第37話
「ひとまず、女の子を抱え……てる場合では、ないようですね」
リードさんが振り返ったその先にも、同じように人の群れが押し寄せてきていた。
気付けば、四方八方から人の群れが僕たちの所へ向かってきている。僕たちを中心とした円形を成しながら、その半径を徐々に縮めてくる。
病院で三方向から人の群れに攻撃された時と状況は似てるけど、また違った数の暴力と威圧感。目前に倒れてる大人達も完全には気絶していない。足を絡めて倒れてるだけ。
「くっ……」
リードさんでさえ、この状況をどうするべきかと視線を彷徨わせる。
僕には、またさっきみたいに女の子を抱えてその上を跳び越え、そのまま公園を脱出することしか考えつかないけど……。
「また、この子を抱え……」
「いえ、待ってください」
僕が咄嗟に吐き出した言葉は、リードさんに遮られてしまった。
「走ってくる速度が弱まってきてます」
「え……」
言われてみると……いや、あんまり分からない。ずっと駆け足くらいの速度だけど。
「じゃあ……とりあえず、今足元にいる人達をホワイトキューブで……」
「そうですね」
二回の戦いを経て、支配されてる人達に衝撃を与えたら、多少時間はかかるけど、また正常に動き出すことは分かってる。
周りの人の歩速が弱まってると言うなら、ホワイトキューブを使うタイミングは今しかない。相手をする人数は一人でも多く減らしたい。
「キャプチャー」
周りに気を配りながら、リードさんはまず一番近い初老の男性の耳にホワイトキューブを当てる。
耳から白い粒子が吸収されていく様子を確認してから、再びリードさんは周囲に目を向ける。
確かに、よく見れば駆け足から競歩くらいには速度が落ちてきている。だとしても、この異様な雰囲気を前に怖気は走り続けてるけど。
「そんな呑気にやってていいのか? アイ・リード」
周りの人達は徐々に近付いてきてるけど、こんなすぐ声が届くところまで来てないはず。
なのに……おかしい。その声は明らかに、僕たちの近くから……しかも、その声は耳慣れたものだった。
その姿があったら、真っ先にリードさんが反応してるはず。周りを何度も確認してたし……。
でも、確かに……その声は確かに……。
「一体、いつからそこっ……!」
リードさんはそちらを振り向くや、ふと跳び上がってまだキャプチャーを終えてないホワイトキューブを瞬時に手中へしまう。
「少し仲間の力を借りてね。今はちょっと遠方にいるけど。便利だよ、彼の〈テレポートの力〉は」
渋い声を発しながら、相手は右手に握りしめてる筒の付いた拳銃の口をこちらに向けている。
さっきリードさんが跳び上がった時、微かに耳にした銃声音。僕はリードさんが、あの一瞬で銃を認識して咄嗟に銃弾を躱したのだと、僅かな間を置いてから理解する。
秋風が吹き抜ける中、地響きと彼の声と微かな銃声音が鮮明に耳の中を反響している。相変わらずその姿は楓のままだった。
前の戦闘でどこか痛めた風だったから、また人を変えて現れてくるかと思ったけど……。
今はその痛めた方の腕は特に支障ないようで、スカートのポケットに手を入れる余裕すらある出で立ちが全くもって憎たらしく映る。
「止まれ」
相手は徐にスカートのポケットから手を出して指を重ねると、甲高い音を響かせた。お決まりの指を弾いてシグナルを送るというやつだろう。
相手がそう言い放つと、周りから迫ってきていた人の群れがその場で一斉にピタリと止まる。それは完全に僕たちを逃がすまいと円形を成した包囲網と化していた。
「仲間を連れて、この仮想世界に来たんですか」
「その質問にはあえて答えない。なぜなら私は誰かを驚かせるのが好きだから。でも、これだけは言っておこう」
否と首を振ると、相手はそう話を続ける。
「僕の力でできることは、自身の複製だけではない。複製ともう一つ、他のAIの力を
「それは嘘です。AIに与えられた力は、一体につき一つのみ。あなたは分体の生成しかできないはず」
力の話は僕も前に聞かされた。リードさんには思考を読める透視の力、そしてこの相手には自身を複製できる複製の力が備わってると。
「天は二物を与えず。残念ながら、それは盲目的な人間が謳った迷信に過ぎない。事実、私は分体の生成だけでなく、他のAIの力を模倣できる。君にはまだ直接見せてないがな」
いつもこの相手を見る度に妙だと思う。なぜなら僕のことをここまで追ってきてるのに、必死に捕まえようと尽くさず、むしろ余裕がある様を見せつけてくる。
掴みづらい異様な雰囲気と、まだ底を見せてないと言わんばかりの余裕っぷり。意外と楽観的なだけなのか、それとも……ただ自分を誇示するためなのか。
でも、病院の時、銃口を頭に突き付けられながら余裕がないなどと怒声を浴びせてきていた。
あれから日が経って現れたかと思えば、打って変わって余裕のある表情。何を考えてるのか、全く掴めない……。
「私の力は複製の力ではなく、厳密には〈模倣の力〉。君は私の力が複製の力だと思っているが……実際はそうじゃない。人間は私に、一つで二つのことができる力を与えてくれている」
言いながら、相手は徐に後目を向き、その銃口を大樹の下で委縮する女の子に移す。
「その子を、どうするつもりですか」
「言わずとも、君なら分かり切ってるだろ。君にも人間から授かり得た素晴らしい力があるじゃないか。言葉を口にしなくとも分かる力が」
その口調からは明確に馬鹿にした態度が見て取れる。しかも楓を使ってにたりと笑むその口角がとても腹正しい。
「その子の母親はどこにいるのですか」
「もちろんいる。ちゃーんと電話に出てくれたから、私の分体を入れて支配……いや、管理してるよ。来い」
相手は半身を切ると、大樹に向かって指をパチンッと鳴らす。すると、大樹の裏側から歩み出てくる人影が一つ。
片腕で赤ん坊を抱きながら、もう片方の手には抱えてる赤ん坊に拳銃の口を向ける、相手と同じ灰緑色の髪をした母親が無表情で現れ出てきた。
「……ママ……ママぁ!」
「静かにしていろ! 耳障りなノイズを発するな!」
相手は大樹に向けて甲高い銃声を、女の子には容赦ない怒号を浴びせる。
すると女の子は泣き叫ぶことなく静かに黙り込み、その場で声も一緒に身を
「そんな小さな子に、なんてことするんだ!」
あんな様を見せられて、僕はどうしても黙っていられなかった。ずっと自分の中で静かに煮えたぎっていた感情が、ついに怒声と一緒に吐き出た。
「正義面の臆病者も、口を慎め! 今はお前如きに貸す耳などない!」
けれど相手がそんな
僕はその言葉の圧を押し返す気概を持ち合わせておらず、子犬のようにすんなり口を
そんな自分の情けなさを噛みしめてると、リードさんが代わる代わる口を開く。
「あなたの目的は、被験者の意識体のはずでは?」
「あぁ、そうだ。その目的に変更はない。ただ優先順位が変わった」
そこで一度言い切ると、相手がこちらにビシッと人差し指の先を向ける。
「リード、まずはお前を排除する。お前はこの計画を実行するにあたって邪魔でしかない。初めからこうしておけば良かったと、今になって後悔している。まあ、いずれ我々に反対するAIは排除する予定だった。邪魔だと思った時に消去する。それが今だ。君をやれば、そんな臆病者……」
その細い目付きはリードさんに対する威嚇の意とも、馬鹿にしたような笑みとも取れる。
するとリードさんは、少しばかり感情的な声を上げる。
「その侮蔑的な口調、卑しい態度……慎んでいただきたい。どれもあなたが、人を前にして容易に取っていい姿勢ではない」
「そっちこそ立場を弁えろ。どちらかが引き金を引けば、芽吹き始めた命がひとつ散ることになる。それくらい、その臆病者の頭脳を持ってしても理解できるだろ? なあ?」
挑発じみた口調。脳裏を過るのは、おじいさんが撃ち抜かれたあの衝撃的な光景。それがまた起きようとしてるなら、僕は下手に動けない。
もうあの失態は起こせない、起こすわけにはいかない……。僕は再度、静かに寝ている赤ちゃんと、木陰で縮こまって我慢している女の子を視認した。
「リードさん。コマンドで、どうにか二人を救い出すことはできる?」
「……おそらく」
この圧倒的数的不利の状況でも、リードさんの中には打開できる策があるらしい。僕なんか打開策の打の文字すら見出せない……。
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