第26話

 大仙だいせん公園は、あの世界遺産にも認定された百舌鳥・古市古墳群の一つ、大仙古墳のすぐ近くにある。


 大きさは……東京ドーム何個分あるかは知らないけど、とにかく広い。公園内には博物館、図書館、庭園と、草原が広がる広場や遊具が設けられている。


 かく言う僕はこの公園にあまり訪れない。学校に行くときは逆方面だし、買い物に行く時は公園近くを通ることはあれど、中に入ることはない。


 しかし、それ相応の広さがあるのは外から見ても分かるし、ご高齢の方々がランニングする姿を適度に見掛けることがある。


 僕もその人達のようにわいわい話したり、自分のペースを保ちながら爽やかな汗を搔いてトレーニングに励むのだろう。


『歩くにはまだ早いです! あと三十秒! 最後の一滴まで体から汗を絞って!』


 そんなイメージとは程遠い、さながらむちを打たれながら突っ走る馬のような気分を僕は味わっていた。


 爽やかな汗を掻いてるというよりは、激しい豪雨に全身を打たれてる感じだ。


「あ、あの……! さすがに、一旦……休ませて……もらえま、せんか?」


『さっき水飲み場に寄りました』


「さ、さっきって……十分くらい前じゃない?」


 もう腕と脚にはほとんど力が入らない。今つねられても痛みを感じない謎の自信がある。


 横腹はだいぶ前から痛くて、まるで全身の痛覚がここに集まってるみたいだ。


『これくらいでへこたれてはいけません。走る距離だって、公園の中でも短い方を選択してます。大広場ではなく、池を一周ぐるっと走ってるだけです』


「や、やりすぎは……逆に毒なんじゃ……」


『大丈夫です。あと十秒! 全力で! 足を止めない! 息を絶やさない!』


 今すぐ足を止めたい。でも足を止めたら、リードさんが強制的に僕の体を動かそうとしてくる。


 代わりに走ってくれてると言えば聞こえは良いけど、その分の疲労は全て僕の体に蓄積される。


 すなわち……足を止めようが止めまいが、体力は減っていく!


『あと五秒です!』


 とはいえ、幸いにも平日お昼の公園でランニングしてる人は僅かだし、公園で遊ぶ子供や広場にいる人も数えるほど。


 きつすぎて変な声を上げたとしても、人目に怯える心配はほとんどない。まあその分、今の自分の体がどうなってしまうのか気になって仕方ないんだけど!


『終了です。今度は少し歩いてから、水分補給をしましょう』


「へ……へぇ? あ……歩く、って……。ちょっ、ちょっと、座っても……」


『今座り込んだら、動き出すのがしんどくなります。話す元気があるなら大丈夫です』


「お、鬼すぎるっ……!」


 もしかしたら、ここまでキツいと思ったのは人生で初めてかもしれない。学校の体育でやった持久走以上にしんどい。


 ダメだ、もう頭が重い……。口と鼻の中はカラカラだし、勢いよく吸ったり吐いたりしたら、舌とか口の中の粘膜が切れそう……。


 多少の覚悟はしてたけど、まさか走るだけでここまでとは……。筋肉痛があるとはいえ、ほんと自分って全然なんだな……。


『しかし、私達が相手をするのは人智を超えたAI。介様は体感して分かったと思いますが、今の介様の体でアイ・コピーを相手に勝ち越すことは難しいです。しかも、この仮想世界は私達AIにとって主戦場そのもの。多少の制約はもうけられてるみたいですが』


「せ、制約? なにそれ……」


『その話はのちほど。あと二十メートル先を歩くと、さきほど利用した水飲み場があります。先に水分補給を済ませてください』


「……は……はい……」


 重い足取りのまま樹々が立ち並ぶ道に入ると、そこには遊具が設けられた小さな広場がある。その傍らに水が飲める水栓が置いてある。


 ここまで来ると、子供達やその親御さんの姿が散見されるようになる。この中を数分前までゼーハーと息を切らしながら走ってたと思うと恥ずかしすぎて逃げ出したくなる。


 僕はできるだけ足早に水飲み場まで駆け込んで、乾いた口の中を水で満たした。


『そんなに水を一気に飲み下すとおぼれてしまいますよ』


 むしろもう溺れたい。このまま水の中で過ごしたい。秋分の日が過ぎたというのに、昼間の外はまだ残暑がじんわりと漂っている。


 今日の最高気温は二十九度らしい。僕も含めて、公園内では半袖を着てる人がいる。


「うぉー……なんか血の味がするけど、水ってすごい美味しい」


『目標の一つとして、まずは二分間ランニングしても息が切れない程度には介様の体を鍛え上げたいと考えています』


「いや、小休憩中にそんなこと言われると、やる気が……」


『大丈夫です。毎日走るだけではありません。ちゃんと介様にふさわしいトレーニングメニューを考案しています』


「……」


 絶対に嘘だと思う。相当なハードトレーニングが待ち受けてる気しかしない。


「それで……さっき言ってた制約って、なんなの?」


 トレーニングの話を耳にすることすら苦痛になってきたので、僕はさっきの話を振りながらさり気なく近場にあった長椅子に腰かけた。


『それには二つの意味があります。一つは、私たちが現実世界で発揮してる本来の力が発揮できないという意味。例えばアイ・コピーは、分体というもので人の体を支配して、動かしています。それは相手が力を使っているからです』


「力?」


『はい。実は、AIに各々ちからがあります。例えば、アイ・コピーには自身を複製する複製ふくせいの力が備わっています』


「複製の力……あ、分体ってそういう……。え、でも待って。それじゃ……普通に戦っても勝てなくない? リードさんには、何か力が……?」


 訊くと、リードさんはもちろんとばかり深く頷いてみせる。


『あります。私はとうの力です。人の脳内を覗くことができ、思考を読むことが可能です』


「え、なにそれ、怖っ」


『別に洗脳とかマインドコントロールとか、そういう類のものではありません。ただ見透かすだけで、私の方から手を加えるようなことは一切できませんので』


 まあ、さすがにそうなのか。そんなことできたら、僕なんかもう体力切れて無理やり走らされたりとか、奴隷みたいな扱われ方してるだろうなぁ……。


『でもこの力はこの世界に来て制限が加わりました。私は本来、対象に意識を向けるだけでその対象の思考を読むことができるのですが、この世界に来てからは意識ではなく、焦点を当てないと対象の脳内、思考を見透かすことができなくなってるようです』


「へぇ……あ、じゃあ眼は閉じないでとか言ってたのって……」


『お察しの通り、銃弾は相手がどこをどう狙ってくるのか、その思考を透視した上で避けていますので。できれば瞼を閉じるのは止してもらいたいです』


「え、あ……え!? あ、あんな一瞬で!? あんな……乱暴な戦い方の真っ最中に……相手の思考を!?」


『それぐらいの処理なら一秒も要しません。AIですから』


 そうだった……そもそもこの方、人じゃないんだ。もう、頭がぁ……。


『それと、私達AIが基本技能として持ち合わせてる解析と演算。この二つと透視の力を組み合わせることで、私は極めて正確に相手の行動を予測することも可能です』


「え、もしかして……リードさんの力って、結構強い?」


『それは時と場合によるとしか言えません。予測も百発百中ではありません。ただ、現状介様の体の状態ではどのような戦況においても勝算は低いと言わざるを得ません。相手の行動を予測できたとしても、対応できるだけの体力と筋力が備わってなければ意味がありませんから』


「……すみません」


 めちゃくちゃメンタル削られる……。こんなことを言われるより、まだ走ってた方が楽かもしれない。


『そして制約の意味のもう一つは、今指摘したパフォーマンス。私の諸々の実力は介様の体力面と筋力面に依存するということ。介様が連続して走り続けられる記録が二分までなら私が介様の体で走り続けられるのも二分まで。介様が二十キログラムのものまでしか持ち上げられないのであれば私が介様の体で持ち上げられるのも同様に二十キログラムまでになります』


 自分の体の出来の悪さにしょげてたら、追い打ちをかけるように二つ目の意味を説いてくるリードさん。


 そんな悪気ない感じで話されるのが余計に胸に来るんですが……。


「なんか……すみません」


『別に何も責めてはいません。ただ実際、介様の体が私の俊敏な動きによる負荷に耐え切れず、すぐに足も重たく動きづらくなって介様の体は悲鳴を上げていましたけど』


 今謝ったのに……なんでそんな追い打ちかけてくる感じなの……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る