第24話

「せっかく介くんのために用意したんだからねー」


「あ、はい……ありがとうございます」


「えー、何そのたどたどしい感じ。家族なんだから普通でいいのにー」


「いや、別にそういうわけじゃ……」


 僕はただ、いろいろと申し訳ない気持ちでいっぱいなだけ。弁当の件もそうだけど、楓のことも今は口に出せない。


 僕は孝子さんに何もしてあげられないんだと思うと、また罪悪感で心が蝕まれていく。


「というか、話戻るんだけど……これ、別に作ったわけじゃないよね? コンビニのやつを詰め込んだ弁当だよね?」


「無粋なことを言うねぇ……。まあ中身はどうあれ、弁当という形を作ったんだから実質手料理!」


「暴論すぎる……」


 病室に掛けられていた時計をちらと見やれば、とっくに正午は過ぎていた。


 僕自身も食欲がないわけじゃないし、昨夜から何も食べてないから早く腹に入れたいとは思う。


 ただ殺人現場と死体と血だまりと……それと、何もできなかった自分の弱さが脳裏に焼き付いていて、物を飲み込むのはしんどいかもしれない。


 それでも……食べなきゃいけない。腹を空かせたまま動くとどうなるのか、身をもって体験したばかりだ。


「じゃあ……いただきます」


「はーい! どうぞー!」


「あ……孝子さん、仕事に戻らなくていいの?」


「あ、うん。上は人が多くなるとむしろ邪魔になるからって立ち入らないよう言われたし、ちょうど昼休憩だから大丈夫。でも呼ばれたらすぐに行くし。心配しなくてオッケー」


「……そっか」


 内心邪魔者扱いされてないですかと思いつつも、孝子さんの笑顔を見てそれはいらない心配だと分かる。


 僕が心置きなく弁当箱を開けていると、その隣で孝子さんが水筒を開けてくれていた。


「あ、水筒の中身が汁物になってるって言ったっけ?」


「それはまだ……何が入ってるの?」


「わかめスープ。卵入りの」


「あー、僕の好きなやつ。それもコンビニの?」


「……い、いや……」


 目線を逸らすってことは、絶対一緒に買ってきたんだろうな……。多分インスタントのやつ。


「まあ、スープ系に関して僕は別にインスタントのやつでもいいけど。朝ご飯の味噌汁はいつも、インスタントのもの……」


 ふと、脳裏に昨朝の光景が過る。孝子さんと楓と一緒に朝食を囲んだダイニングテーブル。


 もし今から家に帰っても、もうその光景は、楓のあの笑顔は見れないのだと思うと、言葉が詰まってしまった。


 楓の体は無事だろうか……お腹を空かせてるんじゃないか……。そんなことを考え始めたら、広げた弁当と水筒に口を付けることになんだか負い目を感じてしまう。


「え、そうだったの!?」


 逡巡していると、孝子さんの驚いた声が頭に轟いて現実に引き戻された。


「てっきり味噌からいで作ってるのかと!?」


「そんな作る時間ないから、いつもインスタントだよ。楓が作る時もそう」


「え、そうなんだ……」


 なぜかしょんぼりしてる孝子さんをよそに、僕はとっくに広げてしまった弁当が冷めないうちに手を付け……ようとしたが、ふと疑問が一つだけ湧いた。


「そういえば、楓の分のお弁当とかは用意してたの?」


「もちろん、そこはちゃんとね」


「そっか……そうだよね」


 孝子さんがそれ以上言わないから、僕もそれ以上は訊かないことにし。俯いた視線そのままに、僕は早速弁当をしたためる。


 そして、ひと目見て思ったことは……


「まんまやん……これ」


 一段目は一面真っ白の白米にところどころ黒いゴマが撒かれている。見るからにコンビニ弁当のご飯をそのままドンと入れたやつだと分かる。


 二段目はハンバーグやらスパゲッティやら、紙カップに入ったポテトサラダやら。これは多分、ハンバーグ弁当じゃ……。


「い、一応……電子レンジで温めてから、入れてるからさー……」


「別に中身の文句は特にないけど……ただやっぱり、弁当箱に入れる手間は必要だったのかなーって」


 申し訳程度に疑問を呈すが、孝子さんはしゅんと肩を竦ませて落ち込んでいた。


 まあ、トートバッグを渡された時に保温のためと孝子さんも言ってたし、おそらくいつ起きても温かいものが食べられるにしてくれたのだろう。うん、そう思うことにしよう。


 これ以上言ってしまうとせっかくの孝子さんの厚意を無碍むげにしてしまいそうだから、僕は静かに箸を進め始める。


「どう? おいしい?」


「……うん、おいしい。でも割とコンビニのやつって分かるね、これ」


「えー……じゃあ、そこまで言うなら……料理作ってこようか?」


「あ、いや……大丈夫! こう見えて、これでも全然満足してるから! なにより温かい弁当はおいしい!」


 孝子さん、一度チューハイを料理に掛けてフランベだとか言って無茶やったことがあるから怖いんだよね……。二十歳未満はお酒無理だって言うのに。


 しかも、できた料理はとてもじゃないけど食べられなかった。すごい苦かったことと、楓と一緒に頭をくらくらさせた過去は忘れられない。


「なんか……無理やり笑顔作ってない?」


「ぜ、全然? むしろこれは、体にやっと栄養のある物が入ってきて喜んでることを表してるってだけだから! ほら、体は嘘を吐けないし!」


「ふーん……」


 心底信じてないという顔だなぁ……。まあこの程度の嘘は容易く見抜かれるか。


 でもやっぱり体は正直で、箸を進める手は止まらない。噛むことすら忘れて、僕はおかずや白米を淡々と腹の中に入れていく。


「ゆっくり食べなよ。噛んで食べることも大事なんだよ? 唾液の分泌を促して虫歯や歯肉炎の予防になるし、脳の前頭前野とか海馬に良い影響を与えてくれるし、満腹中枢が増えて食欲が抑えられるからダイエットにもなるし。あ、でも介くんの場合はむしろもっと食べてほしいから噛まなくてもいいけど」


「言ってることが最初と最後で変わってるんだけど……。てか、噛まないと喉詰まらせるし……。あと、さらっと職業病みたいな一面出てますよ」


「だって家族の健康面を気にするのは大事なことでしょ?」


「そう言う割には孝子さん、お酒はほぼ毎日飲んでますよね」


「べ、別に……最近は、一日一本までに止めてるんだから、いいじゃん。それに、ほら……アルコールの適度な摂取は認知症予防にもなるらしいし……」


「はぁ、そうなんですか」


 興味ないですオーラを放つと、孝子さんにむすっと睨みつけられた。こちらとしては、いつもお酒の注意をする実にもなってもらいたい。


 この人、酔っぱらったら物を散らかす癖があるんだよなぁ……。できれば喋り散らかすだけに留めてほしいんだが、気付いた時にはダイニングテーブルの上とかテレビ周りとか台所付近がすごいことになってる。


 そしてそうなったら最後、まるで遊び尽くしたとばかりにトイレで吐くという……。


「……ごちそうさまでした」


「お、食べるの早っ! おいしかった?」


「うん。まだスープの方は全部飲めてないけど……でも、ひと息吐ける程度には」


「そっか。良かった」


 穏やかにむや、孝子さんは別で持ってきていたバッグから徐に一枚のポケットティッシュを取り出して僕に差し出す。


 言われずとも、それが口元を綺麗にしなさいと暗に伝えてるものだと分かって、僕は受け取るや否や口をぬぐった。


「じゃあ私、そろそろ戻ろうかなー」


「あ、うん。お仕事頑張って」


「あ、介くん。今日中にここを退室するよう言われてるから」


「あ、うん。分かった」


 まああれだけの惨事を起こしたんだから、追い出されるのも仕方ない。ベッドを貸していただいただけでも充分。


「あ、別に三階のめちゃくちゃな件は関係ないから。再診断を受けたことを院長に報告したら、そう言い渡されたってだけ」


「あ、そういうこと」


 なんだ、てっきり怒られてるのかと……。


「いつ出ればいいんですか?」


「今からもう出るなら、私から言っとくけど?」


「今から……でも僕、上の階のこと、訊かれたりするんじゃ……」


「あっそれ、警察の人が来て『監視カメラに残された病院内の映像、病院側の調査をひと通り終えてから後日ご自宅に訪ねに行きます』って言ってた。だから今日は安心して帰宅してオッケーだよ」


「……そうですか」


 もう警察も来てたんだ。そういえば、あれから……約三時間か。来ていてもおかしくないな。


「もう今から帰るつもり?」


「……ううん、もうちょっといる」


「そっか。帰る時は、ちゃんと荷物まとめて部屋から出てね。忘れ物とか気を付けて」


「……」


「ん?」


 何かを言おうとして、けれど上手く声が出なかった。しかし、そのまま言い淀んでいたらいらぬ心配をかけることになる。


「ひとつだけ、いい?」


「……うん」


 僕が僅かに頬を引きつらせながら慎重に訊き出すと、孝子さんはなんてことない顔で首を縦に振ってくれた。

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