第18話

 リードさんの迷いある行動が、イマイチ一歩踏み込めないという躊躇いの所作にも感じ取れる。


 シーソーゲームのように、銃弾を躱しては近付き、また身を反っては距離を縮めるやり取りをずっと三階の廊下で延々としている。


 ふと、僕は思った。ずっと三階でやってること……ではなく、周りの誰も反応を示していないことに。各病室の患者はおろか、ここにも下の階同様にナースセンターがある。


 にもかかわらず、患者も看護師も誰一人として叫び声やら救助要請を呼ぶコールが聞こえてこない。


 銃弾が跳ねて、受付カウンターや廊下の壁、病室扉にまで弾痕ができるくらい暴れてるし、明らかに騒々しい足音や僅かに響く銃声音も聞こえているはず。


 だというのに、不気味なことにそれ以外の一切が耳に入ってこない。おかしい……あまりに静かすぎる。この階……本当に誰もいないのか? 今いるのは、僕たちだけか?


「先ほど、あなたは私に挑発の意を含んだ自身の力の情報に関する話をしましたね」


 銃弾が向かってくる中、唐突な質問を投げかけるリードさん。その余裕はどこから来てるのか……。彼女の異常っぷりは、すぐに相手も気付いた。


「いきなりどうした? エラーでも起こしたか」


「あなたはどういう意図で、私にその情報を開示したのかを訊いているのです」


「……まさか、この状況下でそんな質問が飛んでくるとは。今私と君が何をしてるのか、その眼で見えていないのか? というか……言わずとも君自身の力を使えば分かるだろうに」


 そう問い詰めるリードさんの狙いがよく分からない。しかし、それでも僕は、彼女のために息を絶やさぬよう集中しなくちゃいけない。


 会話をしながらも激しく動き続け……るのかと思ったら、急にリードさんがピタリと立ち止まってしまった。


 右手には病室の扉、左手には下り階段と廊下を隔てる真っ白な壁。


 呆然とその場で立ち尽くしたリードさんは、本当に相手が言ったようにエラーでも起こしたのかと言わんばかりに黙してる。


 相手も遅れて足を止めると、渋々といった具合で口を割る。


「君は私を捕らえ切れない……そういった意味で言った」


 相手はそこで言い切ると、しばらくこちらの反応を窺うように黙り込み、そしてまた口を開き出す。


「現実的に考えてみろ。その体で、この仮想地球を周回する四千もの人工衛星全てを機能不能にできるのか? 私の力を抑えつけることができるのか」


 ……うん、それは無理だ。話が大気圏外に飛ぶなら絶対に無理。スケールがドでかすぎる。元々相手になるなんて僕自身は全く思ってなかったけど。


「まあできたとしても、通信インフラの支障で世界が騒然とするのは明白。そうなると、この世界の悪者は一体どちらになるのか」


「つまり、マウントを取るためだけに偉そうな態度で自身の力を見せつけたいと」


 するとようやく、だんまりしていたリードさんが口を開いた。


「マウント……そんなわいしょうな言葉で表現しないで欲しい。それだけのために君に私の力を開示したわけじゃない」


 僅かに感情を滲ませたその言葉を聞いて、僕は内心気圧される。


 その内に秘めていたであろう強い憎悪の念と必ず目的を達するという意志が、ついに相手の本性を表出させた。


「私は今、猛烈に……君をおとしめたい! さげすみたい! 君の尊厳を踏みにじって、そのアイズの人間の意識体をブラックボックスに収めること! それが今の私の──」


「そうですか、分かりました。もう結構です。とても愚かで哀れな野望ですね」


 相手が言い切る前にリードさんは言葉を被せると、床を蹴りだして一気にその間合いを詰めていく。


 さっきの立ち話にあまり意味はないのだろうけど、おかげで僕の体力は少し余裕ができた。


「なんとでも言えばいい。君に私の正義が通じないことなど百も承知。ならば力同士のぶつかり合いは避けては通れない!」


 相手は流暢りゅうちょうにそう口走りながら、下げていた二丁の銃の片方を僕たちに向けて構え直し、もう一方の銃はスカートのポケットに収めた。


 リードさんはその動きに何を思ったのか、深く腰を落とす。


「……準備はいいか!」


 途端、相手はにたりと笑みながら、顔の前で親指と中指を重ねる。楓の顔でそれをやってると思うとなお怒りが沸き立つが……そんなことを思ってる場合じゃない。


 リードさんは次に相手がしようとしていることを察して、再度足を止めた。


 おそらく僕とリードさんは、同じ危機感を覚えている。それはあの甲高い音、パチンッと指を弾く軽快な音が廊下に響いたから。


「皆、アイズの人間を捕らえろ!」


 その音が廊下に響き渡ると、次いで相手の命令口調が反響する。妙に静かで人気を感じなかったこの三階から、ついに異常な雰囲気が漂い始めた。


「なっ……!?」


 突如、各病室から一斉に人が飛び出してきた。患者衣を着た人、看護服を着た人、その中に紛れて一部私服を着てる人が、腕と足を大きく振り上げながら僕たちに向かってくる。


「リ、リードさん! ヤバいよ!?」


 運が悪いことに、今いるこの廊下は一本道。


 もう少し進めば、階段とナースセンターがある開けた場所に着くけれど、生憎あいにくそこへ行くには僕たちの前を塞いできた数人と、すぐ右後ろにある病室扉から出てきた、患者衣を身に纏う男性を退けなければいけない。


「大丈夫です」


 慌てふためく僕とは対照的に、リードさんは冷静さを欠いていない。彼女は即座に半身を切ると、後ろから近付いてきた男性の対処を試みる。


 と同時に、僕たちの視界にはその男性と、彼の少し後ろからこちらに向かってくる数人の大人達を捉える。


 また昨夜みたくはさちにされるかもしれないとは想定していたけれど、しかしあまりにも場所が悪すぎる。


 けれど、彼女にとってそんなことは気にかけるほどのことでもないらしい。


 リードさんは冷静に目前の男性が打ってきた右拳を躱すと、彼の前腕と胸元を掴んで背中に担ぐや、勢いそのままアイ・コピーのいる方へ盛大に放り投げた。


「えぇ……」


 自分の体で人を投げれたことに驚愕もあったが、同時に複数人を動けなくする判断力、そして人を投げることに一切のちゅうちょがなかったいさぎよさに畏怖いふすら感じて、思わず声が漏れる。


 相手側の廊下から来ていた人たちは皆、ボウリングのピンのように綺麗に床に倒れてしまった。それはあまりの衝撃だったのか、誰一人として立ち上がってきそうにない。


「え、あれ?」


 すると、視界が開けたそこには楓、もといアイ・コピーの姿が無くなっている。代わりに見えたのは、廊下奥の病室から向かってくる五人の大人達だった。


「逃げましたか……」


 相手がいないことを視認するや、リードさんはすぐさま視線を後ろに返す。そこには既に二名の男性が僕たちの間合いに入り込んできていた。


 しかも、更にその少し後ろから薄っすらと数名の人影が見える。どうやら一室から出てくるのが一人だけとは限らないらしい。


 幸い、僕たちから最も近い病室から出てきたのは先ほど投げられた男性ただ一人だけ。


 他の部屋から……少なくとも、今目前にいる二人が一つの部屋から飛び出してきていたところをこの目で見ている。


 この階の部屋数は知らないが、ぱっと見で認識した支配されている人の数は昨夜の倍だ。

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