第36話

「え? いや、でも……髪の色、あの相手と一緒じゃないよ?」


『違います。支配されているのではなく、脅迫されているのです。あの、アイ・コピーに』


「……脅、迫……」



 それを聞いて、さっきまで静かだったアイ・コピーに対する感情が再燃する。こんな……純粋な子供を利用、脅迫なんて……。


 声が僅かに震えているのも……迷子で不安だからじゃなく、脅されているから……。


「おにい、ちゃん?」


「あぁ、ご、ごめん。えっと、なんだっけ……」


「あの……けーたい、貸してほしい」


「あー、うん。なんでかな? なんで貸してほしいのかな?」


「え、えっと……でんわ、お母さんに……」


「……そっか。迷子になっちゃった?」


「……」


 訊き返してみたが、その子は首を振るでもなく返事をするでもなく固まってしまった。


 返事をしないということは、相手から詳細を述べないよう脅されてるのだろう。ただの迷子ではなさそうだ。


『分かりました。この子、母親とまだ一歳にも満たない妹さんを人質に取られています』


「……人質……」


 家族を助けるために、この子は一人で……ここまで……。


『事情の把握はできたので、今すぐにでも動きます』


「え……この子のお母さんと妹さん、もうどこにいるのか分かったの?」


『いえ。まだ検討はつい』


 それは、突然のことだった。僕の体はいきなり女の子を深く抱きしめて、固い地面を転がりまわる。


 僕の意志で動いてないというのを瞬時に理解し、同時にリードさんが反応したのだと分かった。


「大丈夫? 怪我はない?」


「う……うん……」


 怯えている……。今にも泣き出しそうだが、それでも涙を流さないように我慢しているのが窺える。我慢強い子なんだろう。


「いきなり上から来ましたね」


 リードさんにつられてそちらを見れば、さっきまでいなかった若い男の人が立っている。いつもこの公園を走ってる人の服装と同じ、動きやすいスポーティーな服装。


 更にその人の髪色はあのアイ・コピー本体と同じ、灰色だ。


「よく反応できたね、リードさん……」


 まさか上から来るとは思わなかった。しかも、あの高い樹々から降りてきても平然と立ってるとか……。僕だったら絶対に腰まで響いてしばらく立ち上がれないよ。


「女の子の瞳に映る景色と、地面の影に違和感があったので」


 そんな小さな情報からここまで迅速な対応……。やっぱり人間離れしてるよ、この人……じゃなくてAI。


「とにかくここは危険です。とりあえずこの子を連れて開けた大広場へ向かいます」


「分かった。お姉ちゃん、ちょっとごめんね」


 僕は一言断って女の子のお尻の下に腕を回すと、そいっと持ち上げる。すると女の子は、こちらが何を言わずともその両腕を僕の首元に優しく抱きついてくる。


「あっぶ……」


 走り出す直前、支配されているであろう男性が無言でいきなり殴り掛かってきた。


 ほんの僅かでもスタートダッシュが遅れてたら女の子も危害が加わっていたかもしれない。


「リ、リードさん……この子抱いててもいける?」


「問題ありません。彼女は介様がしっかり抱いててください。私は足だけ動かします。あと、携帯は手に握っていてください」


「わ、分かった……」


 傍から見たらすごいシュールなんだろうなぁ……なんて思いながら、足は勝手に光の差す場所へと走り出す。


 さっきトレーニングを終えたばかりなのに、まさかここで戦う羽目になるとは……なんてこと、本当は前々から少し覚悟してた。


 こういうことも想定してポケットに携帯を入れてたわけだし。


 とは言っても、この子を抱えて走ることと、またいきなり目の前に現れた大人達を女の子を抱えながらどうやって躱すかは無論予想などしていない。


 というか、意外と子供ってお……いやいや、これくらいは筋トレの一環と思えば……!


「ど、どうするの!? リードさん!」


 近くのかげや遊具から現れたその人達もあの相手と全く同じ灰色の髪をしている。後ろの男の人と言い、これはもうあの相手との再戦が始まってると言ってもいい。


 ともかくこのまま壁のように横へ連なる人達の正面に突っ込まず、引き返す方がいいと思う。後ろにいる相手はおそらく襲ってきたあの男の人だけ。


 前に立ち塞がる大人達を相手するよりは……


「大丈夫です。このまま突っ走ります」


「え?」


 リードさんはそう言うと、本当に走る速度を上げ始めた。宣言通り、このまま突っ込む気じゃ……いや、リードさんに限ってそんな力任せなことはしない……はず。


 無論、大広場へ向かうには他にも道がある。それでもリードさんが目前の大人八人の壁に突っ込むと言うなら……僕は、彼女を信じるしかない。


 もう前回みたいな失態を招くわけにはいかない。ここではリードさんの選択が最善だと、そう信じ切るしかない。


「女の子と携帯電話をしっかり握りしめていてください」


 言われずとも、女の子は自分の右胸にぐっと抱き寄せているし、携帯は右手でしっかり握りしめている。


 女の子の背中と頭は思っていたよりも小さく、揃えて抱きかかえてる脚は今にもぽっきりと折れそうなほどやわい。


 そんな子を抱えてるというのに、リードさんは壁のように並び立つ大人達の直球ど真ん中を猪の如く突っ切ろうとしていた。


 今にもタックルしそうな勢いだが、所詮は僕の弱い体。加えて小さな子供も抱えてる。


 僕のこの体に目前にいる大人達を突き飛ばせるような力など到底あるわけもないし、当たれば女の子を腕から落としてしまうことは、リードさんも想定できてるはず……だよね!?


「え、本当にこのまま行くの!?」


「大丈夫です。私達には、今まで積み上げてきたものがあります。私の合図で跳びます」


「っ……分かった!」


 間合いまで近付いてきた今になって不安のあまり訊き返したが……僕は今、少し前の自分に言ってやりたい。彼女……いや、自分たちのことを信じろと!


「僕の首に、ギュって掴まっててね」


 こう言っても伝わるかどうか心配だったけど、女の子はすぐに僕の首元に回していた両腕をさらに強く引き締めた。


「そうそう。よし、じゃあ……あと眼、瞑っててね!」


 言葉を理解わかってくれて良かったと内心安堵しながら、僕の方も覚悟を決めて瞬きしないよう眼をグッと見開き、女の子を手放すことがないようできるだけ抱き寄せる。


「行きます」


「うん!」


「ワンっ、ツーっ」


 僕たちは前屈みになりながら一歩目で懐にぐっと近付くと、二歩目で強く地面を蹴って跳び上がる。


 一見、並び立つ人垣ひとがきには僕とこの子が潜り抜けられそうな隙間など見当たらなかった。


 突破するならこの列の両端を経由して抜けるしか……と、僕は視線を左右に振っていた。


 けれど、リードさんは違った。この列の右端でも左端でもなければ、人と人の間を無理やり通ることもしなかった。


「──……?」


 気付くと、僕の足元には無限のそうきゅうが広がっている。海よりも青く、所々に綿飴のような雲が僕の眼下を流れている。


 ふと見上げると、頭上にあの大人達とスポーティーな服の男性が僕のことを見下げて……いや、首の角度からして、僕を見上げ……っ!


 そこでようやく、自分が高く宙を舞ってることに気が付く。いわゆるバク宙というものを小さな女の子を抱えながらやっていたのだ。


 リードさんにしてはかなり強引な策。初めて見る目前の光景につい感嘆の息が漏れそうだったが、浮遊感に女の子を持っていかれそうで胸が張り裂けそうだった。


 絶対リードさん、女の子のこと考えてませんでしたよね!?


 それでもまるで時が止まったようにすら感じた一瞬は過ぎ去って、僕は女の子を手放すことなく無事にピタリと両足を付けて着地する。


「ぐっ……」


 下半身に圧しかかる女の子と自分の体重。その痛みを味わうのは残念ながら僕だけという悲しい現実。


 絶対リードさん……僕にかかる負荷のこととかも考慮してなかったでしょ……。


 そんな愚痴を垂れる暇など今の僕になく、リードさんは僕が踏ん張った脚をそのまま前へと押し出す。

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