第22話

 退しりぞいた片足をぐっと踏み込んで前に出ると、リードさんはその意志を汲み取って僕たちは更に前へ進む。


 リードさんと体を共有した状態で初めて自ら動き出したかもしれない。相手はそんな僕たちに気付くと、再び赤く燃えるような視線がこちらを睨みつける。


「えっ? 皆さん、どうされ……!?」


 ふと、僕たちとコピーの間から顔を出す一人の女性看護師。下の階の人がやっと……でも、もう走り出した僕の足は止まらない。


 思わず僕は足を止めそうになったが、背中を押すようにリードさんが勢いを殺さず前に進み続ける。自分で走っていた感覚が、今度は自分の意志に関係なく体が進む。


 支配されてる人達はまだ動く気配がない。おそらく指を弾く動作か、もしくはその音が彼ら彼女らを始動させる条件。


 なら拳銃を両手に構えていて、しかも相手は身動きがまともに取れない状態の今、逆転の機会。おじいさんが振り絞ってくれたその覚悟……無駄にはできない!


「コマンド:フィジカルブースト レベル ツーポイントゼロ」


 一瞬、相手の間合いに入る直前で、リードさんがそう口走った。すると前に進む勢いが、一歩を踏み出した瞬間、加速する。


 しかし、その一歩を踏み出した瞬間と、僕がさっき自ら走り出した時は体感的にあまり差異がない。


 それでも一歩踏み込むだけで相手との距離はぐんと縮まって、あと一歩もない距離まで来ると、降りていた相手の銃口が僕たちの方を向く。


 だが、その判断は遅く、リードさんが一足早く懐に構えた左の拳を突き出した。視認するにはいささか難しい速度で、自分の肩がギリギリ外れないぐらいの振り。


 しかし、本当に僅かな差で相手の判断が早く、片腕でガードされてしまった。


 それは拳を当てた時の感触と、壁に向かって吹き飛んでいく相手の体勢を見てなんとなく分かった。


「はぁ……はぁ……」


 拳を当てる直前、微かに銃声音が一つだけあったことを思い返す。


 その記憶を辿るように恐る恐る足元を見下げれば、血の池の真ん中で頭を浮かべているおじいさんの姿があった。


 目にした途端、息が詰まるような悔しさが頭の中を埋め尽くす。


 ……もっと、自分がしっかりしてれば……。あの時、まだ助けないで……リードさんの言うことを聞いていたら……このおじいさんを救えた未来があったかもしれない。


 ふと想い浮かんだのは、相手を捕まえた後に一人一人の耳にホワイトキューブを当てる自分の姿。


 そこには確かに、意識を取り戻したおじいさんがベッドの上で僕に微笑み返す姿があった。


 不意に心配になって両親の方を見返すと、二人は無傷のまま呆然と立ち尽くしている。


 できればここで相手を捕らえるまで、ずっとそうしていて欲しい。もうこれ以上の、犠牲は……。


 そんな、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない気持ちが、僕の肺と心臓をさいなむ。


「はぁ……老害のせいで……避けることもままならなかった。くっ……」


 相手は苦しそうに息を荒げ、脇腹を片腕で抑えている。


 ダメだ、これ以上は……危ない。楓の体に怪我をさせられない。巻き込んで吹っ飛んだ支配されてる男性の患者さんにも多少いらぬ負傷を与えてしまっている。


「リ、リードさん……さすがに、楓の体に怪我させるのは……」


「手加減は、できません……。私が守れる命には……限界があります」


 対して僕も、少しの距離を走っただけで普通に話すこともままならなくなって、ナースセンターのカウンター下で左肩をこすりながらずるずると床に膝を付く。


 リードさんがさっき口走ったコマンドとやらが原因か……いや、まだ昨夜の疲労とか筋肉痛の影響も……。そういえばご飯もまだだし、体力が……。


「あ、あの……三階でセーラー服を着た女子高生とジャージを着た男子高生、女の子の方は拳銃を所持して暴れています! あと血を流して倒れている老人の方が一名! 至急、応援をお願いします!」


 ナースセンターの奥の方から看護師さんのまくし立てる声が聞こえる。


 とりあえず応援を呼んでくれてるのはありがたいが、相手が拳銃を構えてまた犠牲が増えることになるかもかもしれない。


 むしろ応援が来る前に、ここでなんとか僕たちが……。


「はぁっ……はぁっ!」


 途端、急激に体が酸素を追い求めるようになってきた。マズい……とうとう息が……まともにできない。


 この感じ……喉がなにか塞がれてる感覚……苦しい……。


「でたらめな……。さすがに、その体であんな速度と力を出してくるとは……想定外だった。反応しきれなかった……」


 相手はそんなことを言ってるけど、しっかり片腕でガードするくらいには反応できていた。


 むしろあんな音速みたいなスピードでも対応できてるそっちの方がでたらめだ。


「……ちっ、腕が腫れている。引き金が……引けない。さすがに骨をやったか……」


「いけ、ますか……介様。とどめを……決着、を……」


 リードさんのしたいことは分かってる。でもさっきので、体が……頭が……耳鳴りがする。筋肉痛もあって、余計に体に力が入ってこない……。


 顔も上げられない僕の視界で、膝が血だまりに漬かっている。


 おじいさんのあの必死な姿。それを思うと、もっと何かできたんじゃないかって……まだどうしようもない悔しさが込み上げてくる。


 左手にはいつの間にか小さく収まっていたホワイトキューブ。きっとリードさんが相手から離れる直前でさりげなく手にしたのだろう。


 そして右手から零れて足元に転がったブラックボックス。両方あるのに……自分の体が弱いせいで、手は震えてるし力も入ってこなくて動けない。


 相手が引き金を引けてない今がチャンスなのに……。息が、苦しくて……手と脚に、力が……。


「ここは……一度撤退だ」


「っ、ま……!」


 声が……せめて立ち上がるくらいなら……いけるはず!


 震える体、荒い呼吸。それでも僕は手で壁を伝いながら立ち上がっていく。


 だが、その間に相手は難なく立ち上がり、両親がいる方へと歩いていく。


「退散だ。体を、貸せ」


 片方の拳銃だけ腰にしまうと、弱々しく指を鳴らす。


 するとお父さんの方が楓の体を背に乗せて、ナースセンター脇の廊下の奥へと進んでいく。遅れて、お母さんもその後ろを追っている。


「ま、待て……!」


 まるで熱中症になった時みたいに頭がグラグラする。まだちゃんと立つこともできていない。ヤバい、足に力が、入らなく……


「大丈夫ですか?」


 ガクッと膝が崩れ落ちそうになったのを、さっきナースセンターにいた女性看護師の方が体を支えてくれた。


「皆さん、どうしましたか!? しっかりしてください!」「担架、持ってきました!」


 気付けば次々と下の方から人が集まってきている。男性看護師の方や医者の方が駆けつけてきた。


 再度顔を上げると、そこにはもう相手の姿が、楓の姿が、お母さんとお父さんの姿がない。


 ひとまず危機は去ったのだと、そう思ってしまった僕はつい気を緩めてしまった。


 グラグラと頭の中をかき混ぜられてるような、渦の中に飲み込まれるような感覚に、この騒々しい中、僕の意識はひとり静かに落ちていった。

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