#4 再三の敵

第35話

 日が経つのは早いもので、今日はもう日曜日。


 まあ明日は祝日だからまだ学校も休みなんだけど、もう三連休の真ん中に来たのかと思うと休日を一つでも消費したことが惜しくなる。


 二日酔い気味だった孝子さんも、せっかくの金曜日を無駄にしたと悔やんでいた。


 改めて金曜日の夜の話を持ち掛けたら、なにも覚えてないらしい。でもそれは僕にとって想定内。


 自分が昨夜に散らかした部屋を見て驚くくらいだから、お酒で記憶機能が完全に遮断される人なんだとは分かってた。


 僕も金曜日のことについてはあまり追及したくなかったし、今回はどちらかというと幸いだと言える。


 それでも僕が今するべきことは、休日でも変わらずリードさんのトレーニングを軽くこなせるように体作りをすること。


 本当ならこの時期は大学受験の勉強をしてる頃だろうが、もう内定が決まった僕が注意すべきは学校の成績を下げないようにすることくらい。


 介護職に就くとなればそれなりに体は鍛えておこうと思ってたし、人を支えるのにはやはり筋力が必要不可欠。


 これはいい機会……なんて、残念ながら気兼ねに思えるものでもない。


 本来の目的は僕の家族を奪ったアイ・コピーという相手を捕えること。そのために、リードさんが長く戦えるよう僕自身の体を鍛える。


 息の続かない細い体を、より早く長く動けるように、今日も公園でトレーニングに勤しんでいた。


「ふん、ぬぅー!」


 休日は昼食前にトレーニングをするというリードさん指導の元、二日目も午前十一時からトレーニングが開始。


 そしてランニングを終えて、次に取りかかるのはいつもこの懸垂。三回三セットの計九回で、トレーニングメニューの中でも一番回数が少なく、セット間の休憩が長く設けられている。


 けれど、このトレーニングメニューの中で僕が最も苦手とするものだった。理由は二つある。


 一つは、一回体を持ち上げただけでもう苦しいこと。正直めちゃくちゃキツい。


 別にこのトレーニングを舐めてたわけじゃないが、まさかここまで自分の腕が弱弱しいとは……。


 せめて一セットはギリギリ耐えれると思ってただけ、やっぱりそのしょうから甘かったらしい。そして、あともう一つは……


「がんばれー!」「お兄ちゃん、がんばれー!」「いーちっ!」


 それは、公園で遊んでいた小さい子供達とその親にめちゃくちゃ見られること。


 特に子供達の距離が近すぎる。足を伸ばせば届くところで下から僕のことをまじまじと見てくる。


『介様。子供達が応援してます。頑張ってください』


「はっ……恥っ、ずいぃー!」


 おかげで羞恥心が爆発して力を取り戻せることは結構あるけど、体は正直なもので、限界がきたら手から多量の汗を出して鉄棒から僕を叩き落とすのだ。


「ぐはぁ! はぁ……」


 この瞬間だけは地球の重力がものすごく憎い。


「お兄ちゃんだいじょうぶー?」「まだ三までしか数えてなーい」「お兄ちゃん、ひんじゃくー」


 おまけに子供達は非情で正直ときた。後ろから見守るように笑ってる親といい、今すぐにでも穴に入りたいくらい。


 いやもういっそのこと誰か埋めてください。


『介様、立ってください。いい所を見せるチャンスですよ』


「そ……そんなこと、言われても……」


 懸垂だけは本当に苦手だ。その上観られながら、応援されながらやるのはかなりのプレッシャー。


 腕を曲げれば歓声、でも地面に叩かれたら罵声。天国と地獄ってこういうことか……。


 それでもやることはやらないと、リードさんに強制的に体を動かされてしまう。僕は顔についた砂を払って、また震える腕と足で体を持ち上げる。


「よしっ……二セット目!」


「お兄ちゃん立った!」「がんばれお兄ちゃん!」


 二度目の挑戦は、しかし……その黄色い声援に応えられず、僕はまた鉄棒から叩き落されてしまった。


 そしてまた子供達の純粋無垢な罵声が降り注ぐ。だから嫌なんだよ、このトレーニング。


 懸垂が終われば、あとは階段ダッシュと坂道ダッシュの二つ。


 懸垂に比べればまだマシなものだけど、それでもしんどいことに変わりない。心臓破りとまではいかないものの、僕にとっては十二分に辛いトレーニングだった。


 しかも、力を抜ければ強制的に全力で走らされるという拷問のようなオプション付きなのがヤバい。


『お疲れ様です。今日で四日目の即席トレーニング終了です』


「あ、あり……あぃがとう……」


 トレーニングの後は必ずうまく話せなくなる。なんだかんだ言って、トレーニング後に芝生の上に寝そべるのは気持ちがいい。


 僕がトレーニングを終える頃には周りにいた人達は、いつの間にか姿を消していた。時間も時間だし、昼食のために家に帰ってるんだと思うけど。


 時々ピクニックに来てる人も見かけるが、今日は特にそんな人も見当たらない。日曜日ならもっとレジャーシートが広がってると思ってた。


『夜はまた、あのトレーニングをします』


「う、うん。分かった……」


 これもまた習慣化してきている。でも家族のことを思えばこの程度の努力は仕方ない。


 また病院の時のように、いつどこから来るともしれない相手だ。一瞬たりとも無駄にはできない。


「み、水ぅ……」


 人のいないところだとつい情けない呻き声をあげてしまう。


 ここから公園の水道が近いのは懸垂をしていたあの遊具の場所。疲労した体で向かうには結構な距離がある。


『今日は以前よりも体力が付いたと思います。足取りがスムーズになってきてますし』


「そ、そう……かな?」


 毎日が筋肉痛みたいなもんだし、正直そんな実感はない。


 トレーニングを始める前はいつだって前日の筋肉痛が残ったまま。回復途中の体に更に前日と同じ負荷をかけられる。


 まあ、まずはこの試練に耐えないと次に進めないのは明白だが、そもそも次に進めるかどうか不安……。


 そして相変わらず水が美味い。十月とはいえ、まだ残暑が顕在してる中でのトレーニングは本当に過酷。


 だからこそ余計に水は美味しく感じるし、なんならもうこのまま溺れたいといつも思う。


「水って、なんでこう美味しいんだろうなぁ……」


『私には味覚がないのでわかりませんが、おそらく喉が渇いてるからではないでしょうか』


「……うん。いや、それはそうなんだけど……」


 これは……ボケてるのか? リードさんからたまに『呼吸をしてるのは生きてるからじゃないでしょうか』みたいなこと言われるけど、真面目に話してるのかどうか分からない。


 無表情だから余計につっこみづらいし……。


「あの、お兄ちゃん」


「へっ……あっ」


 ふと、なんの音沙汰もなくいきなり背後から話しかけられて、振り返れば一人の小さな女の子が僕を見上げていた。


 驚きのあまり含んでいた水が口からちょっぴり出てしまった。恥ずかしい……。


「あ、えっと……な、何かな?」


 現れたその子は、少なくともさっき懸垂の時に見た子でじゃない。


 でもその時にいた子達と身長や年齢は大して変わらないように思う。まだ小学生にもなってないくらいだろうか。


「え、えっと……けーたい? て、いうのをもってますか?」


「携帯?」


 なんで携帯? 迷子かなにか? 近くには親らしい人、それどころか人影が一つも見当たらない。


 一応、万が一に備えてホワイトキューブのために持ってきてはいるけど……。


『介様、やめましょう。様子がおかしいです、この子』


 突如、リードさんがげんな表情を見せる。


「え、なんで?」


『この子、おそらく利用されています』

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