第25話

「楓って、本当に違う病室で寝てたの?」


「うん、寝てたよ」


「……そっか。分かった」


 今になって、シャワーの帰りにでも各部屋を周っておけばよかったと後悔してる。あの時が楓を視認できる最後のチャンスだったかもしれない……と。


 そんな暗く重たい気持ちを押し殺して、ひとまず僕は口を引き結ぶ。孝子さんは僕に微笑み返すと、そそくさと病室を後にしていった。


 とりあえず、孝子さんが無事だったというだけでも良かった。今はそう思うしかない。


「……リードさん」


『はい』


 あんな会話の後だから、きっと呼び掛けても出てくるのを渋るんじゃないのか……なんて思ったけど、彼女はすんなりと僕の視界に現れてくれた。


「その……さっきは、ごめん。感情的に言っちゃって……」


『いえ。こちらも介様との接し方を改めていたところです』


「いや、リードさんは悪くないよ。なにも悪くない。あんな状況で、リードさんの言葉を素直に聞けてなかった僕に落ち度があったし」


 あの状況に慣れてるのは明らかにリードさんの方だ。なのに僕は、目先の感情に囚われて判断を誤った。


 少し考えればリードさんの考えに従うべきだと分かることなのに。


「リードさんは、相手への陽動とか言ってたけど……本当は、僕の過ちを指摘したん、じゃないの?」


 恐る恐る訊ねると、リードさんは少しの間を置いてから話し出す。


『介様のおっしゃる通り、そう言った意味も含んではいます。けれどそれは二の次。むしろ私は、本当に介様独自の行動だと考えています。苦しんでいる人を見かけれたら真っ先に駆けつける。自分よりも他人を思って動くその心持ちは決して強く責められるものではないですし、恥じるものではありません』


「……でも、僕は先に相手を探して捕らえてから、おじいさんを助ければ……って思い直したよ。苦しそうに見えたけど、でも実際は苦しいんじゃなくて、ただ体を乗っ取られていただけ。苦しいから唸ってたとか、きっとそういうことじゃなかったんじゃないかって」


 他に支配されてた人からは見られない反応だったから、あの時僕はおじいさんが苦しんでるんだと思った。


 実際はどうかなんて知らない。本当に苦しんでいたのかもしれないし、相手に支配されてた人は一様に呻き声を上げるのかもしれない。


 でも……どちらにせよ、僕があの時取った行動が最善手でなかったことは確実に言える。


『慣れない状況で判断が鈍ってしまうのはよくあることです。大切なのは、もし今回の件で自分の欠点を認められたなら……次はどうするべきか、どうしたらいいのか。絶えず思考を凝らし、改善に努めることです』


 理屈では分かってる。自分がどれだけ悔やんでも過去は変わらない。自分が起こした結果をずっと引きずるくらいなら、次の時までに改善策を見出した方がいい。


 ……でも……それよりも……僕にとって、亡くなった命は比較にならないくらい重たかった。自分が選んで動いたからこそ、余計深刻に考えてしまう。


『過去を悔やみ続けるのではなく、次また相手が現れた時に備えるべきです。次のステップにいける人は、どの世界でも問わず、また前を向き、進み続ける意志を絶やすことはありません』


 果たして、今の僕は堂々と前を向けるだろうか。背中を丸くして俯いてる自分は、どうしたら顔を上げられるだろうか。


「ねぇ、リードさん。僕のこと……本当に責めないの?」


 もう自分が何を望んでいるかなんて、正直分かり切っている。


 それは……リードさんに、僕の失態を責めてもらうことだ。


 自分が裁かれることで、あの選択は失敗だったと、最もな言葉でリードさんに指摘してもうらことで間違ったことをしたのだと確定してもらうこと。


 そう直接言えばいいものを、僕は回りくどく訊いた。


『……咎めて欲しいのですか?』


「別に……欲しい、とかでは……」


 本当はそうして欲しい。そうしないと、僕はずっとこのモヤモヤした罪悪感を拭えない気がする。


 リードさんの言う通り、もう過去は変えられないから。だから……前を向けるようになりたい。この心の中に留まるもやを払って、俯いた視線を上げたい。


 リードさんなら僕を裁いてくれる……なんて変な期待を持ってたけど、彼女はなぜだか僕と同じ調子で話し出す。


『かく言う私も、あなたを餌にするような策を講じました。私は介様の意見を尊重しています。けれど、それを餌代わりにして相手をおびき出したも同然。私も上から物を言えるような立場ではありません。今回のご老人の死は、少なからず私にも落ち度があると存じます』


 頭から冷水を掛けられた気がした。そう言われると、確かにリードさんのしたこともどこか間違っていたように思える。


 今になって僕は、罪悪感を裁いて欲しいなどと我がままを押し付けてる自分に呆れる。


 なぜ自分だけが、いい思いをしようとしてるんだろう……。僕は、どこまでいってもこうなのか……。


『もし、その罪悪感を拭いたいのであれば……介様自身が、強くなる他ありません』


 それは極論に聞こえるけれど、これ以上ない最善策だとも思った。


「僕が、強くなれば……リードさんは不自由なく、僕の体を扱える。そういうことでしょ?」


『その通りです。介様の体は、お世辞にも強いとは言えません。細身で瘦せ型。体力は弱く、息はすぐに乱れてしまう。けれどトレーニングしていけば、ある程度には仕上がります。始めるなら一日でも早い方が良いでしょう』


 リードさんの口調は真剣そのもので、気付けば僕の気持ちもそちらに傾いている。


 心の中を支配してた靄に一筋の光が差したような、きっとこれが前を向く機会なんだと感じた。


「……分かった。一日でも、早い方がいいよね」


 この期に及んで反対する気持ちなど全くなかった。むしろ僕もずっと思っていた事だ。


『今日のように、またいつどこで相対するか分からないですから。でも無理は禁物です。やりすぎは逆に毒です。本当にいけますか? 体の調子とかは大丈夫ですか?』


 筋肉痛はまだ全然あるけど、それは決して怪我とかではないし、骨折したり捻ったりもしてない。


 ご飯も食べて腹は膨れてるし、筋肉痛にさえ眼を瞑れば……いける。死ぬことに比べれば、筋肉痛なんて……。


「筋肉痛はあるけど……でもそれくらい」


『つまり、今からやるということですか?』


「うん。ちょうど体操服だしね。でも一旦、家に帰るよ。荷物あるし」


 そう言いつつ、壁に掛けてあるブレザーと棚の上に置かれた制鞄に穴があるのが気に掛かる。


 学校を休みにしてもらえて逆に良かったと思う反面、明日は金曜日。明日こそは学校に行かないといけない。


 でもまあ、うちは必ずしも制鞄じゃないといけないってわけではないし、今の時期はカーディガンで凌げる寒さだからブレザーを着ていかなくても大丈夫だと思うけど。


『了解しました。では今日から早速トレーニングをしようと思います。できれば午後二時までに開始したいです』


「場所は決まってるの?」


『はい、ちょうど良いところが。介様のご自宅の近所に、大きな公園があります』


 ……大仙だいせん公園、か……。

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