第19話

「……なるほど」


 リードさんは目前にいる二人のその後ろから来ている人影を一瞥するや、不意に後ろへ大きく跳び上がる。


「おぉっ……」


 後ろ向きのまま、髪先が軽く天井に触れるほどの大跳躍に体が一瞬キュッとすくんだ。


 ジェットコースターはまだ人生で一回も乗ったことないけど、体感はこんな感じなのだろうか。


 そんな呑気な考えができるのも束の間。転がっている人の山も飛び越えて無事に着地できた。


 けれど、焦りなのか無自覚に恐れているのか、また鼓動がわずらわしく呼吸もいてきている。


 しかも、僕たちの後ろからは別の大人達が近づいてきているし、前からも五名ほどの男女が向かってきてるのが分かった。


 多少距離を取ったところで、余裕は寸分も生まれていない。


「えぇ……!?」


 前言撤回。ふとナースセンターと階段の間にある広い廊下の方を見やると、三人の灰髪はいはつの大人達がこちらに向かってきていた。


 前後だけではなく、横からも。ここから見えるだけでも十人以上の大人が、しかも全員支配されているなんて……。


 そして、どうやら支配されている人の判断力が皆無というわけではないらしい。


 昨夜の時点ではただ単に突っ込んでくるだけの操り人形と化しているのかと思ったけれど、前方から向かってくる二人は人の山をしっかり飛び越えてきて、再び僕たちのところへ向かってくる。


「……」


「……あ、え、リードさん!?」


 リードさんは広い廊下の方から近付いてくる灰髪の大人達の方に正面を向けると、右、正面、左の順に首を回して、それ以上のことは何もせず、その場で留まりだした。


「リードさん! 何して」


「介様静かに」


「……っ!」


 弾丸の如く早口で言われて、僕はすぐさま喉をキュッと閉める。


 リードさん、何をしようと……。もうほんと……目の前まで迫ってきてるんだけど!?


 右から左から正面から、慌ただしい勢いで距離を詰められている。


 もしも彼ら彼女らと僕たちの距離が僕の寿命を表しているのだとしたら、あと一秒もないくらいだろうか。しかし、それでもまだリードさんは動き出しそうにない。


 刹那、僕は息を詰まらせた。


 それは命が尽きたという意ではなく、無数の拳や足が僕たちめがけて飛んできた途端、何かを見計らっていた様子のリードさんが急に動き出したから。


 彼女は左右の集団から飛び出してきた足の首を手で掴むと、勢いそのまま利用して互いに反対側へ流した。


 すると両サイド、どちらの集団も、突っ込んできた蹴りをまともに受け、見事にドミノのように総倒れしていく。


 リードさんはその場から極力動かず、左右の集団をあっさり片付けてしまった。


 しかし、ひと息入れるいとまもなく、今度は正面から向かってくる数人の大人達に注意を向け直す。


 左右に向かって飛んでいく人の陰が僕たちの視界を一瞬遮り再び視界が開けると、男性の右手がぐっと僕たちの懐まで伸びてきていた。


 僕にはあまりに目まぐるしくて、せわしなく変化するこの状況下では、この時点で対応できない自負すらある。


 けれど、リードさんは違う。そう来るのが事前に分かっていたように、迷いのない行動を取る。


 彼女は伸びてきていたその手首を掴むと、男性が近付いてくる勢いを利用して肘を折るや、腕を彼の背に捻る。


 すると、どういうわけかリードさんはその身を盾として扱い始め、遅れて向かってきていた女性二人が拳を振り上げると、その攻撃の軌道上に男性のじょうがんが当たるように膝をカクンッと曲げさせた。


 真正面から受けていたら軽く吹っ飛んでしまいそうな衝撃が、その男性越しに伝わってくる。


 リードさんが男性から手を離すと、案の定、彼は倒れ込んでしまった。


「えぇ……」


 多少の息切れもあってか、僕が上げた悲鳴は弱々しく掠れたものだった。その吐いた息を吸い込む間もなく、目前二人の二撃目が放たれようとしている。


 しかし、足元には顔面強打で倒れた男性、左右のスペースものびてる人の腕や脚で埋もれていて踏み場が限定的。安易に動ける状況ではない。


 問題はそれだけじゃない。リードさんの人の扱い方だ。さっき背負い投げていた男性も盾にして扱っていた男性も、二人とも患者衣をまとっていた。


 となると……彼女は今度、床に倒れてる患者さん達を踏み台にするんじゃ……。


 僕がそんな心配をしている間に、リードさんは右半身を逸らして、二人の拳を躱していた。


 支配されている二人は互いに逆の手、右と左の同時攻撃が僕の体の正中線をストレートに狙ってきていた。


 速度は簡単に見切れるものではなそうだったが、彼女にとってその正直な軌道は読みやすかったのだろう。


 リードさんは躱すや否や軽く跳び上がると、着地した反動を利用して送り足で一歩前に踏み込み、左にいる看護服を着た女性のこめかみに右拳を強く打ち抜く。


 その間、患者衣をまとった中年女性が右拳を引っ込めると、入れ替わるように左拳がその懐からぐっと前のめりに顔を出してくる。


 看護師の方は強い衝撃に耐えられず、徐々に体が傾き始めた。その様子を目の端に収めながら、リードさんはもう一方の中年女性に視線だけやる。


 あいにく前に踏み込んだ際、右のかかとが床から浮いていた。加えて、体の重心は左に流れている。


 おそらくこの状態で患者衣を着てる女性の方へ振り向こうとすればバランスを崩し、できたとしても拳を片腕でガードするくらいだろうか……。最悪、顔を強く打たれてまともに立てなくなるかもしれない。


 一瞬、不安が頭をよぎる。いくら人間離れしてるリードさんでも、アンバランスな体勢ではその本領を発揮できないのではないか、と。


 しかし、その考えは狭かった。リードさんの凄さは人間離れした動きだけじゃなかった。


 彼女は振り向く……のではなく、素早くしゃがみこんで女性の鋭いパンチを避ける。そして左拳をギュッと握りしめると、中年女性のあごめがけて勢いよく突き上げた。


「いっ……!」


 こめかみを殴る時よりも、顎に拳を当てる時の方が腕全体への衝撃が大きかった。


 思いの外左腕にずっしりとした重みと痛みが響いてきて、僕は歯を食いしばりながら床にバタンッと倒れ込む女性を静かに見届けた。


「……う……うわぁ…………」


 ゆっくり呼吸する暇もなかったおかげで、リードさんが動き終わった後は少しばかり肩で息をする羽目になった。


 それでも驚きを隠さずにはいられなかった。僕が抱いていた不安や心配を、リードさんはいとも容易たやすく、その人間離れした動きと咄嗟の判断力で裏切ってきたのだから。


「介様、大丈夫ですか?」


「あ、うん。なんか、まあ……」


 僕は一度左右の人の山を交互に見てから、最後に足元に倒れてる三人の大人達を見下げる。


 さっきまで手の甲にあった焼けるような痛みが、周囲の光景を再確認していたらどこかへ去ってしまった。


「それより、楓……相手を追わないと……」


「そうですね」


 言葉を失う大惨事を目の当たりにして、僕はこの現実から逃げるように話を逸らす。


 リードさんは首肯しゅこうすると足元に倒れている女性の脚をまたぎ、倒れている人達の様子を窺いながら積み上がった人の山と徐々に距離を置く。


 支配されている人達は決して死んではおらず、倒れているだけ。いずれ時間が経てば、また動き出しそうな雰囲気が漂っている。

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