第17話

 ようやく咲いてきた花だったが、リードさんの言葉を最後に、もしくはそれを合図とするように銃弾が発射される。


 リードさんは瞬時にしゃがみ込んでベッドを盾に見立て、相手の出方を探り出す。


 昨夜何度も耳にしたであろう鉄製物同士が擦れたようなその高音は、しかし聞き慣れることはない。


 また殺されるかもしれないという恐怖、トラウマに僕はひるんでしまう。


「介様」


「あ、はいっ……」


 リードさんが落ち着いた声音で僕を呼んだ。


「また昨夜同様、激しく動きます。今度はあなたの身の安全を守ることを最優先に、あのアイ・コピーを、またホワイトキューブで捕らえに行きます」


 ホワイトキューブ……そうだ。あの立方体の名前はホワイトキューブ。


 名前の一部が思い出せなくてむず痒かったのがようやく解けた。ほんと、情報量多すぎて頭の中がこんがらがる……。


「うん、分かった……!」


 心を蝕むような恐怖心をぐっと堪えながら、僕は首を縦に振ってみせた。


 ホワイトキューブで捕まえられたら、楓の体はあの釜井さんのように元に戻るはず。ならこの戦い、絶対に一歩も引くわけにはいかない。


「では……息だけは、絶やさないでくださないね」


 僕に一言そう告げると、リードさんは大事に握りしめていた携帯を耳に当てる。


「マテリアライズ、ホワイトキューブ……。コマンド:フィジカルブースト レベル ワン・ゼロ……」


 リードさんはまるで呪文のような言葉を静かに口ずさむ。


 とりあえず、最初の言葉の意味は理解した。自分の携帯電話をホワイトキューブに変化させるための、要請みたいなもの。


 次のは……多分、身体強化? だと思う。昨夜、あの相手がサラッと口にしてた言葉だ。


 まあ僕からすれば、リードさんが僕の体を使うだけでもう身体強化されてるようなものなんだけど。


 でも昨夜の決着時、リードさんがコマンドというものを口ずさんだ後、本当に視認もしがたい速度で人の間を駆け抜けていった。


 しかし、その分僕の体力の消耗はすさまじいものだったし、意識を保つだけで精一杯だった。


「……ふぅー……」


 手中の携帯は白く発光すると、やがてその形を立方体に変える。再度見ても、やっぱり目に優しい光ではない。


 僕はその手の感触を覚えながら、呼吸に意識を傾けていく。息を止めれば酸欠状態になって、体が言うことを聞かなくなる。


 また昨夜の乱闘みたいに、自分が情けないことにはなりたくない。


 だが今回、比較的落ち着いている。今、自分がなにをするべきか。それがはっきりと認識できる。信じるべき相手も分かる。果たすべき目的が示されてる。


 大丈夫。息を絶やさないこと。今考えるべきは少しでも自分の体を動かすためのサポート。


「マテリアライズ、ブラックボックス……」


 銃撃が数発だけでんだかと思うと、相手のマテリアライズという小声が聞こえてきた。


「行きます」


 その隙を突こうと、リードさんは咄嗟に立ち上がって走り出す。


 その僅かな所作も小さく、腰を曲げて低い体勢でスタートダッシュを決め、床を強く二歩だけ蹴ってべッドを反時計回りに迂回する。


 視界に映るのは、まだ黒く発光している……おそらくそれが楓の携帯電話だと理解して、途端に自分の内側から沸々と煮えたぎるような感覚があった。例え携帯でも、家族のものをめちゃくちゃにされるのはとても不愉快だ。


 相手はこちらに気付くや、銃口をすぐさまこちらに向けて引き金を引く。昨夜はあの長い筒から放たれる銃弾におびえて何度も瞬きしてしまった。


 今回は音がしても、銃弾が飛んできても、リードさんの邪魔にならないようしっかり眼を開けておかなければ……。


 一歩二歩と、進む速度は、やはりコマンドというものを口ずさんだ時から俊敏だ。自分の体だからこそ分かる、異様な足の身軽さと進行速度。


 勢いそのままにリードさんは昨夜のように容易く銃弾を躱しながら、躊躇うことなく相手との距離を詰めにいく。


 ……あれ? 確か、リードさん……僕の体を守るって言ってなかったっけ?


「フンッ!」


 銃弾を躱して相手の間合いに入り込むと、リードさんは床を押し蹴って軽く飛び上がり、相手の腹に横蹴りをお見舞いした。


「って! ちょっ、リードさん! 相手の体、楓のっ……!」


 僕の言葉に耳もくれず、廊下の壁に激突した相手の元へ駆け寄る。


 標的とは言え、その体は僕の妹。できれば手加減……は、できるならして欲しいんだけど!?


 しかし相手は拳銃を携えている。そう易々と気は抜けないわけだが……。


「……くっ!」


 リードさんは軽快にまみれの床を飛び越えると、廊下に腰を落とす相手の間合いに飛び込む。


 すると、相手の懐からもう一丁の筒のついた拳銃が顔を出していたことに気付く。


 相手は食いしばった表情で、二丁の拳銃をやや上にいる僕たちに向けて同時に発砲。僕たちの足がまだ付いてない僅かな隙を狙われる。


 するとリードさんは開ききった扉の側面を空中で蹴飛ばして、二つの弾道から身体を逸らした。


「え……えぇ……」


 リードさんが廊下に着地してすぐ、思わず口から感嘆とも驚愕とも取れる声が漏れた。


 なんて馬鹿げた動き……。人間ではないにしても、AIが人の体を使ってまるで重力を無視したような身のこなしをするなんて……。


 いや、単にリードさんがすごすぎるだけなのかもしれないけど。


 足が付いてまもなく、リードさんは床を蹴って再度相手の懐へ走り出す。今のリードさんは容赦ようしゃがなさそうだ。明らかに昨夜とは違って動きに迷いがなく、俊敏だ。


 リードさんの動きを目の当たりにした相手はすぐさま立ち上がり、二つの銃口をこちらに向け直す。


 先ほど出てきた二丁目の拳銃は、おそらく警官の川田さんのもの。いつの間に回収を……。するなら、僕たちがホワイトキューブと身体強化をしてるあの間か……。


 さっきの身代わりの術を例に挙げた話で分かったことがある。


 それは今、楓に本体なるものが入り込んでいるということは、あの時……帰る途中で電話に出た楓が倒れたのは、楓の中に相手の分体が入りこんで動けなくなったということ。


 楓は相手の分体に乗っ取られて、おそらく僕たちがホワイトキューブで追い詰めた時、相手の本体は瞬時に楓の中にいた分体と入れ替わった。


 まるで自分の人形のように人を操り、人の家族まで奪って、さらには人もあやめる。リードさんのとめどない動きに、容赦のないその姿勢に、僕がなにかを言い足す必要は……ないと思う。


 僕たちがやること、今僕がしなくちゃならないことは決まってる。このホワイトキューブで、まずは楓の中から相手を吸い出して、楓を取り戻す!


 近付く僕たちを前に、相手は後進しながら二丁の拳銃を同時に発砲する。


 それでもリードさんは廊下の壁なり、取り付けられた手すりを利用して、相手の弾を躱しながら徐々にその距離を詰めていく。


 相手の後進速度よりも、明らかにこちらの近付く速度の方が上回っている。


「ちょこまかと!」


 なんだろう……。昨夜の戦闘と比べて、なんだか相手が……鈍い、のか? いや、体か。確か僕の体では警官のたくましい体には対抗できないみたいなことを口走ってた気がする。


 相手は楓の体を使ってるから……コマンドを使った僕の体の方が、上回ってる……ってことか?


 そんな考えも巡らせているが、やはり拳銃がある以上、縮められる距離には限度がある。


 おそらくリードさんは、相手が隙を見せない限りこのまま一定の距離を置く。それは僕の体が撃たれれば一転して劣勢に陥ってしまうリスクを思ってのことだろう。


 かと言って、いつまでもこのままの状態では決定打を打てず、やがて僕の体力が尽きて行動不能になってしまうリスクも考慮しなくてはいけない。


 時間が経って多少筋肉痛は引いてきたけど、それでもまだ顕在ではあるし、なによりまだ食事をしてないことが悔やまれる。


 空腹と筋肉痛のダブルハンデは、存外厳しいものがある。

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