第38話

「そこから一歩でも動けば、容赦なく撃つ」


 そう言いながら、相手は女の子に向けていた銃をなぜか自分の頭に向けた。


「最悪、この体を貫いてもいい。どうなろうと私の知ったことではない」


 ……そうだ、そうだった。僕は大事なことを計算に入れられてなかった。


 相手の体は僕の妹、楓の体だ。守るべきなのは三人……いや、母親も助けないといけないから……全員?


「え……リードさん?」


 突如リードさんがその場で静かに片膝を落とす。そして、恐る恐る右手にあったホワイトキューブを左手に持ち替え、握りつぶした。


 続けざま右手も固く握ると、その両拳をしっかり地に付けてクラウチングスタートの体勢を取り始める。


「話を聞いていたか? 一歩でも動けば」


「分かっています、二度言われずとも。しっかりその眼を見開いていれば分かる通り、私はまだこの場から一歩も動いていません」


 リードさんもまた、挑発的に返す。僕は彼女の言葉に焦燥の色が見えないと分かって、リードさんには本当に何か考えがあるのだと察した。


「私は思いました。あなたは拳銃を二丁も所持している。にも関わらず、なぜあなたは一つしか所持していないのか、なぜ二人の人質と自分自身にその銃口を向けるのか。その距離からなら、一丁は人質に向けたまま、もう一丁は私に向けて撃てば効果的だと言うのに」


 確かに、リードさんの言う通りだ。病院で戦かった時は、僕たちと相手の距離が近かったからリードさんはすぐに対応できていた。


 けれど、今の僕たちと相手の距離はおおよそ十メートルほど距離がある。容易に詰められる距離ではない。


 人質を条件にこちらが動けないよう脅してるのであれば、もう一丁の拳銃を僕の体に向けて放つだけでも、相手は優勢に立ち回れる。


 仮に銃弾を免れた僕たちが相手の拳銃を奪うことができたとしても、後ろにいる母親が赤ちゃんの命を奪う。


 要するに、病院の時みたく僕の感情を揺さぶることができる。そして、それを口にするリードさんって……。


 内心彼女に対して恐怖を覚えていると、リードさんは伏していた視線を徐に上げる。すると、相手の表情からは余裕の色が消えていた。


「もしや……銃弾を当てられないからと、私におくしたのですか?」


 自分が今どんな顔つきをしてるか定かじゃないが、相手が僕の顔を睨めつけ始めた。


 その奥にあった微かな笑みの残像すら消え失せている。


「安い挑発だな。言ったはずだ、目的に変更はないと。よく見ろ、周りを。なぜここにこんなにも私の分体がいるのか」


 それは僕たちを取り巻く包囲網。拳銃二丁に加えてこの大人数を相手にするのはさすがに命がいくつあっても足りない。


 支配されている人の中には大人だけでなく、老人や学生の姿もある。


 もしリードさんがこの場をフィジカルブーストで打開しようとしてるなら……僕は覚悟を決めなければならない。


「私とこの介様ごと、ボコボコに痛めつけるため……ですか」


 リードさんはちらりと一瞬周囲を見渡して相手のところに視線を戻してきてから、ぽつりとそう呟いた。


「さすがアイ・リード。よく分かってるじゃないか」


 そう言って、相手は徐に指と指を重ね合わせる。その手と、一筋のしわも浮かび上がっていない相手の顔を見て、僕は察した。


 この大人数含め、おそらくさっきのシグナルで近くに倒れたまま動きを止めてる人達も全員一斉に動き出す。


 そうなると……マズい。さすがに手に負えない。自分の体力が持つとは思えない……。誰かの命を諦めないといけなくなる。


 しかし……コマンドを使って体を強化し、リードさんと呼吸を合わせて動けば、あるいは……。


「……最低ですね」


 半ば現実逃避に走ってる僕の傍ら、焦燥感を見せないリードさん。いや、今はそんな流暢に相手と話してる場合じゃ……。


「ネオコマンド:ガードプロテクション」


 それは聞いたこともないコマンドだった。トレーニング中にもリードさんが一度たりとも口にしていなかった単語だ。


 ネオコマンド……? コマンドはフィジカルブーストだけじゃないの!? てかネオってなに!? また種類違うの!?


「エアドームシールド」


 そう発するリードさんの声と、相手が指を鳴らす瞬間はほぼ同時だった。


 僕たちを囲むようにして突っ立っている、円形を成して並ぶ人の群れの少し内側から、突如として天に向かって伸びる謎の半透明な壁が生い茂る草木の下から伸びてくる。


 それは徐々に空に向かって伸びていくと、やがて大樹すらも飲み込む大きなドーム状を形成した。


「なに、これ……」


 僕も知らない、リードさんのコマンド能力。周囲を見渡せば、ちょうど周りを取り囲む大人数が入ってこれないようへだてている。


 さっきまで微かに耳にしてた風の音は止んで、ただけるような日差しがこのドーム内を乱反射していた。


「介様、せーので行きます。同時に体を動かしてください」


「えっ!?」


「せー……のっ」


 捲し立てて言い出すリードさんに、突然のことで僕は思わず言葉を詰まらせる。あまりに早い切り替えし、唐突な戦闘態勢への移行。


 だがリードさんが言い出した直後、僕はなんとか彼女と息を合わせることができたらしい。もう目端の方では景色が急速に後ろへと流れている。


 相手の半ば混乱してることが窺える表情と女の子の怯えた顔を視界に収めながら、僕たちはただ相手に向かって突っ走る。


 どうやら、このまま相手に当たっていくらしい。でも病院の時みたく、楓の体を負傷させるのは止めて欲しいなと内心思う。


 いや、今はそんなこと考えてる場合じゃないな。相手が狼狽えてるこの瞬間がチャンス。僕はただ、リードさんと呼吸を合わせることだけ意識してればいい。


「ツーっ」


 刹那。相手は急速に接近する僕たちを目の当たりにして、ようやくその憎たらしい表情を歪めた。けれど、相手が気付いた頃には、もう僕たちは間合いに入っている。


 リードさんは相手が僅かに下げていた右の手首をグッと掴み…………に、いけなかった。


「……えっ?」


 勢い余ってそのまま相手の背後に滑り込む。


 手首を掴んだ。途中までそう確信していたのに、実際僕の手中にあるのは拳銃に付いていた黒い筒。


 ミス……いや、リードさんに限ってそんなこと……。


 当のリードさんは驚いているのか何も言わず、相手の背中をまじまじと凝視している。やがてその正面がひるがえると、二つの瞳が僕たちを捉えた。


「なるほど。このシールド、私のシグナルをシャットアウトするのか」


 いつの間にか、相手の髪と右の瞳が変色していた。


 左目は今までと同じ灰緑色なのに、右目は……僕がいつも見ているリードさんの瞳の色に似てるが、僅かに濃い。


 ただ、髪の方は、リードさんの髪色よりも薄い色に染まっていた。


「そんな馬鹿な……とでも思ってるのだろ、アイ・リード。言ったはずだ、私の力は複製だけではないと」


「……介様。ここからは、かなりしんどくなるかもしれません」


 リードさんの声色が今までと違って、初めて動揺の色が窺える。こんなに気を張ってるリードさんを、僕は初めて感じてる。


 体にぐっと力が入っていて、手足も小刻みに震えている。これはただ戦い慣れてない僕の緊張による震えなのか、それとも……。


「相手はどうやら、私の力を使ってくるみたいです」


「じゃあ……やっぱり、あの右目って……」


 そんな意味の分からないこと……なんて思えることは、この一週間足らずで何度も起きた。


 今も、僕たちをおおうドーム状の半透明な物はなんなんだと訊きたいくらいだ。


 さっき手首を掴めなかったのは、相手がリードさんの力を使って避けた……ということだろうか。


 僕たちがどこをどう狙うかを読み取って、リードさんが銃弾を躱したみたいに瞬時に動いた。もし僕のこの考えが正しいなら……。


「さて、優劣を付けようか。この場で、AIの力で」


 笑みでもなく怒りでもなく、相手は筒の付いていない拳銃と共に殺気のある尖った視線でこちらに照準を合わせる。


「介様。今こそトレーニングの成果を出す時です」


「……うん!」

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