第21話

 見間違えるはずがない。髪は灰緑色に染まってるけど、服装は黒いスーツで、どこか疲れた顔つき。目、口、鼻、耳、眉毛の位置まで……すべて見知ったものだ。


 しかし、現れた二人の姿は見るに堪えないものがある。スーツはボロボロで、頬や額は汚れていて、髪なんてボサボサで長くなって……一体、どうしてそんな……。


「お母さん!? お父さん!?」


「おい、わめくな。さっさとやれ」


 いや、今は見た目なんてどうでもいい。二人が無事ならなんだっていい。声だけでも、聞かせてほしい!


「お母さん! お父さん!」


「聞いてるのか! さっさとやれと言ってるんだ!」


 途端、相手は荒い語調と一緒に、僕のこめかみにぐいっと銃口を当ててきた。


 僕は恐怖のあまりつい「ひっ……」と変な声を上げ、喉の奥では空気が何度も荒々しく行き交い始める。


「私の要求がそんなに難しいか! それともお前の大切なものを壊してもいいということか!?」


「ち、ちがっ……」


「なら! 分かるよなぁ!? 私の言いたいことが!!」


 怖くて……目も開けられない。右手に握っているそれを耳に当てればいいだけ。


 でも……手が震えて、うまく動かせない。頬を伝う一滴の涙を拭う勇気も出ない。


 助けを求めようにも……怖くて、声が上がらない。リードさんも、もう僕のこと……見限ってる。


 悪いのは私情を挟んだ自分。そうだ……僕が我がままを言って助けにいって……案の定、相手に背後を取られた。


 非情になって、リードさんに身を委ねるべきだった……。感情だけで動いた僕はまだ子供。


 内定をもらって、どこか自分は大人になったつもりでいた。自分で判断して実行に移せる人が大人なんだと、今までそう思ってた。


 でもその対価として必ず責任が付いてくる。それを軽く払えるほどの力がない僕はまだ……。


 涙を流しながら、体を震わせながら、悔いを改めながら、僕はやっと震える手を持ち上げ始める。


 つぶっていた目を再度開けて、目の端で口角を上げながら睨みつけてくる相手を捉えつつ、ずっと立ち尽くしている両親を見る。


 鼻先に微かな鉄の香ばしさを感じながら、ついに頬の近くまでブラックボックスを持ってきて……そして右腕が、僕の意志に反して相手の左頬めがけて振り上げられた。


「えっ……!?」


 気付くと僕の手の甲はじんじんと熱くなっていて、顔を上げると相手の頬が赤くなっていた。


「やはり……ブラフか」


 ぶつぶつとなにか口走った後、相手は腰を僅かに落としながら左に握っていた拳銃を放つ。


 けれど僕の体は、僕の意志を無視して咄嗟に立ち上がり、相手の前から退きつつ銃弾を躱していく。


「よくもやってくれたな……アイ・リード」


「呑気なことをしている自分を憎んだ方がよろしいかと。自ら手を下せば素早く済んだのですから」


 本当に、リードさんなの……? 僕、あなたの意見に逆らったのに。自分の感情で動いてしまったのに。力を貸さないって、もう見限ったんじゃ……。


 湧き出てくる疑問はあるけれど、この最中で訊けるような事ではないと思い直して、僕は呼吸に意識を向け直す。


 相手の連続射撃を躱すのに手いっぱいなのか、距離を詰めようと試みるも間合いに近付けず、また距離を縮める好機を逃してしまう。


 やはり拳銃が一つと二つとでは訳が違う。


「くっ……この体じゃ、コントロールがブレる……」


 もう周りはめちゃくちゃだ。銃弾の跡がそこかしこに付いてる。そろそろ下の階の人も気付いていい頃のはず。


 けど、相手が下の階の人達も支配していたら、もしかしたら……いや、せめて孝子さんだけは無事でいてほしい。


 できれば……気付いても、ここには誰も来ないでほしい。もう、誰も巻き込みたくない。


「分体で支配してる体と取り換えれば、多少コントロールが効くのでは?」


 その声は紛れもなくリードさんのもの。さっき聞いていたはずなのに、安堵して思わず涙が零れそうになる。


「機能不全にしたのは君だろ。君と対峙させて、どの体が使えるか判別付いたが、まだ正常な状態じゃない」


「なんにせよ、準備を怠ったあなたが悪い」


「準備を……怠った? 聞き捨てならないなぁ……」


 相手はぐっと眉間にしわを寄せると、片方の銃口を僕たちから外す。


「なあ、アイズの人間。まだその手にブラックボックスを持っているはずだ。今すぐそれを耳に当てろ。でなければ……」


 その銃口が向く先は、呆然と立ち尽くす僕の両親。相手は最後まで言い切らず、含み笑いを浮かべて押し黙る。


 言うことを聞かなければ僕の家族をる。その口先が、はっきりとそう示していた。


 しかも楓の手を使ってやろうとしてることに吐き気を催すほどの嫌悪を抱く。


「分かってますね、介様。従ってはダメですよ。逆転の機会はいずれ。もうこれ以上は」


「口を出すな、リード。私はアイズの人間に訊いている。次君が口を挟んだら……分かっているな?」


 その小さな怒声でも、静かなこの三階の開けた場所では反響していた。少しでも下手に動けば僕の両親に弾丸が飛ぶと、相手はそう脅してきた。


 間合いを詰める……には、一歩踏ん張っても足りない距離。素早く二歩踏み込んで相手を捕らえにいく。


 もしくは……最悪もう、間に合わないと分かって、どちらかを犠牲にしてでも……いや、それは絶対ダメだ!


「さあ、早くしろ。何度も同じことはしたくない」


 もうリードさんの言葉に逆らうわけにはいかない。でも、何もしないと……僕の両親が撃たれる。


 ふと、ぞろぞろと騒がしく床を蹴立てる音が聞こえてきた。何人もいる集団のような足音。


 それは相手の背後で、さっきまで廊下に倒れ込んでいた人達が次々と起き上がってくる音だった。


 これは……非常にマズい。支配されている人たちが動けるようになったということは、例え相手を捕まえても、またこの中の誰かと入れ替わるかもしれない。そうなると……埒が明かない。


 口元を引きつらせている僕とは違い、相手はにたりと口角を上げている。あれは僕たちを追い詰めて、嬉々としている表情。


 僕は……どうしようもないと思って、俯いた。


「……ください」


「ん……聞こえないな」


「……約束っ、してください……!」


 ほんの僅かな勇気と覚悟を振り絞って、僕はぐっと顔を上げ、口を開く。すると、相手の瞳がより鋭利なものへと変貌する。


「僕が、この中に入ったら……楓と両親を、解放すると……約束してください」


 もう……これしかない。あえて話を伸ばす。一秒でも時間を稼いで、考えをまとめる。隙を見せれば突っ込んで、誰かが来れば助力を求める。


 すると、震えながら僕が話したことに対し、相手はそれ以上の言葉で押し返してきた。


「人間の分際で! 立場をわきまえろ! 貴様ごときが私に約束を取り付けるなどはなはだ図々しい! お前も、その親も! 酷く不愉快だ! その自分の欲求を、最後の最後まで突き通そうとする往生際の悪さをいい加減に慎め! 潔く我々AIに従えばいいのだ、愚鈍な人間が!」


 言葉の圧力。まるで楓の顔で言っているとは思えない、今にもその眼から血涙が溢れてきそうな赤い形相。圧されて僕は、僅かに後ろへたじろぐ。


「んっ、なんだ……!?」


 すると、相手の足元に倒れていたおじいさんが知らぬ間に意識を取り戻していたらしく、突然相手の脚にがばっと抱きついた。


「お、おじいさん! 危ない!」


「今じゃ! 早うこいつを……っ!」


「放れろ、うじが!」


 片足に抱き付いた老人を剥がそうと、相手はその脆弱な体を容赦なく蹴り始めた。やばい! また死人が出る! もうこれ以上の犠牲は……!

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