#2 懐疑

10/5 (月)


 今井は学校で、昨日の出来事について考えていた。授業の内容などとても頭に入ってくるような心情ではなかった。


 昨日ことは何度思い返しても実に不可解な出来事だった。

 今井はクラスメイトの一色葵と出かける約束をした。


 デート前日、葵を名乗る人物から電話があり、約束を日曜から土曜にしてほしいといわれた。

 10/3 (土)、いつもと雰囲気の異なる彼女に戸惑いながらもデートは無事終わった。しかし10/4 (日)、最初にデートの約束した日に葵から電話があり、約束を変更したことも、土曜日に今井とデートしたことも記憶にないという。

 


 これはいったいどういうことだ。



 デート当日に現れたのは別の女性で、俺はその人と葵を間違えてしまったのか。いや、雰囲気は違っていたが、身長も体格も顔立ちも葵とかなり似ていた。声もいつも通りだった。

 

 まるで葵が二人いたようだった。

 二人に分裂してしまったような・・・・


 いや、そんなわけない。人間が二人に分裂するのはお話の世界だけだ。現実でそんなことありえない。


 では、葵が嘘をついてる?

 土曜日には会っていないと?


 なんのために?


 仮に土曜に会ったのが葵ではない、別の人物だとしたら、彼女はいったい何者なのか。わざわざ日程を変更する電話までして、何が目的なのか。


 考えるほど謎が深まっていく。もがけばもがくほど底に引きずり込まれるような不快感。


 だめだ。これ以上自分だけで考えててもしょうがない。

 やはり、彼に相談するしかない。



***


10/5 (月)放課後


 今井は、学校の図書館に訪れていた。

 「波多野、いるか」

 波多野はたの 優紀ゆうきは図書室の貸し出しカウンターからのそっと顔を上げ、顔にかかった長い前髪をたくし上げて今井をみた。


 「・・・なんの用だ」


 カウンターの椅子で半分寝ていたのか、波多野は眠そうな声で答えた。


 しわくちゃのワイシャツに、首元まで伸びた髪は、ぼさぼさで、高校生のくせに顔には無精ひげを生やしていた。

 波多野は図書委員兼、図書室の主のような存在で、放課後はほとんどこの図書室を陣取っている。2年生にしてこの図書室の本をすべて網羅し、いま2周目だそうだ。


 「今日は相談があってきた」

 「まあ、座れよ。どうせだれも来ないさ」


 今井は土曜、日曜に自分の身に起きたことを話した。波多野は時々考えこんだような表情をしながら話を聞いていた。

 話し終わると、波多野はまたしばし黙ったまま考え込んでいたが、ふと口を開いた。


 「見間違えるほどそっくりな人に騙されてた・・・・ドッペルゲンガー現象の類か。・・・お前がデートしたというその女性はどんな人だったんだ?」


 よかった。こいつなら笑わずに聞いてくれる。そう思ったからここに来たのだ。


 「服装はピンク色のセーターに灰色のスカート。髪は少し赤みがかかった茶色。雰囲気は少し違っていたけど、顔も背丈も一色さんそっくりだったよ」


 「なるほどな。次に、一色さんは兄弟はいるか?」

 「お姉さんがいるぞ。この学校の生徒会長の一色いしき いしきさんだ」

 「なに、一色ってどっかで聞いたことあると思ったら、あの生徒会長の妹かよ」

 「そうだよ」


 三年の一色翠。この学校の生徒会長をしている。勉強も学年上位で、特に英語の成績は学年トップの座を入学時からキープしている。スポーツも万能でテニス部の主将をしている。

 後輩からはもちろん先生からの支持も厚く、尊敬されている。

 この学校ではまず知らないものはいない、超有名人である。


 「土曜日の女性が、一色翠会長ということはないか」

 たしかに、一色姉妹の顔は良く似ている。背丈もおんなじくらいだった気がする。


 「可能性としてはなくはないけど・・」

 「他に、一色さんの親戚で、彼女と顔がそっくりという人はいないか」

 「いや、親戚のことまでは・・・」


 「今度会ったときにでも聞いておいてくれ」

 「わかった」


 やはり、波多野に相談してよかった。さほど驚いた様子もなく、冷静に現状を分析している。


 波多野とは、高校一年生のころに同じクラスになってからの付き合いだ。席が近いときに少し話して、家が近所だということがわかってからつるむことが多くなった。

 いつも本ばかり読んで、特にSFや推理小説が大好きな奴だった。今回の話を馬鹿にせずに受け入れてくれたのも、彼がこういうジャンルの話に興味があったからかもしれない。

 

 「だが、仮に兄弟や親戚が土曜日に会った女性だったとしても、一つ疑問があるな」

 「なんだよ疑問って」


 「なぜその女性は、お前と一色さんが土曜日の10時に○○駅に集合することを知っていたかだよ」


 確かに、なぜ知っている。今井は葵とデートすることを誰にも言っていない。

 「まあ、お前が言ってなくても一色さんが言ってる可能性もあるがな。一色さんと仲がいい人で日曜日にお前とデートすることを知っている人物がいたかどうかも探った方がよさそうだな。」

 「わかった」


 「それにしても、一色さんと間違えるほど似ている、赤髪の女性か・・・」

 波多野はなにやら考えこみながら、急にニヤニヤとしだした。


 「ピンク系の服も着ていたとのことだし、その人は以後『アカコ』と呼称しよう。」

 「アカコ?」


 「一色"葵"さんだからな。反転してアカコ」

 「どうでもいいよ」


 こいつ

相談に乗ってくれたことはありがたいが、面白半分で乗っかってきてるんじゃないだろうな。


 今井は心配していることを口にした。

 「なんとなくだが、アカコと一色さんを絶対に会わせない方がいい気がするんだ」


 「なるほどな。ドッペルゲンガー現象も会ったら死ぬっていうし。その事態は気を付けるようにしよう」

 波多野はそう肯定してくれた上で続けた。


 「アカコが誰なのか、それを突き止めるには次の3つの条件が必要だ 


 条件1:一色葵さんと間違るほど顔、身長、声が似ていること。

 条件2:今井と土曜日にデートすることを知っていること。

 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。


 この3つの条件を満たせる人となると、かなり限られてくる。さっそく明日から調査を始めてみよう。お前は、一色さんに自分と似てる親戚がいないか、デートのことを誰かに話したかを聞いてみてくれ。俺は生徒会長を当たってみる。」

 「わかった」



***


10/6 (火)昼休み


 「いいかげん機嫌直してよ」

 今井はまだそっぽを向いて頬を膨らませている葵に言った。

 日曜日は葵から怒りの電話があったあと、次の日曜日にデートをやり直させてほしいと言っていた。


 「今週の日曜日は必ず行くから!ほんっとごめんね」

 葵には、今井がデートの日を勘違いしていたということにしてある。

 仮に土曜日に会った女性、アカコが葵ではない別人だった場合、葵を他の人と間違えるなんて彼女に知られたくなかった。


 今井は手を合わせてお願いした。葵は眼だけをちらりと今井のほうに寄せ、


 「次すっぽかしたらコロス」

 と言った。


 それにしても10/4 (日)の怒りの電話といい、今日のこの感じといい、葵は本当に怒っているようだった。

 葵が「土曜日は今井に会ってない」と嘘をついているのではという疑惑もあったが、本当になにも知らないのだろう。


 葵はおそらくシロだ。

 バス停であんな強引に誘ったにも関わらずデートに来てくれたことは嬉しかった。

 だからこそ申し訳ないことをしたと思った。


 「一色さんて、親戚に顔が似てる人とかいる?」

 今井は波多野から聞いておいてほしいといわれていた質問をした。


 「親戚?顔が似てる人はいないかな・・・いとこはみんな男だし」

 「そっかありがとう。それと、俺と出かけることって誰かに話したりしてる?」


 「なんでそんなこと聞くの?」

 「あっ・・えーー--っと一色さんって誰と仲がいいのかなって思って」

 「ああ」

 葵は納得したように答えた。


 「仲いいのはマリかな」

 「マリ?」

 「鈴木茉莉。今教室の後ろの方で喋ってるあの子」

 「おっけー、ありがとう」



***


 「鈴木さん、ちょっといいかな」

 今井は女子グループで固まって話している中に入り込み、輪の中の鈴木茉莉に話しかけた。女子グループの中に割って入るのは少し勇気が必要だったが、そんな悠長なことも言ってられなかった。

 「え、私?」

 茉莉は自分を指さして言った。


 学校指定ではない茶色のカーディガンを羽織り、ピンクのシュシュで束ねた少し赤みのある髪は毛先に向かって緩いカールを描いていた。長い爪にはピンク色のジェルネイル (多分校則違反) 短いスカートの丈から、健康的な太ももが伸びていた。

 

 今井が茉莉に話かけるのは初めてだった。女子グループは空気を察したように自然とばらけていった。


 葵によれば、茉莉は今井と葵が土曜日にデートに行くことを知っていた。

 つまり茉莉は土曜日に葵のふりをして今井の前に現れることが可能な人物ということになる。


 「アオにこくったんでしょ?」

 茉莉のほうから話を切り出した。

 「知ってたんだ」

 「うん」


 茉莉は目をキラキラさせながら今井に聞いてきた。

 「で?どうだった??」

 「なにが」

 「デート、いったんでしょ?どうだった???」


 「それが約束の日を俺が勘違いしててね。今週埋め合わせすることになったんだよ」

 「なーんだ。」

 茉莉はせっかく面白い話が聞けるを思ったのに・・とても言いたげな顔で口を尖らせた。しかし今井にはデートの話よりも茉莉から聞きたいことがあった。


 「ちなみに土曜日ってなにしてた?」

 「私?家にいたけど。なんでそんなこと聞くの?」

 「家でなにしてたの?」

 「テレビ見たりゴロゴロしたり。私インドア派だから」


 「家には鈴木さん以外誰かいた?」

 「私一人だけだよ。両親は出かけてたし。私一人っ子だから」

 「そっか、ありがとう」


 茉莉にアリバイはない。これで波多野が言っていた、

 条件2:土曜日にデートすることを知っていること。

 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。


 この二つの条件は満たされた。あとは茉莉が葵に近い容姿をしているかだ。今井は怪しまれない程度に茉莉の容姿を確認する。


 体形はまあ・・・同じくらいか。一色さんのほうが少し細いかも。身長も大体同じくらい。顔立ちは・・・あまり似てない。でも女子はメイクで化けるとか聞くし、一色さんの顔に寄せることもできるのか・・?髪色はアカコと似てる。鈴木さんがアカコなのか?俺は鈴木さんを一色さんと間違えるだろうか?


 茉莉が急に今井から目線をそらした。その目には教室の隅で、一人でもくもくと絵を描いている親友の姿が映っていることが今井にはわかった。


 「アオはさ」

 茉莉は今井の耳に顔を近づけ、こっそりと語り掛けるように言った。


 「きっとね、いろいろ考えすぎちゃう子だから。なんでも自分のせいにしちゃう。自分が頑張って人のために尽くしちゃうんだよ」

 「どういうこと?」


 「でもね。そんなことしたら自分の身が持たないでしょ?だから、アオのこと今井君が理解して守ってあげて」



 今井は、茉莉の言っていることはさっぱりわからなかった。

 この時はまだ______



***


10/6 (火)放課後


 波多野は一色翠のいる生徒会室を訪れていた。

 生徒会室の戸をトントンと叩くと、


 「どうぞ」

 すこし低く、はきはきとした声が中から聞こえた。

 中に入ると、


 首元まで切り揃えた綺麗な黒髪。日焼けした肌に誠実そうな顔立ち。生徒会室の一色翠が黒光したソファに座ってなにやら書類を描いていた。


 「失礼します」


 普段は礼儀もへったくれもない波多野だったが、この時ばかりは自分のしわしわのワイシャツを恥ずかしいと思った。


 「こんにちは、あなたは2年4組の波多野優紀くんね」

 「え、俺・・・いや僕のこと知ってるんですか?」


 「まあ、生徒会長だからね。全校生徒の顔と名前くらい覚えてるわよ」


 すごい。波多野は自分のクラスメイトすら全員覚えてないというのに。


 「なにか用があるの?」

 「ああ、はい」

 翠の存在感に圧倒されて本来の目的を忘れるところだった。まさにカリスマ性の塊。後輩からも尊敬されるわけだ。


 「妹さんのことで色々聞きたいと思いまして」

 翠の表情が一瞬少し曇った。波多野はその表情を見逃さなかった。


 「アオが・・妹がなにか?」

 「いえ、大したことではないんですが」

 「ちょっと待って。いまお茶でもいれるわ」


 翠はショーケースを開けてポットとカップと取り出しながら「紅茶でいい?」と聞いてきた。


 「あ、お構いなく」

 普段使わない言葉を使って答えた。


 波多野はその間に翠の容姿を確認する。顔をよく見ると、さすが姉妹というだけあって葵とよく似ている。


 背が高くすらりとした長くて細い脚。翠は姿勢がとてもいいせいか、身長が高く見える。体形もスポーツをしていることもあってか引き締まっている。

 多少違いはあれど、姿勢を葵に寄せたりオーバーサイズの服を着ればほとんど違いは判らない。翠と葵を見間違えることは充分考えられる。


 「どうぞ」

 翠が紅茶を入れてくれた。

 「ありがとうございます。」

 「なにか妹が、クラスメイトに迷惑をかけてるのかと思ったけど、そういうことではないのよね?」

 「いえいえ、そういうことではありません」

 「そう・・・・」


 ほっとしたように翠は紅茶を一口飲んだ。

 妹のことをかなり心配しているようだった。


 「妹さんが、先週の土曜日、クラスメイトとどこかに出かけたのは知っていますか?」

 「土曜日?」

 翠はすこし考え込みながら言った。


 「どこかに出かけるとは言ってた気がするけど、どこに行ったのか、誰と出かけるのかとかは知らいないわね」

 「そうですか」


 「では先週の土曜日、10時~15時ごろどこでなにをしていましたか?」

 翠はクスっと笑った。

 「なにか?」

 「いえ、なんだか推理小説みたいだなって」

 「いいから答えてください」


 「はいはい。土曜日は9時~16時まで部活があって、あっ私テニス部に所属しているのだけれど、その時間も練習してたわ。部活のメンバーに聞けば私が練習に参加していたという証明になるはずよ。」

 「そうですか。ありがとうございます。」

 容姿が葵と似ていると思ったが、今井とのデートの件も知らなそうだし、なにより土曜日10時~15時にアリバイがある。あとでテニス部にも確認してみるが、おそらく本当だろう。

 

 翠はシロか。


 「質問は以上かしら?」

 「ええ」

 「じゃあ、私からも質問していい?」

 「どうぞ」


 「葵になにかあったの?」


 翠は真剣な表情で聞いてきた。姉として妹が心配なのだろう。アカコの件を話すか。しかしこんな話、本当に信じてくれるだろうか。

 でも、翠は葵の姉。なにか情報が得られるかもしれない。翠の協力を得られるのはこちらとしても好都合だ。

 「実はですね・・・」


 波多野はアカコの件を話した。翠は耳を疑いながらも信じて聞いてくれた。


 「そんなことが・・・」

 「それを踏まえて少し聞きたいのですが、葵さんは小さいころどんな感じだったんですか?」


 「そうね・・・とても大人しい子だったわ。自分の意見がないみたいで、玩具もこれが欲しいとかあまり言わなかった。だから私たち姉妹はあんまり喧嘩もしなかったのよね。学校でも大人しかったみたいで休み時間は校庭でドッチボールするよりも図書室で本を読んでるようなタイプだった。」


 「なるほど」

 波多野は翠からの話をメモした。あとでなにか使えるかもしれない。 


 「そのニセ葵、『アカコ』さんが着ていた服装をもう一度教えてもらってもいいかしら」

 「はい、ピンク色のセータに金のネックレス、灰色のスカートだったみたいです」


 「ピンク色のセータに金のネックレス・・・・・」

 「なにか気づいたことでも?」

 「いえ、ほんと些細なことかもしれないのだけれど、その服装、葵が好きだった外国の童話に出てくる女の子の服装に似てるなと思ったの」

 「外国の童話?」


 「そう。ある貧しい家に赤い髪の女の子がいた。ある時お友達の誕生日会に呼ばれたの。でも女の子はボロボロの服しか持っていなかった。女の子は誕生日会に行って、周りの女の子と比較されるのが嫌だった。そんな彼女のもとに悪い魔女が現れとてもかわいい服を与えた。その服がピンク色のセーターに金色のネックレス、灰色のスカートという服だった。女の子はとても喜んで、無事に誕生日会に行くことができたの」

 

 「そんなお話しが」

 「ただこの話、すごく悲しい結末だった気がするの。私も小さいころに読んだ話だったから思い出せなくて・・・なんだったかしら」

 「その童話はなんというタイトルです?」

 「んー---っ・・・ごめんなさい。タイトルも思い出せないわ。」

 「わかりました、色々と教えていただきありがとうございます。ほかになにかわかったことがあったらこの電話番号に連絡してもらえませんか」

 「わかったわ」



***


 「翠先輩?確かに土曜日は9時から練習に参加してたけど」

 波多野は次に翠が所属しているテニス部に来ていた。ちょうど同じクラスの西田(にしだ) 果穂子(かほこ)がいたので彼女から話を聞いていた。


 「あの人まじめだからね。部長なのに8時くらいから来てグラウンドの整備してるよ。三年が早いとうちら二年がもっと早く来なきゃいけないから困るんだよ・・くそ」

 「翠先輩は何時ごろまで練習に参加してた?」

 「練習終わった後も一年の自主練とかに付き合ってたからね。帰ったの何時だろ。私が帰ったの16時半くらいだけどそんときまだ練習してからなー17時くらいじゃね?」


 「途中で練習を抜け出したりした時間はあった?」

 「あの人が用事もないのにそんなことするわけないじゃん。くそ真面目の堅物だよ」


 翠は後輩から慕われてると聞いたが、西田からは鬱陶しい存在になっているように感じられた。あれだけ有名で存在感のある人のことだ。慕う人がいる反面、一部の人からは嫌われているのかも知れない。

 

 「あんた、そんなこと聞いてどうすんの?」

 「まあ、ちょっと調べもの」

 「よくわかんないけどさ、一色翠にはあんま関わんないほうがいいと思うよ」


 「なんで?」

 「あの人変な噂あるから。」

 「変な噂?」

 「中学の時いじめにあってたとか」

 「いじめ?」

 「私も詳しいとこはわかんないけどいじめにあって病んで自殺未遂までしたとかどうとかって・・噂があるよ」


 「自殺未遂・・・あの翠会長が・・・」


 翠がいじめに遭ったうえ自殺未遂までしていたとは。あの自信に満ち溢れて堂々とした佇まいの翠からは想像もできない・・・果たして本当なのだろうか。

 スポーツ万能な上に成績優秀。おまけに容姿端麗。疎まれる可能性は充分あり得る。


 表向きは尊敬される超優等生。しかし、その仮面の下では周囲からの言葉の攻撃に必死で耐えているのかもしれない。  


 そのとき波多野の電話が鳴った。翠からだった。

 「うわっ、ちょっと本人登場かよ」

 西田はびくっとして足早に練習に戻っていった。


 「もしもし」

 「翠です。さっきの件で思い出したことがあったんだけれど、波多野君、いま大丈夫かしら」

 「はい、問題ありません」


 「さっきの童話の結末なんだけどね、誕生日会に参加した女の子はみんなからとてもちやほやされた。可愛い可愛いって。とても嬉しかったけど、本来の自分が好かれたわけじゃないことに気づいたの。どんなにおめかししても、貧乏な自分は変わらない。そこで魔女に服を返すといった。でも魔女は一度渡したものは受けとれないと言った。数日後に女の子の体に異変が起きた。おめかしした自分と貧乏な自分、どちらが本当の自分がわからなくなってしまったの。そう、魔女が女の子に与えたのは可愛い服ではなく、可愛い服が似合う別の人格だった。最後にはおめかししている自分と、もとの貧乏な自分が裂けて二人に分裂していまうというちょっと怖いお話なのよ」

 

 「分裂・・・・」

 「それで思い出したのよ、童話のタイトル」

 「なんです?」


 「“cleave(クリーヴ)” 日本語で二つに割れる、分裂するって意味ね」



***


10/11 (日)


 今井凛久はそわそわしながら一色葵を待っていた。

 女の子とデートをするのはこれで二回目だった。先週、女性とデートとして、今日は違う女性とデートをするなんて、なんか浮気者みたいな感じがした。

 いままで全く女っ気のなかった今井が、急にこんな女ったらしのようになったことに自分でも驚いていた。


 やはり、約束の一時間前にきて、今日のデートプランを復習していた。といっても、前回のデートプランとほとんど一緒だが。あれはもともと葵とデートするために今井が考案したデータプランだった。

 前回はデートプランも抜かりなくセッティングしていたが、映画のチケットを買い忘れてしまった。

 先週来たときも満員ではなかったし、まあ大丈夫だろう。


 約束の時間に少し遅れて、葵がやってきた。

 「お待たせ!ごめん、少し遅れちゃった」

 「うん、大丈夫だよ」


 少し青みがかった漆黒の髪は艶やかなストレート。

 胸元に紺色の大きなリボンを付けた青色のシャツには肩にフリルがついている。黒いスカートから伸びた青白い足は、底の厚い靴によってより長くすらりと見えた。

 目元に引いた紫のアイシャドウは葵の青白い肌ととても合っており、口元に引いたピンク色の紅だけが青と黒を主体とする服装の中で唯一、色っぽかった。


 今井はなぜかこの人は葵に違いないと思った。学校で感じていた葵の印象で、私服はこんな感じかなと想像していた。そのイメージ通りの服装だったからかもしれない。


 「今日はどこいくの?」

 今井は練りに練った今日のデートプランについて説明した。

 「映画かー-どんな映画?」

 「『君が落とした星空』っていう、いま旬の俳優さんが出てて、人気なんだって」

 今井はアカコのときと同じようにスマホで映画の公式サイトを開いて見せた。


 「ふーん。今井君こんな映画好きなの?」

 「俺が好きってわけじゃないけど」


 「じゃあなんでこの映画にしたの?」

 「それは・・女の子が好きそうな映画と思って」

 「なるほどね」


 葵は自分のスマホで「『紅蓮の刃』まだやってたかな」とぶつぶつ言いながら上映中の映画を調べた。スマホを触る手には、長い爪に青色のネイルが塗られていた。

 「あっ、まだやってるわ。よかったよかった。これにしよーよ。あたし『君が落とした星空』って映画全然興味ない」


 葵はスマホの画面で別の映画の公式サイトを見せた。「紅蓮の刃」というタイトルのアニメ映画だった。

 今井は、アニメ映画はあまり見ないし、「紅蓮の刃」も読んだことがなかったが、少し話題になっていた作品だったし、映画であればなんでもいいと思っていたので

 「いいけど」

 と答えた。


 チケットを買い忘れていてよかったと思った。



***


 「はぁぁぁ~~~~・・・やっっばい!!まじでやばかった!!!」


 映画館から出た葵は両手を頬にあて、映画の感傷に浸っていた。頬がほんのり赤くなって高揚していることがわかった。映画で泣いていたのか、目元のメイクが少し落ちていた。

 

 「確かに面白かったね」

 「紅蓮の刃」を知らない今井だったが、多少登場人物や物語の設定がわからない部分はあったがストーリーのメインとなるキャラクターは映画が初登場だったようで充分面白かった。

 

 「アニメ映画って俺あんまりみたことないんだけど、作画?かな。絵の表現がめっちゃかっこよくてすごかったね。」


 「そう!そうそうそう!!そうなの!!!」

 葵は「わかってんじゃん今井くん!!」と言いながら今井の肩をぽんぽん叩いた。


 「あの映画の製作会社が『usotable』ってところで、今井君fetaシリーズとかわかるかな・・・あの辺のアニメを作ってるとこで作画がめっちゃ綺麗だし、戦闘シーンは大迫力でさぁ・・・」

 

 映画の興奮が冷めないのか、ぴょんぴょん跳ねながらマシンガンのように話続ける葵。黒いスカートをひらひらさせながら楽しそうに話す姿はとても可愛らしいと思った。

 

 「いや~~~何回見てもいいね『紅蓮の刃』は」

 「え、まさか今見たの初めてじゃないの」

 「うん」

 「何回観たの」


 「んー--ちゃんと数えてはないけど、4,5,・・・・6回くらいじゃん?」

 すごい。今井も映画は好きだが、1回見れば充分だと思っていた。多くても2回程度だが、同じ映画を6回も見るなんて相当この映画が好きなんだと思った。


 「すごいねそんな観てるなんて・・・」


 「いい加減にしろ!!!!!」

 突然怒鳴り声が聞こえ、同時に子供の泣き声が聞こえた。

 その場にいた数人が一斉に声の方を見る。駄々をこねた子供に父親が怒っていたのだ。

 「びっくりしたーーーーー」


 突然の出来事に驚いていた今井に葵がすっと体を寄せてきた。

 ドキッとして葵を見ると顔は青ざめ、今井の服の裾を引っ張る小さな手はカタカタと小刻みに震えていた。


 「一色さん?」


 普通の驚き方じゃない。明らかに様子がおかしい。

 「場所変えようか。ほら行こう」


 場所を変え、人混みの少ないベンチに葵を座らせた。


 「お水いる?」

 「ありがと」

 ベンチでしばらく休むと顔色も良くなってきた。


 水を飲んで少し落ち着いた様子の葵が

 「ごめん、あたし男の人の怒鳴り声って苦手で・・・」

 と言った。


 なんだかそれ以上は聞いてはいけない気がして、「そうなんだ」としか答えられなかった。


 「大丈夫そう?」

 「もう大丈夫!今度はどこ行く?」

 「よかったら、カフェでお昼食べながらもう少し話そうよ」

 今井が誘うと、葵は顔をぱあっと明るくし、


 「いいよ!!あたしまだまだ全然話し足りないもん」

 と答えた。



***


 化粧を直してくると葵がトイレに行ったあとでカフェに入った。カフェでも葵のマシンガントークは続き、今井は相槌を打っていた。アニメの話をしているときの葵は本当に楽しそうで、今井も自然と笑みがこぼれた。

 

 そういえばアニメが好きな人は、アニメのキャラクターを好きになる、「推し」というのがあると聞いたことがあった。葵にもそういうのがあるのだろうか


 「一色さんは『紅蓮の刃』で誰が好きなの?」

 と聞くと葵は両手を口元に添え、「はあ~~~~」とゆっくりと息を吐き、


 「よくぞ聞いてくれました。」

 口元に添えた手をたたいて拍手して見せた。

 「善乃介くんです」

 「あー-、あの黄色い子?」

 「そう!も―――――ねえ・・・めっちゃ可愛いしかっこいいし・・・・んっ・・」


 葵が急に黙ってうつむいた。

 「一色さん?」

 どこか様子がおかしい。

 すぐに葵の隣に駆け寄ると、普段から青白い葵の肌がより一層青白く、血色がなくなっていた。葵は全身から冷や汗をかき、頭を手で押さえていた。


 「ごめん・・・ちょっと頭痛が・・・・」

 と言った。

 「ちょっとまたトイレ行ってくるね・・・」

 トイレに向かう途中、葵が「なんでこんな時に・・・」とつぶやいた気がした。


 取り残された今井は、鈴木茉莉が言っていたことを思い出した。


 (きっとね、いろいろ考えすぎちゃう子だから。なんでも自分のせいにしちゃう。自分が頑張って人のために尽くしちゃうんだよ)

 (でもね。そんなことしたら自分の身が持たないでしょ?だから、アオのこと今井君が理解して守ってあげて)


 もしかして葵は無理をしているのか?

 今井を楽しませようと無理に話しをしている?


 10分程経った後で葵が戻ってきた。

 「ごめんね、さっきなんの話してたっけ?」

 「今日はもう帰ろう」

 今井は言う。


 「どうして?」

 葵は寂しそうな顔をして今井を見た。 

 「さっき頭痛いって言ってたじゃん。一色さん無理してるでしょ」

 「え?あーーーー、あれ?大丈夫大丈夫。たまになるんだけど、すぐ直るし」


 茉莉が言っていたことが頭から離れない。

 「とにかく今日は帰ろう。元気になったらまた来ようよ」


 今井と葵はカフェを出て駅へ向かった。駅の改札前で今井は「じゃあここで」と言った。

 「んー-----・・・・」


 葵は今井の服の裾をつかんでなにか言いたそうにしていた。今井は葵の頭にそっと触れ、

 「今日は楽しかったよ。またアニメの話聞かせてね」

 と言った。


 「うん」

 「じゃあね」

 葵は今井と別れたあと何度も振り返って手を振っていた。


 本当にこれでよかったのか。

 葵は無理してたのか?

 葵の本心はきっと今井との時間を本当に楽しんでいるように感じていた。


 楽しいと思う心に体がついていけてないだけではないのか?

 葵自身それに気づいてないのでは・・・?

 

 葵が見えなくなったので、そろそろ帰ろうかと電車の時間を調べようとしたその時


 ふいに、懐かしいリンゴの香りがして、

 その瞬間にトントンと後ろから肩をたたかれた。

 振り返ると

 ピンク色のセーター、胸元に金色のネックレス。灰色のスカートから伸びた華奢な足。赤みがかかった茶色の髪。


 アカコがそこに

 今井の目の前に立っていた。


 「偶然だね。なにやってんの?」


 あの時感じたさわやかなリンゴの香りは、

 戦慄の記憶と結びつき、鬱陶しく今井の鼻孔を取り巻いていた。











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