#3 現実を目の当たりにして

第23話

 微かに頭痛を覚えながら、ゆっくりと重たいまぶたを持ち上げる。最初に目に飛び込んできたのは、またあのシミのついたミルク色の天井だった。


『お目覚めですか、介様』


 あと、リードさん。


「いっ、つうぅ……」


 頭にズキンと重たい痛みが走る。徐に白い掛け布団を押しのけて起き上がると、心なしか両肩にのしかかる重力は何倍にも感じられた。


『私が無理をさせてしまったせいですね。申し訳ないです』


「いや……違うよ。それも、これも……全部、あの相手が悪いんだ」


 思い起こすのは、誰も救えなかった後悔。警官二人を殺されて……おじいさんを救おうとしたら、僕の甘い判断で……。


「まあ……うん。僕にも、悪いところはあったんだけど……」


 ぶつぶつと呟きながらゆっくり目線を上げると、さっきとは病室の雰囲気が違うことに気が付いた。


 さっと見渡して、僕はそこが最初に目覚めたあの病室ではないと分かった。なぜなら弾痕がないからだ。


 部屋の間取りは全く一緒だが、防弾ガラスには罅が入ってないし、壁やベッドにも弾痕のようなものがない。


 しかし、窓辺に掛けられた僕のブレザーと制鞄にはちょっとだけ穴が空いていた。


「ここって……」


『どうやら二階の空き病室に運ばれたようですね。三階は大人達でごった返してます』


「そう、なんだ……」


 上からは物音が聞こえるわけじゃないけど、少し黙ってみると、微かだがどこからか慌ただしい物音がする。


 病室の扉越しからは、ゴワゴワとまるでイヤホンから漏れてる音のように人の声が聞こえてくる。


『今は頭を枕に付けて休まれた方が』


「訊きたいこと、あるんだけど……」


 リードさんの言葉に被せて、僕は食い気味に訊き出した。


『この世界の話や私の話をするなら、今でなくてもいいのでは……』


「ううん、違う。訊きたいのは、さっきのこと」


『……私が、力を貸さないと言ったことですか』


 言わずとも、リードさんには伝わってしまうらしい。僕が小さく頷くと、リードさんはすぐさま口を割る。


『あれは、そういう陽動です』


「陽動……?」


『はい。わざとそうすることで、アイ・コピーに攻撃の隙を与え、姿を出すか見計らったのです』


「じゃあ、僕を見限ったっていうのは……」


 恐る恐る訊ねると、リードさんは静かに首を横に振って見せた。


『私は、昨夜……介様に約束しました。必ず介様を救うと、無事を保証すると』


 言われて僕は、リードさんが選択するよう迫ってきた昨夜のことを思い返す。


 相手に銃口を向けられて、携帯を耳に当てろと言われて、怯えながらも目前の選択ウインドウを押したあの時のこと。


「あれは、その場だけのもので……別に僕は、自分が生きれると思った選択をしたに過ぎないし……。そんなに重く受け止めてないというか……」


『いいえ』


 また首を横に振ってみせ、しかしそれは言外に、介様がそうだとしても私はそう受け止めていると伝えてるようだった。


『私がここに来た最大の目的は、介様を守ること。あなたが無事でなくなったら、それこそ目的達成は不可能。私が介様のもとに来た意味がありません』


 そう言われたけれど、なんだか腑に落ちない。けれど、その蟠りの正体も判然とせず、深く考え出すと余計に頭が痛くなりそうなので、僕はさっきの話に戻すことにした。


「リードさんは、さっき……接近戦を狙ってたってこと?」


『はい。そう陽動しましたから』


「じゃあ……もし、銃口を頭に当てられる前に僕がブラックボックスを耳に当ててたら……どうしてたの?」


『介様が「キャプチャー」と口走る前に私が攻撃を加えに動き出します。拳銃を頭に突き付けられずとも、あの距離なら対処が可能です』


 うーん……やっぱり納得いかない。


「僕のこと……怒らないの?」


『怒るいわれがありません。確かにリスクを負ってでも、ご老人の方を助けに行っていました。けれどそれは、介様独自の思考であると理解しています。それこそ私も、介様をえさにするようなことをしてしまった訳で』


「そうじゃない、そうじゃないよ! 僕がそういう考えだからとかじゃなく……判断として、正しかったのか……って」


 思わず感情的に叫んでしまって、また後悔と罪悪感が脳裏を過る。リードさんにこんな強い口調、ダメだって分かってるはずなのに……。


「あ、介くん。起きてたのね」


 慌ただしい廊下から病室に入ってきたのは、看護服姿の孝子さんだった。


「孝子さん……」


 もしかしたら相手に支配されて……とか思ってたけど、いつも通りな様子に安堵の息が漏れる。


『私は一旦、視界から消えます』


 そう言うと、リードさんは静かに僕の前から消える。


 罪悪感に後ろ髪引かれながらも、僕は孝子さんの前ではなんでもないような顔をしてみせた。


「大丈夫? 体に傷とかはなかったみたいだけど……どこか痛いとこない?」


「……うん、大丈夫」


 ダメだ……孝子さんの顔を見ると、また安心して泣き出しそうになる。耐えろ、自分。涙腺まで弱くなってどうする……。


「それより孝子さん。あの……上の階はどうなってるの? 患者の人とか、みんな……ちゃんと話せてる? 記憶とか……」


 意識を逸らそうと、涙を振り払って別の話で気を紛らわせる。すると、孝子さんはなんだか浮かない顔をした。


「患者さんはみんな、眠ってる。ちゃんと呼吸もあったから、生きてる。話せるかどうか、そこまでは……起きてもらわないことには、なんとも」


「……そっか」


 まだ眠ってるんじゃ、コピーの支配から解けたか分からない。でも、誰も死んでないというのはひと安心だ。


 このまま、みんなが釜井さんのように自分の意識を取り戻してくれればいいんだけど……。


「介くん……もしかして、何か恨まれることでもした?」


「え? いや、そんなこと……。みんなちゃんと初対面の人だよ」


「でもなんか、拳銃持った女の子と殺りやってたとか……。ほんとは、めちゃくちゃ恨まれるようなことしたんじゃない?」


「そんな恐ろしいこと言わないでよ……」


 しかし、相手が人間を恨んでいるという点においては確かだ。その全ての憎悪を僕に向けてくるような相手だったし……。


「孝子さん」


「ん?」


「いや、あの……僕に、何があったのか……訊かないのかな、って」


 思いの外、孝子さんはあっけらかんとしてるものだから、我慢できずに僕から訊ねた。正面切って言うのも煩わしく思い、ちょっとだけ視線をはすに逸らす。


「訊いた方がよかった?」


「……でも、また僕、事情聴取とか言うのを重ねて訊かれそうだし」


「そうかもね。でも私は訊かない」


 きっぱりと、そう言われた。


「なんで……」


「ほら、今は食事タイムだし」


「……え?」


「はい、これ」


 意味不明な前置きをして、孝子さんは目の前のベッドテーブルに小さなトートバッグを置く。


「病室に置きっぱなしだったって? まったく……冷めたらどうすんの? せっかく作ってきてあげたのに」


「いや……うん」


 それどころじゃなかったし……と思ってると、傍で孝子さんはそそくさと中身を取り出す。


 改めてトートバッグを見てみると、持ち手の辺りに弾痕と思しき穴が一つあったが、それほど注視するほどのものでもない。人で言えば軽いさっしょう程度だ。

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