第36話

「介様。一度その子を安全な場所に置きます」


「置きます、って……どこに?」


 そもそも、この状況でこの子が安全にいられる場所なんてあるのだろうか。


 大広場に出たとして、遮蔽物しゃへいぶつになるようなものは中央にそびえている一本の太い大樹だけ。


「まあ、とりあえずあの木の下で休ませていましょう」


「そんな適当!?」


「相手の狙いは我々であり、介様です。この子は我々を誘き寄せるための餌に他ならなく、それ以外の役割はない。心配であれば、目が届く位置にでも置いておけばいいのです」


「非情というか、辛辣というか……」


「介様に他人をおもんぱかる余裕なんてあるのですか? あなたの本来の目的はなんですか? その子を守ることですか?」


「……奪われた家族を、救うこと……」


 確かに僕の目的は、アイ・コピーに攫われた家族を救うこと、取り戻すこと。それに間違いはない。


 でも……違うんだ。それ以外にも、僕はもう誰かが死んでしまうようなことがないようにしたい。関係のない人が相手の理不尽に巻き込まれないようにしたい。


「でも、この子も守る! そしてこの子の家族も見つけて、みんな無事に生きて帰れるようにしたい!」


 リードさんには透視の力がある。きっと僕のこの気持ちも見透かしてることだろう。本来の目的はもちろん忘れてない。


 そしてみんなが無事に帰ってこれるようにしたいという気持ちもある。我がままを言ってるのは自分でも分かってる。


 僕がそう言い張ると、リードさんはぽつりと口だけ尖らせる。


「まあ、それをやるのは大半が私なんですが」


「うっ、すみません……。でも、僕にできることがあれば……」


「そんなの、いっぱいあります」


 自信なさげな僕に、リードさんは強くそう言い放った。


「またさっきのように、息を合わせて同時に体を動かしてください。今まで培ってきたもの、それを発揮するためにも、介様の力は必要不可欠です」


「そっか……そうだよね!」


 そうだ、僕はここまで体を鍛えてきたし、リードさんと体の使い方を練習してきたんだ!


「あと、息を絶やさないでください。この体ができるだけ長く動けるよう、努めてください」


「……うん、分かった!」


 僕にしかできないこと、リードさんがやれること、僕たちだからできること。


 それらを一つ一つ思い出してしたためてから、僕は深く頷いた。


「中央の木の下に彼女を置きます。あそこであれば、私でも目を配れる位置です」


「分かった! ごめん、お姉ちゃん。あの木の下にいてもらえるかな?」


 抱いてる女の子に子守唄でも聞かせるように言うと、女の子は何も言わず首を縦に振ってくれた。表情は強張っていてまだ怯えてる様子。


 大人が何人も背後から追ってきてるのをずっと見させてしまったからかな……。


「そういえばリードさん……この子の親はどこにいるのか、知らなくていいの?」


「残念ながら、彼女の記憶から親の位置を特定できるものは得られませんでした。とりあえずあの大人達を支配してる分体をホワイトキューブに閉じ込めます」


「じゃあリードさんの透視の力で、あの大人の誰かの中にいる分体の思考を読めたり、できる?」


「それはできます。が、空っぽの箱の中を透かして見てるのと同じで、分体の思考を読んでもおそらくこの子の親の居場所は特定できないです。事実、これまでの戦闘を交えて、分体から得られたものは、単純な攻撃パターンだけでした」


「そっか、分かった」


 とにかく僕たちは大広場中央にある一本の大樹の下に女の子を下ろす。


「ごめん、お姉ちゃん。ここで静かに座っててほしい」


 そう言うと、女の子は怯えながらもちゃんと頷いてくれた。


 だけどその眼は僕ではなく、後ろから迫ってくる大人達に向けられていることに気付いて、僕は努めて優しい笑みを彼女の眼前で見せつける。


「大丈夫、ここにいれば安心だから。あの人達は僕がなんとかする」


「私が全て蹴散らしますので」


「言い方……」


 できれば誰も怪我なく、力も振るわずに解決できればいいけど、そういうわけにはいかない。


 相手が相手だ。言葉が通じない以上、無理やりでも止めに行くしかない。


「マテリアライズ、ホワイトキューブ」


 リードさんは、ずっと僕が握りしめていた携帯の液晶上で親指を動かす。この挙動も三回目となると慣れてきた。


 ただ指がつりそうになるのは変わらないけど、少し力を抜いてリードさんに身を委ねようと意識するだけでだいぶ違う。


「行きます。息を絶やさないでくださいね」


「うん! あと、女の子からできるだけ……」


「分かってます」


 目を放さないでと、僕が言い出す前にリードさんはホワイトキューブを手中にぐっと収めるや向かってくる大人達の方へ走り出した。


 さっきの今まで筋肉痛のことを忘れかけてたけど、ここに来てリミッターが外れたように突っ走るものだから、途端に体中が気怠くなる。


 そんな僕を配慮してくれるわけもなく、リードさんは颯爽と向かっていく。目の前にいるのは計八人の大人、全員男性。


 僕たちが今まで積み上げてきたトレーニングの成果は、如何いかほどか……。


 集団の間合いまで近付くと、リードさんは大きく一歩踏み込んでその右側へと回り込む。


 その速さに追いついてこれる大人は一人もおらず、リードさんは二歩目を踏み込むと、集団の最後にいた一人の男性に足払いで地に横倒しにした。


 たった数歩のステップでも息継ぐことすらさまたげられる。それでも、リードさんは躊躇なく動く。それに遅れまいと、僕も呼吸のリズムを整える。


 今はリードさんに引っ張られる形で、僕は彼女と共に戦っていた。しかし、次は彼女と一緒に走るつもりで、残り七人の大人達に応戦しにいく。


 そして、その集団の焦点は僕たち……のではなく、木陰に置いてきた女の子の方に当たっていた。


「なっ……リードさん!」


「介様、行きます。せーので一歩目、お願いします」


「っ……分かった!」


 ふと大人達の手に注目すると、ブラックボックスの影は見えない。狙いは僕たち……じゃない。じゃあ何が目的……いや、今はそんなことは考えてられない。


 とにかくこの体を動かし続けること、息を合わせて動くことに集中っ……!


「せーのっ」


 一瞬足を止めただけでも、支配されている人達との間に距離ができる。


 それは普通だったらどうってことない距離だが、小さな命を守るためにはあの集団の行動を阻止する必要がある。


 大人達が彼女に触れるまでの距離を思うと、今からそこへ向かって走り出すのは遅すぎる。その集団は、女の子に手を加えてもおかしくない距離まで近付いてる。


 それでも僕たちはその背にたった一歩で追い付き、ギリギリのところで一番後ろにいる人の足を引っかけて見事に全員を地に転がした。


「ちょっ、結構力任せな足払い!」


「でも良かったです。ドミノ式で全員が倒れてくれたのは幸いです」


 いや、まあ……結果的にそうだけど。女の子の方は大事に至ってないし。


「ごめん、大丈……」


 その女の子がいる大樹の後ろ、そしてその更に後ろに広がる景色に違和感を覚える。そこに、異様な人の群れの光景が目に止まって、僕は言葉を詰まらせた。


 六人、七人……いや、二桁人は普通にいる。その群れは激しい地響きを轟かせながら、僕たちの元へ近付いてきていた。


「リードさん……あれ……ヤバくない?」


「これはさすがに想定外ですね」


「え? あれみんな、支配され……」


「……どうやら、そうみたいですね」


 明らかにこの身一つで相手できるような数じゃない。まるで波のように押し寄せてくるその人の群れにはさすがに目を剥いた。

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