

 物腰が柔らかくて

 人当たりがよくて

 人の話をよく聞いて


 自分のことは一切話さないで


 あんたは昔見た外国の童話の主人公に似てるね。

 あの童話、なんてタイトルだっけ。


 あんたみたいになれたら、

 きっとみんなからチヤホヤされて

 いつも周りには友達がたくさんいて・・・・・


 でも、そんな偽りの自分で出来た友達なんて、

 本当の友達なんて言えるの?


 あたしはね、あたしらしくいることを肯定してくれる人と一緒にいたいよ。


 あたしは消えたくないよ。

 だから、あたしはあんたにこう言う。



 「‥嫌だ」


 「‥は?」



 そう、そうだよ


 「こんなあたしを受け入れてくれる人がいる」

 茉莉の顔が浮かんだ。


 「素のあたしのままで、そのままのあたしでいいと言ってくれる人がいる」 

 いつの日か、今井凛久が自分に言った言葉が頭に浮かんだ。


 「こんなあたしのことを」



 _____一色さんの絵、すごい綺麗だね。もっと見せてよ。_____



 「好きと言ってくれる人がいる」

 赤毛の女のくるぶしを右手で掴む。


 「だから、消えない」


 「‥いっった!」


 力を込め、ついでに爪をたててやる


 「いっっってぇぇなぁ!!」


 足を振り上げガンガンとあたしの顔を踏みつけてくる。


 「い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ああああああああああああああああああっっ!!!!!」

 

 右手に思いっきり力をこめる。

 赤毛の女のくるぶしから血が出てくる。

 左手も追加してやる。


 「いいいっっ痛い!やめろ、離れろ!!」

 足を左右に振って手を振りほどこうとする。

 その隙に足から手を放し、素早く立ち上がる。


 「てめえ!!!」


 赤毛の女があたしの髪を引っ張ってフェンスに押し付ける。

 あたしも負けじと髪を引っ張り返す。

 

 頭皮が引っ張られ、髪の毛が全部抜けるんじゃないかと思う。


 「あんたはあたしが大っ嫌いだろうね」

 あたしは赤毛の女を睨みながら言った。


 「あたりめーだろ」

 「それでもいいよ。あんたがあたしを嫌いでも。でもね」

 髪を引っ張っていた手をゆっくりと赤毛の女の頬に添える。


 「でも、あたしはあなたを受け入れる。」


 あたしもあなたが大っ嫌いだった。

 だから、こうなっちゃった。

 分裂しちゃった。


 だから、あたしはあんたを受け入れる。


 だってあんたは、あたしが

 学校で

 この社会で

 安全に生きていくために作り出した女の子なんだもん

 

 あんたがいたからあたしはこれまで生きてこれた。

 

 あたしが嫌いでもいい。

 でも、あたしはあんたを否定しない。

 

 自分で自分を否定したら、誰が自分を肯定すんのよ。

 

 「だから____」

 ふらりと視界がぼやけた

 取っ組み合いの喧嘩なんていままでしたことなかったし、頭を蹴られた衝撃で気を失いかけていた。

 

 その時_____


 「一色さん!!!」

 「アオ!!!」


 親友と、


 好きな人が現れた。



***


 そうか____

 私は葵のかわり。

 葵が作り出した、別人格・・・・

 

 でも私は評判よかったよね。


 葵が出ているときは

 「もうちょっと落ち着いた格好の方がいいんじゃない?」

 「もっと女の子らしい髪型にしなさい」

 「なにこのキーホルダー。アニメ?葵ちゃんこんなの好きなの?もしかしてオタク?」

 こんな風に回りから言われてた。


 私がでてくると

 「似合うね、その髪型」

 「女の子らしくていいね」

 「かわいい!」

 そう、これが望まれた私


 私はきっと____

 葵、あなたが羨ましかった。

 

 気なんか使わないで

 ありのままでいられて。

 ありのままのあなたを好きになってくれる人がいて

 

 私が頑張ってきたことが否定された気がしたんだよ。


 だからムカついた。

 大嫌いだった。


 でも、あんたはそんな私も受け入れてくれるんだね。


 やっぱり葵、あんたはそのままでいるのがいいよ。

 私はもう必要ない。




 ボロボロと涙が溢れた。


 涙が頬をつたい、口の中に入る。


 少し、しょっぱい味がする。




 ああ____


 もう、  消えるみたい



 「さようなら、 今井くん」






***


 「一色さん!!!」

 「アオ!!!」

 

 校舎裏に行くと、ボロボロのアカコと葵が倒れていた。


 制服は土と草にまみれ、ところどころ血がついていた。

 髪はぼさぼさで、顔はフェンスに引っ掛けたのか血が垂れていた。


 茉莉が葵を抱き寄せ、

 今井はアカコの方を抱きかかえた。

 

 すると、アカコの体が徐々に変化していった。


 赤色の髪が、青みがかった黒髪になり、肌は色白へ、

 まるで葵の体からアカコが消滅したようだった。

 

 完全に体が戻った葵は今井の腕の中でスースーと吐息をたて

 長いまつ毛を伏せて眠っていた。


 やはり、アカコの正体は一色葵だったのか・・・


 では、さっきまで葵だった人は?

 一体どうなってるんだ?



 茉莉が抱きかかえていた葵の方を見るとアカコと同じような変化を見せていた。

 体つきが徐々に変化していたのだ。


 まさか、この女性も二重人格なのか?

 だとすればアカコが元の人格である葵に戻ったのと同じく、この女性も元の人格に変化しているということだ。


 女性は日焼けした肌に誠実そうな顔立ちへと変化していった。

 すらりとした長くて細い脚。引き締まった体形・・・・・・・・・

 


 まさか

 あの人がどうしてここに


 その人物は今井も茉莉も波多野も、ひいてはこの高校の、ほぼ全員が良く知る人物だった。

 

 波多野も校舎裏に駆け付け、

 「今井・・・・っ!」

 現場をみて状況を察した。やっぱりそうか。とでも言いたげな顔をしていた。

 その顔はひどく困惑し、ショックを受けているように見えた。


 その時、眠っていた葵が目を覚まし、目の前にいる女性をみた。



 「え・・・・・っ」

 葵は蚊の鳴くような震える声でその人物の名を口にした

















 「・・・お姉ちゃん・・・・・?」








***



 2日振りに来た学校はなんだかよそよそしく感じられた。

 今井を見てヒソヒソと噂話をする声が聞こえた。

 噂話するなら、もっと聞こえないようにしろよと思った。


 アカコと葵が取っ組み合いをした出来事は学校でちょっとした騒ぎになっていた。


 というのも、あの後鈴木茉莉が先生を呼びに行き、土まみれの葵たちを見た先生が教頭を呼びに行き、騒ぎを聞きつけた野次馬たちがこぞって校舎裏に集まり、救急車まで来たからだ。


 その場にいた今井、波多野、茉莉は先生に呼び出され、事情聴取された。今井はこれまでのこと、知ってることを全て話した。


 その日は事情聴取だけで済んだが、次の日、病院の先生が聞きたいことがあると今井と波多野を呼び出した。学校は公欠となり、病院の先生と話をした。


 今井は2日で解放されたが、波多野はまだ話があると残された。

 波多野が学校に来たのは今井が学校に復帰したさらに次の日だった。


 病院にいる間、波多野とはほとんど会話出来なかったため、なんだか久しぶりな感じがした。

 放課後、示し合わせたかのように自然と図書室に集まった。


 「なんだか大変なことになったな」

 「確かにそうだな。でも一番大変なのは一色さんだ。こんな大騒ぎになってちゃ、学校にも戻って来づらいだろう。あることないこと噂されてるかもしれないし。」


 「確かに‥それで、結局、なにがどうなってたんだ?アカコの正体は結局、一色さん‥葵さんなのか?でも、葵さんが一色翠会長になって‥なにがどうなったのかさっぱりわからなかったよ」


 「あの時現れた一色葵は、姉の一色翠が葵のフリをしてた。」

 「ということはやはり‥」


 「そう、一色翠もまた、解離性同一性障害、二重人格だったと言うことだ。」



***


 あとで分かったことだが、病院の先生は波多野の話を受け、精神科医の先生に診断を依頼した。その結果、一色葵、一色翠、2人とも二重人格だったと正式に鑑定を受けた。


 波多野は続けた

 「二重人格は、ホスト人格にとって憧れの人、こうなりたいという人になりきるうちにその人格の自我が芽生えるというものだ。


 一色翠は中学生の時にいじめにあっていた。

 原因はおそらく、スポーツ万能な上に成績優秀、容姿端麗。周囲から疎まれていたんだろう。

 それ以降、なにかと自分を主張することが出来なかったのかもしれない。


 一色翠にとって妹の葵は、自分の好きなことがあって、それに夢中になれる憧れの存在だった。

 葵のまねをしているうちに翠の中で葵の別人格が生まれてしまったというわけだ。




 それを踏まえ、これまでの出来事をもう一度、振り返ってみよう


 10/3 (土)第一のデートについては俺が以前解説した論で間違いないだろう。

 アカコが一色葵の人格を乗っ取り、今井に電話で日程変更。アカコと今井がデート。10/4 (日)に一色葵が今井に怒りの電話という流れだ。


 問題は俺たちが調査を始めた10/5 (月)だ。

 俺は一色翠に今井と葵のデートの件を話した。それを一色翠の中にいる別人格、ここでは“アオイ“と呼称することとするが、アオイは俺が一色翠に話した内容を聞いていたと考える。

 アオイはアカコと同じでホスト人格、つまり翠より権力が上なんじゃないだろうか。

 デートの件を聞いたアオイは、デートしてくれた今井に興味をもったのか、それともただ自分のことだと勘違いしたのか10/10 (日)のデートに参加することにした。


 10/10 (日)、今井と本物の一色葵がデートする。その様子をおそらく翠の体を乗っ取ったアオイはつけていたんじゃないだろうか。

 デート中に一色葵の中のアカコが主張しだした。葵は頭痛を起こしてトイレへ行った。

 その隙にアオイは今井の前に現れ、葵のフリをしてデートする。


 トイレでは葵とアカコが体の持ち主を巡って激しく争っていた。

 結果、権力が上のアカコが葵の体を乗っ取った。アカコは今井の元へ戻ったが、今井の姿はない。

 今井は鈴木茉莉に言われたことが気がかりでデートを早く切り上げたからだ。


 慌てて今井の後を追いかけると、今井とアオイ (翠) が2人で歩いている姿が目に入った。


 アカコは自分が体を乗っ取ったはずの葵がまだ性懲りもなく現れたように見えた。


 そんな

 あんなに強く押し込めたのに、また出て来やがった。


 アオイを今度こそ消滅させるためにどうすればいいか考えたアカコは、今井を利用することを考えた。

 今井のふりをして電話をかけてアオイを誘き出すことにしたんだ。


 アカコは駅で今井とアオイ (翠) が別れたタイミングで今井の前に現れた。

 今井の携帯を全く同じ機種とすり替えた。


 電話でアオイを呼び出しても、翠の人格で電話に出られてしまうと元も子もない。

 でも今井の携帯から電話すれば必ずアオイの人格を引き出せると考えた。


 アカコはすでに葵の体を自由に乗っ取れる状態になっていた。

 

 学校に登校する前か・・・それよりも前、前日の夜のうちかに葵の体を再度乗っ取った。

 クラスメイトに不審がられないよう葵の姿に寄せて登校し、電話でアオイ (翠) を呼び出す。


 そしてアカコの状態でアオイ (翠) との待ち合わせの場所である校舎裏に向かう。

 この場面を先生に見つかって少し騒ぎになっていた。

 アカコの状態になったのは翠が既にアオイになっている場合、葵のままだと同じ人間が2人いるように見え、周囲から不振がられると思ったからだろう。


 そしてアカコ (葵) 、アオイ (翠) が対面してしまうという事態になった。



 これが今回の出来事の真相だ」



 「なるほどな・・・お前すごいな。」

 「まあな。状況と知識で推測を立てただけだが。だが今回、俺たちが変に一色葵や翠のことをかぎ回ったせいで一色翠の中のアオイを目覚めさせてしまったわけだし、責任は感じてるよ」


 「まあな。それでもお前の推理はすごいよ。お前がいなかったらなにもわからないままだったし」

 波多野はぼさぼさの髪をぽりぽりとかいた。


 「それにしても、一色葵の気持ちもわかるよな。」

 波多野は話をそらすように続けた。


 「自分はこうあるべき、こうすればみんな喜ぶ。そうやって自分を演じてる。そういう人は決して少なくないはずだ。 

 別に悪いことではない。相手のために自分を変えるなんてよくあることさ。でも、そのために自分を犠牲にして、嫌なことがあっても我慢して、

 そんなこと続けてたら持たないよな。そういう意味では、俺たちはみんな二重人格なのかもしれないな」



***

 

 アカコ (葵) 、アオイ (翠) の取っ組み合いから3週間ほどがたった。

 葵はまだ学校に戻ってきていない。

 葵に会いたい。

今井はそう思った。


 今井は担任の先生に葵の容体について聞いてみると回復傾向にあるとのことだった。

 葵に会わせてもらえないか何度か直談判したが、答えはノーだった。


 別人格を引き出す原因となってしまった今井と会わせるのは危険だと病院の先生が判断したのだ。


 それからさらに数日後、


 「突然ですが、一色葵さんはしばらくの間休学することになりました」

 担任からの突然の報告に今井は頭が真っ白になった。


 次の日、葵の母親らしき人が葵の荷物を取りに来た。

 もう二度と葵には会えないのか。

 荷物をまとめる母親の姿は、残酷な現実をまじまじと突きつけていた。


 葵の母親の手にはもう1人分の荷物も抱えていて、とても重そうだった。


 「お持ちします」

 今井は翠の荷物らしき方を抱えた。


 「あら、ありがとう」

 葵の母親は初めて見たが、見るからに疲れ切っていた。

 娘二人が二重人格だったともなれば相当のショックだったろう。


 昇降口まで運んだところで葵の母親は

 「ここまででいいわ。ありがとう」

 と言った。


 「いいえ」

 「あなた、名前は?」

 「今井です。今井凛久」

 「今井‥あなたが‥」


 葵の母親は言った。

 「葵がね、会いたがってるの。あなたに」




***


 「病院の先生は別人格が発生した原因となった今井君に会うのはよくないっていうんだけど、

 迷惑をかけたから、巻き込んでごめんって、謝りたいって何度も言ってて・・・・

 症状はだいぶ良くなって来たからもう大丈夫だろうって先生もおっしゃっててね

 都合のいい時にこの病院まで来てもらえないかしら」


 葵の母親から渡されたメモに書いてあった病院に今井凛久は訪れた。


 受付に向かうと病院の外に広い芝生があり、そこで待っているように言われた。

 芝生ではリハビリをしている人や車椅子に乗って散歩している老人がいた。


 「今井君・・・・!」

 1ヶ月後ぶりに会った葵は少し痩せていたが、顔は以前よりも明るくなっていた。


 近くのベンチに腰かけ、二人で話をした。

 「あたし、ずっと今井くんに謝らないとと思ってて。あんなことになっちゃって本当ごめんね。」

 「そんな、俺のほうこそごめん。」


 久しぶりに会ったからか、うまく会話が進まない。話したいことは沢山あるが何から話せばいいのかわからない。


 「実はね、茉莉とは何度か会ってたんだ。学校のこととかいろいろ話聞いた。」

 「そうなんだ」

 葵は遠くを見つめながら、ポツリぽつりと語りだした。


 「あたしね。今井君と出かけるのはすごい楽しかった。でも今井君に気に入られるためにいろいろがんばっちゃってさ・・・・・、それであんなことになっちゃったんだと思う」

 「うん」

 「だからその‥ごめんうまく伝えられなくて。正直、自分でも今の気持ちがわからなくて。あたしがその・・・今井君とどうなりたいかとか・・・・」

 

 「ごめんね、気づかなくて」

 今井が口を開いた。


 「俺、一色さんが楽しいと思えることをしたかった。俺は一色さんと一緒にいれるだけでよかったから。

 俺、一色さんは強い人だと思ってたんだよ。自分を持ってて、周りを気にしないで。でも本当はありのままでいることに悩んでて、俺の気づかないところで沢山気を使ってて・・

 俺一色さんのこと、なんにも知らなかった。ほんとごめん。一色さんのこと、教えてよ」


 違うよ、それは違う。あたしがあなたの言葉に何度助けられたか・・

 葵はそう言おうとしてやめた。今は自分のことを話すべきだと思ったからだ。



 「あたしはね・・・・絵を描くことが大好きなの」

 「知ってる」

 なんだかおかしくなってきて、二人でクスクスと笑い出した。



 ああ

 もっと早くこうしていればよかった。

 そう葵は思った。


 今井には鈴木茉莉のような友情とは違うものが芽生えていた。

 

 信頼___

 彼ならそのままのあたしをぶつけてもいいと思えた。


 もし、受け入れてもらえなくてもそれでもいいと思えた。

 この人の前ではありのままの自分でいたい。そう思えた。


 これが恋愛というものなのだろうか。



 今井の手がそっと葵の手に触れた。

 「・・・っつ!」

 葵は反射で思わず手を引いてしまう。

 「ごめん、嫌だった?」

 「いや・・・っっ」


 やはりこの感情の正体は今のあたしにはわからない。触れられたもう片方の手で顔を隠してしまう。

 いまの顔を絶対に見られたくない。そう思った。


 「嫌じゃない・・・・・嫌じゃないから」

 葵が手を差し出すと今井が優しく握ってくれた。葵はその手をそっと握り返した。





***



 仕上げている絵がひと段落つき、ほっと息をついて大きく伸びをした。

 ココアでも飲んで少し休憩しようかと席をたったとき、電話が鳴った。


 「もしもし」

 「アオちゃん?おいっす」

 「おいっす。どうしたの?」

 「いや、なにしてんのかなーって思って」

 「なにそれw」


 凛久からの電話はいつも唐突で、でもそれを嬉しいと感じ、受け止めてしまっている自分がいる。

 もちろんあたしから電話することもある。そういえばあたしが電話するときもいつも唐突だったかもといま気づく。

 なにか進展があるわけでもなく、イチャイチャするわけでもない何気ない会話が続く。


 「お姉ちゃん、来週誕生日なんだよね」

 「へー、そうなんだ。なんかプレゼントするの」

 「それ、どうしようか悩んでんだよね」

 「確かに悩むね。よかったね。お姉さんとまた仲良くなれて。」

 「まあね。そんなすぐ元通りってわけにもいかないし、過去のことがなかったことになるわけでもないけど

 ゆっくりでもいいから仲良くなれたらいいなって思うよ」


 話しながらコップにお湯を注いでスプーンでココアを溶かす。


 「アオちゃん?」

 「ん?」

 「来月の1日空いてる?」

 「空いてるけど。なんで?」

 「どっかご飯行こうよ」

 「いいよ。どこ」

 「そのへんはまた後で連絡する。とりあえず開けといてね!お腹もすかせといて」

 「わかった」

 「じゃあ、また」

 「うん」


 電話は切れた。行く店も決めてないのに日にちだけしっかり決めてお腹もすかせて・・

 明らかに不自然な約束だった。


 しかしあたしはこの不自然さの意味を理解することができた。

 この世界でたった一人、あたしだけがこの言葉の意図を知ることができる。


 来月の1日、10月1日はあたしたちが付き合って2年の記念日なのだ。行く予定の店をここで言わないのもたぶんそういうことだろう。

言わなくても分かり合える関係に魅力を感じていたころもあった。

 しかしそれが話し合うのが苦手な人間の逃げ道であることに気づいた。


 あたしはある事件から解離性同一性障害と診断され、2か月ほど入院した。通院しながら高校に戻り、欠席も多かったがなんとか卒業できた。

 両親にお願いして大学入学と同時に一人暮らしをさせてもらった。

 現在、大学1年生。授業の課題に追われながら大好きな絵を描いて毎日を過ごしている。



「よーし、やるか!」

 ココアを飲み終わり、再び気合を入れ直す。

 今描いてる絵は来週末には投稿したい。


 例え多くの人に見られなくとも、



 理解されなくても、



 お姉ちゃんでも、

 かつてあたしの中にいたあの人でもない。



 あたしだけが描ける。あたしだけの創造を

 自分を表現して、それを形にしていくんだ。



 あたしの描く色は、決して色あせることはないのだから___




 




ー完ー

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cleave 椎奈ゆい @yui_siina

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