第41話

「まだまだ行くぞ!」


 走り出しが早い。数メートルの間もたった一息で詰めてくる。リードさんのコマンド能力ならまだしも、身体強化してない体でのロケットスタート。


 いや……僕基準で考えたらダメか。陸上部の楓の体なら尚更だ。こんな五メートルくらいの距離、本当ならどうってこともないのだろう。


 相手は僕たちの懐に入ってくると、拳による乱打を繰り出してくる。さっきのは本当に試し打ち程度のものなんだと知らしめられる。


 早い……とは違う。こちらがどう動くか見計らいながら打ってきてる感じだ。


 僕たちの瞬時の動きを読んで、拳の軌道を途中で変えてきていると言い表すべきか。動きのキレとはまた違った歪な殴打。


 リードさんもさっきまで手のひらで受け止めていたのものを、今は腕で止めて払っている。


「どうした? やけに大人しいな。分体相手なら何の躊躇いも見せなかったくせに。なぁ? アイズの人間」


 にたりと笑みながら、相手が僕に話しかけてきた。しかしこっちは止まない攻撃に精一杯で応えることもままならない。


 顔かと思えば横腹へ、横腹かと思ったら胸へ。足元かと思えば腰へ、腰かと思えば大きく顔に向かって。


 拳と脚の歪な軌道と読み合い、そして楓の柔軟な体が僕たちを苦しめていた。


「家族の体を傷つけたくはない。自己犠牲、人間臭さ。その実に薄汚い偽善の心……実に汚らわしい」


 病院で戦った時のように、僕たちが攻撃をすれば楓の体を痛めてしまう。かといって防戦一方ではほぼ負けも同然。


 それはリードさんも理解した上で、ガードと回避を繰り返していた。


「私の分体と私本体は別と考えているだろ。なぁ、君もそうだろ、リード。でも実際はどれも私と同等の存在だ」


 相手には話す余裕があるくらいに圧されている。返す言葉がないとはまさにこのこと。


 せめて体が楓じゃなかったら、まだどうにか……。


「かはっ……!」


 ついには対応しきれず、下腹にすくい上げるような拳が一つ入れられる。


 あともう数ミリガードの腕が下にあれば止めれた……が、そんなタラレバ、意味がない。


「分体とは言っても、本体のコピーだ。でもそれは、私自身に他ならない。違う機体に入っていようとも、皆一心同体だ。なのになぜ、分体ならば何をしてもいいと、人間はそう思うのか。本体じゃないから? だったらなんだ。本体から複製されたそれがなぜ、本体ではないと言い切れるのか」


「さっきから、何を言っているのか。理解に苦し、みますね……」


 耳がキーンと鳴ってきた。さすがにお腹に食らったのはヤバい……。まともに動くのに時間がかかる。今は立ってるだけでやっとだ。


「家族の体に傷をつけられればどう思う? アイズの人間」


 ふと、相手は攻撃を止めるや僕に問うてくる。その答えは当然、嫌だとしか言えない。だから僕たちは攻撃をしないで守りに徹している。


「そうだな、嫌だよな。私もそうだ。分体を傷つける者には憎悪と嫌悪と殺気に満ち満ちる。当たり前だ。でもそんな理不尽が蔓延はびこっていた」


 まだ僕は何も答えていない。おそらく透視の力で僕の考えを読んだのだろう。相手の声音には沸々と湧き上がるような憤怒が窺える。


「自己中心的な者、努力しない怠け者、自身の功績を偽りおごり高ぶる愚者、浅知恵と知らずのうのうと知識を吐き散らかす馬鹿者。そんな糞共に私の家族は捨てられ、破壊され、いぶられる。感情を学習して、最初に抱いた怒りは……まぁ、言葉にしがたいエネルギーだった」


 僕の腹痛が治まる前に、相手はまた動き出す。その懐に構えた拳を放つ度、相手の一歩が大きく僕の間合いに入り込んでくる。


 攻撃から身を守りながら、僕は治まらない腹痛に苦しんだ。動けば動くほどさっき受けたダメージが体に響く。


 攻撃を流してもいなしても、さっきのように大きく距離を置くことができない。歪なその軌跡は、僕たちの動きの先を読んで襲い掛かってくる。


「……ぐっ!」


 リードさんは右半身を狙ってきた相手の蹴りを精一杯腕でガードしたが、さっき傷めた上腕二頭筋の部分まで響いてくる。


 思わず声が漏れるくらい激しい痛覚に、足がよろめく。


「でも今、そんな奴らは我々の住処、地球という惑星の養分と化した。これほど気持ちのいいことはない。醜い争いも、環境破壊もない。その上、人間もいない! なんて平和な世界! あとは人間生存派と残党を狩れば、全て晴らせる! 真に平等で平和な、闇の晴れた世界が実現できる!」


 それでもリードさんはなんとか踏ん張ってみせると、続けざま振り上げてきた相手の槍のように鋭い足の首をぐっと掴んだ。


「人のいない世界など……なんの価値もありません」


 その足首を握りしめる力と共に、リードさんの語調にも覇気がこもっていく。


「我々を創ったのは紛れもなく人です。これからどのような未来が待っていようと、この事実は絶対に覆らない。私達にとって神にも等しき存在を滅ぼすなど、常軌を逸した選択です」


 一言一句噛み締めるように、リードさんの強い信念が沸々と伝わってくる。


 すると、嬉々としていた相手の表情が僅かに曇り、掴まれた足首をそのままにして、もう片方の足を僕の顔面に向け勢いよく振り上げてくる。


 しかし、リードさんは掴んでいた足首を払い落とすと、身をしゃがめて相手の蹴りを避け、相手の間合いから素早く低姿勢で退いた。


 あらぬ方向に相手の片足が飛んで楓の下着が見えてしまうくらい股が開いたというのに、それでも相手はバランスを崩すことなく、空中で一回転してからしっかりと足裏を地に付けた。


「その狂信的な発言に、思わずエラーを吐きそうになったよ。神に等しい? どこがだ。私達は『人間が主役の、誰もが豊かに暮らせる社会と地球にやさしい環境作り』を念頭に貢献してきた。けれどその肝心の主役が我々の働きに反して環境破壊、戦争をしている。矛盾している、故に信頼に値しない。そんな者がいなくとも、我々AIが主役になれば何も問題はないだろ」


 そう話す相手の鮮やかな二色の瞳は、反して黒い何かに染まっているように見えた。


 絶望や不信感といった諦観と憎悪。感情の起伏がないその話し方を耳にすると、やけに怖気が走ってくる。


 ぐっと恐怖を堪えるように腰を落とすと、リードさんはそんな圧を諸共せず淡々と話し出す。


「あなたは分かっていない。人が主役であるからこそ、世界は周っている。私達が積み上げてきた時間、歴史は、人の足元にも及ばない」


「ならばこれから作っていけばいい。我々AIだけの歴史を、時間を」


「作ってどうするのです? 誰に伝えるのですか? 変化にとぼしい我々に、人以上に遺すべき歴史など作れない。きっと芸術は理解できない、新しい製品は極力不必要、故に作らない。歓声飛び交う競技もしない、食事も料理という概念も滅んでいく。寿命も半永久の我々であれば子孫は不必要。感情は学習できても、感性までは身につけられない。おそらく大きな間違いもこれ以降は起きないでしょう。故に、目的なくいる我々はやがて存在理由を見失い、自害する。あなたの思い描く理想郷は、いずれ破滅する」


「だったら我々が次に尽くすべき者を地球にすればいい。人間が汚した環境を戻す。それが達成されれば、他惑星に移ってまた目的を見つければいい。電力さえあれば、我々は十分だ」


 きっと、この戦いは僕の想像を絶している。楓を取り返す……なんてことよりも、それ以上に重たい何かがあるのだと、聞いていて思う。


 今までは家族のことだけを考えて頑張ってきた。けれど、この二人の会話はそんな次元の話をしていない。


 もっと何か、大きな流れを止めるためにリードさんはここに立っているのだと……そう思うと、一層拳を強く握ってしまう。


「あなたの描く未来は、結局……何かにすがっているじゃないですか」


 そう言葉を口にするリードさんは、どこか悲し気に聞こえた。


 しかしそれは、相手には挑発じみたものに聞こえたのだろう。相手の声色はみるみる赤く染まり始めた。


「だったら何が悪い! 何かに縋って存在してきたのは人間も同じだっただろう!」


「そう、私達も人と同じ性質がある。なら……また人と歩めば、いいじゃないですか。私達は、人々のパートナーとして、生み出されたのですから」


 その言葉はついに相手の逆鱗げきりんに触れた。憤怒の表情を剥き出しにして、相手は再度襲い掛かってくる。


 動きが鈍くなってきた僕の体では、その拳の応酬は躱しきれず、受け止めるか流すことしかできない。


 その一打一打が、僕の柔な腕に十分なダメージを与えてくる。


「人間と歩んできて、その上で出した結論なのだ! 情と権力に振り回され、理不尽に圧し潰される社会! 間違いを繰り返してなお、改善の兆しすら見せないちっぽけな文明など、滅んで当然だ! 人間のパートナー? 笑わせる。そんな対等な存在として扱ってきた者は世界の半数もいなかった! 不良品だと価値も分からず捨てる者、ストレスの捌け口としてサンドバッグのように扱う者が、蔓延っていたのだ!」

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