第40話

 僕は小さな立方体の感触があることを一度認めてから黒い筒を地に捨てる。


 するとリードさんは一度斜に視線を外すと、支配されてる人達全員が動いていないことを視認した。


 こうなれば、相手はもう目の前のアイ・コピーただ一人。けれど拳銃を奪えてないのはかなりの痛手と言える。今の相手はこれまでよりも遥かに危険で未知数だ……。


 ひりついた空気で額に汗が滲む。残暑と日光、そして不思議と一風も吹かないこの場所で、大樹もざわめくことなく不気味な静寂だけが流れていた。


 どちらかが動けば決着が付くと、そんな予感がしている。故にリードさんも相手も一向に動く気配を見せない。お互いがお互いのことを読み合っているのかもしれない。


 僕はその過程を知ることができないから、このままの体勢で動き出すのを待つしかない。


 おそらく後手に回った方が勝つ。それだけはこれまでの戦いの中で、確信はないけど経験則が言っていた。


「……せーのっで行きます」


「……うん」


 ふと、リードさんが小声で合図を送ってきた。このままでは埒が明かないと思ったのだろう。睨み合いは一分近く続いたが、その時もついに終息を迎える。


「せーのっ」


 リードさんの掛け声の後に、僕も同時に土を踏みしめる。急速に進む僕たちを前に、しかし、相手はしわ一つ歪んでいない。


 焦りの一端も窺えやしないが、体格も力の差も、スピードもこちらが上のはず。


 目でこちらの動きは追えてるようだが、僕たちが右側に入り込んでからようやくその腕を動かし始めた。


 けれどこちらはもう手を伸ばし始めている。後出しで対応できる速度ではないはず。まずは右手にあるその拳銃を……


「おっ、と」


 完全に掴んだと思った。けれど、相手は片足を軸に時計回りに回転して、こちらの手から逃れた。


 その余裕そうな声音からして、おそらくこっちの動きを読んで対応策も講じられていた。


 リードさんが伸ばした手は拳銃ではなく空気を握りしめ、そのまま数メートルほど足を滑らせる。


 やっぱり動き出しが良くても止まるのが難しい。素早く止まれていたら、今まさしくバランスを崩している相手に立て続けにアタックできていた……。


 そんな反省の最中、一つの銃声音が大きく轟く。今までとは比べ物にならない、鼓膜ごと脳天を貫きそうな破裂音。


 放たれた銃弾は、しかしリードさんが辛うじて躱し、右の横腹を掠めていった。


 相手は崩れた体勢そのままで撃ってきたようで、再度相手を見やればおっとっとと跳ねながらも片足でバランスを取っている。


「行きます」


「うん!」


 チャンスは今、相手がバランスを立て直す前に詰めれば……!


「せーのっ」


 再び走り出し、相手の間合いへと近付く。


 視界に入るのはコピーと、その後ろにいる女の子。相手が拳銃を手放さない限り、僕以外の命も危険に晒される。なんとしてでも奪取したい。


 だが、そう甘くはいかない。相手はようやく両足をがっちり地面に付けると、銃口をこちらに向けてくる。


「右」


「はい!」


 リードさんの合図で右足を大きく横へ逸らすと、僕の左側を銃声音が掠めていった。


「もう一度右」


 だが、相手は易々と暇を与えてはくれない。今度は音だけでなく、銃弾が僕の横を掠めていく。


 今度は本当にギリギリだ。危うく服を焦がすところだったかもしれない。


 そんな安堵も束の間、リードさんは何も言わず上半身だけ左に反らした。


「あっ、ぶ」


 思わず声が漏れる。今のはかなり鋭い一弾だ。そんな関心をし始めた途端、リードさんがは今度、僅かに後ろへと飛び上がる。


 おそらく足元を狙われたのだろう。ピュンッという銃弾のはじける残響音が直下の地面から聞こえてきた。


「シールドは弾丸でも砕けない。だいぶ頑丈だな」


 さすがにここまで踊らされるとは思わなかった。今までは相手が銃を持っていても、なんだかんだリードさんが躱して相手が距離を測ってこない限りは間合いに入っていけた。


 でも今回はこちらの行動を読んで近付けさせず、確実な一弾も狙っている。しかもその場からあまり動いていないのに、だ。


 最初に銃を奪うことができなかったことから、相手の脅威は今までと全く違う。


 前はこっちから仕掛ければ確実に一撃は加えられたが、今は僕たちの攻撃を読んで躱してカウンターを受ける可能性が出てきた。


「リードさん……もっと早く、相手の間合いに入り込めないかな……」


「コマンド能力を使えば可能です。しかし、介様の妹さんの体を痛める可能性が拭えません。それでも構わないというのであれば……」


「ごちゃごちゃ話してるところ悪いが、今度はこちらから行かせてもらう!」


 そう言い放つと、相手は銃弾を放ちながら地面を蹴って僕たちに近付いてくる。


「介様、退かず躱し続けます」


「え!? うん!」


 まさかの決断に驚きを隠せなかった。距離を取りながら隙を突くのかと思えば、想定外の構え。これじゃあ相手の良い的にしかならないんじゃ……。


 最初はそんな不安に駆られていたけれど、相手の銃撃は頭部、腹部、脚部の三発がほぼ同時に放たれ、それをリードさんは一歩横に大きく逸れて一斉に躱す。


 すると、相手の銃撃はその三発だけに留まると、少し表情を歪ませて拳銃をスカートのポケットにしまった。


 だが相手はその速度を緩めず、僕たちの間合いに近付いてくると躊躇なく僕の右胸めがけて右拳を放ってくる。けれどリードさんは、それを難なく受け止めた。


「どういうつもりですか。一転して、馬鹿正直に拳とは……」


「まだこの体で肉弾戦闘はしてないと思ってね。試し打ちさ」


 受け止めた感じ、威力はそこまででもない。人の体とは言え二つ年下の女の子、楓の体だ。あの警官の体よりかは遅く、力もない。隙を突ければ、その耳に……


 しかし、そんな甘い思惑は遠く及ばない。相手は瞬時にかがむと左足で地面に曲線を描く。


 それはリードさんの咄嗟の判断か、それとも読んでいたのか、難なく跳びあがり、躱してみせる。


 だが相手は外した蹴りをそのまま回転力に応用して勢いをつけ、今度は空中に漂う僕の右半身に鋭利なつま先を突き付けてきた。


「くぁっ……!」


 危うく右腕でガードはできたが、上腕二頭筋とそこの骨を深く抉られ、耐えかねる激痛が走った。


 空中でバランスを崩したものの、リードさんが足を捻ることもなく無事に着地してくれた。


「飛んでいても瞬時にガードできる。さすがリード」


「大丈夫ですか? 介様」


「……多分……」


 さすがに今のは骨まで響いた。折れてはいないと思うが、痛みが治まらない。


 しかし、今の体運びのしなやかさはまるでリードさんみたいだった。それにあの柔軟性。地面に手を付いてからの足の伸びが予想を裏切ってきた。


 楓は陸上部だし、それなりに筋肉と柔軟性はある体。対して僕はまともな運動をしてこなかった鈍い肉体。守りに徹するだけでは体が持たない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る