第16話

「すみません、愛田さん。それでは事情聴取の方、パトカーの中で行いたいので、今から駐車場までご同行願います」


「あ、はい」


 パトカーに乗るのはこれが人生初だ。なんだか緊張する……。そのまま連行されて牢屋に入れられないことを願いたい。


 ふと病室を見渡すと、窓際の棚に自分の制鞄が置かれていて、ベッド横の壁にブレザーがハンガーで吊るされていたことに気付く。


 さっきは気が動転していたからか、そこにあることすら気付かなかった。きっと孝子さんが置いといてくれてたんだろう。ありがとう。


「あ、荷物も一緒に持っていった方がいいですか?」


「であれば、貴重品だけに留めてもらえればと存じます」


「分かりました」


 貴重品と言えば自分の携帯電話。白い立方体にさせられた僕の携帯はどうなっているのか。


 そもそも自分の携帯があるのかも疑わしい。気絶して倒れた時に、釜井さんのように紛失してるかもしれない。


 そんな不安に駆られながら、僕はおそるおそる制鞄の中を漁り始めた。


「……あ、あった!」


 立方体じゃなく、ちゃんと携帯の形に戻ってる! スマホケースもそのままだ。


 あの立方体の手触りからして、もしかしてケースは消滅したんじゃないかって不安だったけど……よかったぁ……。


「あの……すみません」


「ん……うおっ!? ど、どうされました?」


 つと、川田さんの驚く声が響いてきた。思わずそちらを振り向くと、病室扉の前にスカートとセーラー服を身に纏った一人の少女が立っている。


 警官二人が影になっていて顔は見えないが、僅かにちらと見えるのがその髪型。二本に束ねられている灰色の髪が、僕の中で楓と重なる。


 思えばあの時、この制鞄は楓を寝かせるときに使ったもの。


 今さっき中を見たときは上から押さえつけられたように凹んでいた筆記用具や教科書、ノートの状態を特に思わなかったけど……楓を思い出した瞬間、なんだか心が締め付けられる。


「その、拳銃を紛失したと聞いて……」


「……えっとー……はい?」


 少女の声は、思ったよりもドスの効いたものだった。だからなのか、川田さんがなんだか聞き取りづらそうにしている。


 何を話してるんだろう……。少し気になるが、割り込んで邪魔をしてしまうのも気が引けるので、とりあえず僕は大人しく青空でも拝んでおくことにした。


「これ、なんですけど……」


「え……あ、それ……その拳銃! どこで!? ま、間違いないか、釜井!」


「あ、はい! これです! どこで見つけました!?」


 どうやら話が盛り上がってるらしい。話しかけてきた子はここの患者さんだろうか……。


 にしても、警察の人たちはやっぱりがたいが良い。横に広いというか、縦に長いというか……。


 リードさんに戦闘向きじゃないと言われてから、少なからず羨望の眼差しを向けてしまう。


『介様、すみません。体を貸していただきます』


「え、あ、うん」


 突如リードさんはそう言い出すと、僕の視界の中から瞬時に消える。


 すると、僕の意思を無視して体が勝手に動き始め、手に持ってた携帯の上で親指が踊り始めた。


 昨夜もそうだったけど、自分で動かしてるわけでもないのに勝手に動く体はなぜだか気持ち悪い。


 それにしても……どうしたんだろ、リードさん。いきなり何も理由を言わずに体を動かすなんて……。まだ会って数日も経たない関係でこういうのもなんだが……らしくない。


「それは……良かったです」


 少女のその一声は、いやに僕の鼓膜を劈いてきた。


──カシャッ、カシャッ!


 直後、金属同士が擦れたような音が二発、甲高い音が尾を引くように部屋に響く。


 リードさんの携帯操作に気を取られていたら、僕の眼前で不意に警官二人の頭から真っ赤な血が吹き出した。


「この女体でもなんとか撃てるぐらいの力しかないか。気が思いやられる……」


 さっきまで少しドスが効いただけの女声だと思っていたけれど、その静かに囁くような声は明らかに男声。しかも……聞き覚えのある声だ。


「え……か……楓?」


 僕は倒れた二人の警官ではなく、病室の前にいた少女に真っ先に目がいった。


 髪色が違う、瞳の色が違う。けれど……あの目元、口の形、髪型……そして、セーラー服。


「かえで……楓なのか!?」


 間違いない……楓、楓だ! 起きたんだ! でも……髪と、目の色が……。


「動かないいでださい、介様! 相手は拳銃を手にしています」


 リードさんに言われて、すぐさま僕は楓が握っている銃に視線を落とす。今目の前にいるのは楓であることに間違いない。


 けれど、自分の中で近付いてはいけないという本能的な危機感と、楓だから助けないといけないという理性的な正義感がせめぎ合って、前に踏み出そうにも踏み出せない。


「……アイ・コピー。あなたがなぜここにいるのか。そう私が訊いたら、答えてくれますか?」


「え……それ、って……」


 昨夜、リードさんが白い立方体で捕えたはずじゃ……。髪色と目の色は、確かにあの時の釜井さんと酷似してるけど……。


 リードさんはたずねたが、楓……は何も答えない。こちらをめつけたまま、静かに銃口を向けてくる。そして……


「……っ!」


 静かに引き金が引かれた。しかしリードさんは瞬時に躱し、後ろの窓ガラスには蜘蛛の巣のようなひびが入る。防弾ガラスなのか、銃弾は貫通してない。


「答えは……ノー、ということですね?」


「いーや、イエスだ」


 どっちだよ……と内心つっこんだ。ようやく応えたかと思えば、相手はまた一発放つ。


 それでもリードさんは、こなれたステップ一つと半身を翻すだけで銃弾を躱す。二人の冷静な語調とは反して、僕の心臓はやけに煩い。


「君は身代わりの術というのを知っているか?」


「忍者が使う幻術の一つと認知していますが……それが何か?」


 リードさんが応じるや否や、相手はふっと笑みをこぼした。


「私は、分体と自分自身を入れ替えることができる」


「……それじゃあ、つまり……あなたが言いたいのは、私が捕らえたと思っていたのは、あなた自身ではなく、あなたが生成した分体であると?」


「そう。正解だ」


 口の端を上げながら言葉を口にして、また遊び程度としか思えない銃撃音を放つ。そしてそれをまたリードさんが躱してみせる。


 何がしたいのか……相手の妙な射撃が続く。けれど、こっちはあの拳銃に易々と近付けない。僕たちには武器がないし銃弾を弾いたりできる硬い盾もない。また、この身一つだけで戦うことになる。


 だが、昨夜と違ってここは屋内だ。動けるスペースが限られているし、あのリードさんの身のこなしも制限されてしまう。


 今は相手の出方を見るのが賢明と、彼女はそう判断したのだろう。


「他の体に入っている分体と今この体に入っている私は、お互いの居場所を入れ替えることができる。この地球の周りを周回している公衆衛生を使って、ほぼノータイムで」


 なんだよそれ。そんなこと……あの一瞬で、白い立方体で捕らえようとしてた時に、できたってこと? ……反則だろ。


「この世界において、AIが乗っ取った体はいわば携帯電話と同じ仕様で扱える。それは君も存じているだろ? アイ・リード」


「……だから、なんですか」


 僕は知らなかった。リードさんがその発言に驚いてないってことは……そのうち話してもらえることだったんだろうか。


 というか、それが本当なら、僕自身が携帯電話みたいになることもある……ってこと? いや、どういうこと!?


「分体が入っている体は私の送受信先であり、また私が入ってる体は分体の送受信先でもある。だから私はこの世界でも分体を操作制御ができるわけで……そして私と分体は、この世界で肉体のトレードが可能。なぜならAIが支配した体は公衆衛生を利用することで自由に肉体同士の通信を可能にしている!」


 アイ・コピーは嬉々として不気味な笑顔を浮かべると、ばっと両手を開いて天井を仰ぎ見る。


「なんて世界! 窮屈な現実とは可能性の幅が段違いだ!」


 血塗れの二人を足元に転がしているというのに、その振る舞いには正気を疑わざるを得ない。胸中には自然と身を裂くような嫌悪と憤怒が疼きだす。


「そうですか。得意げに自身の情報をさらけ出してくださり、助かります」


「いやいや、滅相もない。私は単に、この世界の理を話しただけに過ぎない」


 相手が得意げにそう言うと、リードさんが柄にもなくため息を吐いた。


「なら、私が訊ねた質問についても、答えていただきたいものですね」


「ん? 君が訊いたのは、なぜ私がまだ捕まっていないという意の質問では?」


「違います。私は、なぜあなたがここへ来たのか、と訊いたのです」


「なんだ。てっきり私の安否を心配してくれたのかと」


「むしろもう現実にもここにもいなくなってもらいたいと願っていますが」


「そうか。まあその要望に対する答えなら……もちろん、ノーだ」


「そうですか。分かりました、もういいです。応じないと言うのであれば、時間の無駄です。あなたを早急に捕えます」

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