第34話

「いただきます」


「……いただきましゅ」


 僕と朦朧もうろうとしてる孝子さんが挟んでるテーブルの上には、白米とビーフシチューとポテトサラダが並んでいる。


 ポテトサラダは余ってたじゃがいもを蒸かして作ったものだ。思ってたよりも楽にできたし、今後も機会があれば作ろうと思う。機会があれば。


「孝子さん、水飲んだら?」


「うーん、でも……シチューがじっしちゅ……みじゅ」


「違う。ほら、コップに入ってるから」


「これは……お酒」


「違う」


 本当ならここで楓からも一言くらい投げかけくる。でも、そのすっぽり空いた席は未だ埋まっていない。ここ数日、どこかしんみりとした空気が僕達の食卓を覆っている。


「シチュー……うまい」


「良かった」


「サラダ……うまい」


「そりゃあ良かった」


「白米……は、白米」


「そうですか」


「お酒……どこ」


「もう飲み切ってたじゃん。ご飯食べる前に」


「じゃあ……このビーフシチュー、お酒入ってる?」


「……一応……」


 入ってないって言ったら面倒な予感がして、思わず嘘を吐いてしまった。


 駄々こねられたりぐずられたりするよりはマシだと思って言ったけど、バレたら終わりだし……何か別の話をして気を逸らさせるか。


「孝子さん、明日は休み?」


「明日……何曜日だっけ?」


「土曜日だよ」


「土曜日……休み。休みだ!」


 休日の話になるとテンションが上がるのは、酔ってても変わらないらしい。


「良かったじゃん。今日はもう早く寝なよ。疲れてるみたいだし」


「いやー、疲れてないよー」


 そう言う割に、孝子さんの声調には疲れが見える。まあ酔っ払ってる人が言う酔ってないは信用しちゃいけないって聞くし。


「あれー……私、話そうと思ったことがあったんだけど……なんだっけ」


 シチューをスプーンで弄りながら、孝子さんがぼそっと呟く。孝子さんが僕に話すことと言えば……警察の事情聴取ぐらいだろうか。


「もしかして事情聴取の話?」


「あー、うん。それもなんだけど……あ、ちなみにその事情聴取はー……いつだっけ」


「えぇ……」


 いやそこはちゃんと覚えててもらわないと……。僕も警察の方も困るよ。


「今ねー、看護師とか医者の人、あと入院してる患者さんにも訊いてるから、そこで証言をもらえるようなら後回しになるかもーとは聞いてるんだよねー 多分……明後日かなー」


「明後日……あ、日曜日ね」


 でも多分なのか……。まあ孝子さんの病院は患者さんがいる総合病院だし、診察の受付がなくても診ないといけない相手は病院内にもいる。


 いつの日か聞いた話だが、孝子さん曰く、土日祝日だろうと油断はできない職場だそうだ。


「とりあえず、仕事お疲れ様」


「……仕事……」


 本当にお疲れの様子だ。その焦点は僕に当たってるようで、どこか明後日の方を見ている。もう日曜日のことを考えててもおかしくないような眼をしてる。


「あ……そうだ。話すこと……思い出した」


 僕がぱくっとスプーンをくわえた時に、ふと孝子さんがそう言い放った。


「介くん……ほんとに良かったの? 就職で」


 そう切り出す孝子さんはしょんぼりした面持ちをしていて、思わず僕は手を止める。


「……なんで?」


「うーん……別に、否定はしないけどさ……行きたい大学とかあったんじゃないかなーって」


「それは、もう話したじゃん。なんだかんだ、僕の夢は叶ったしさ」


「……大人だなぁ……」


 もうしょんぼりしてるのかも眠たいのかも判然としない。かと言って、適当にくっちゃべってるようにも思えないけど。


「どういうところが?」


「うーーん……そうやって、自分でちゃんと決めて……ちゃんと結果を出してるとこかなー」


 きっと褒めてくれてるんだと思う。でもあまり嬉しいとは思わなかった。


 なぜなら楓に怒られてしまって、この自分の選択が本当に間違ってなかったのかとまた考えてしまうから。


 孝子さんの方はきっと、僕の意見を尊重してくれてるんだと思う。訊かれれば話す。そういう姿勢で今、僕と向き合ってくれてるのだろう。


「孝子さんにとって……大人になるって、どういうことなの?」


「うーん……夢を諦める、ことかなー……」


 さっき口にした褒め言葉とは真反対のような回答が返ってきた。やはり、酔っ払ってる人の言葉が信用に値しないのは間違ってないのかもしれない……。


「そんな悲しいこと言わないでよ」


「うーん……」


 今日の孝子さんは目に見えて様子がおかしかった。家に着く前にお酒を飲んでくるし、いきなり僕の進路についてまた話し出すし。


 もしかして楓のことを引きずってるのか、もしくは病院でなにかあったのか……。


 しかし、それを訊き出す勇気が、僕にはなかった。自分がそれを口にできる立場にないと分かっているから。楓も病院も、どちらも僕が発端だ。


 僕からその件を訊き出したら、どの口が言ってるんだって怒らせてしまうかもしれない……なんて、悪い想像が頭の中に居座ってるせいで未だ言い出せずにいる。


 そんな人の気も知らないで、孝子さんの方は各々軽く口を付けると静かに寝落ちしてしまった。


 仕方ないので、残りの夕食は僕が食べれるだけ食べて、あとは冷蔵庫へと保存。明日のトレーニング前の朝食にでもしようと思う。


 今日の夕食は、僕と楓がこの家に来てから今までで一番物静かだった。

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