第13話

『介様。そろそろ二十分になります』


「え、あ……」


 考え事をしてたら時間が経つのも早い。二十分なんてあっという間だ。


『それにしても介様』


「ん?」


『やっぱり細身ですね』


 言われて、ふと彼女の背後に見える水滴のついた全身鏡が目につく。


「ちょっ、鏡越しに見るのやめてよ!」


『すらりとしてると言えば聞こえは良いですが、生死を彷徨う戦闘には向いてません。瘦せ型なので腹筋は割れてるように見えますが、単に脂肪が少ない分、筋肉が出てきてるだけですね』


「いきなり冷静な目で僕の体を見るのやめてくれない!? なに、これも共有!? 視界の共有!?」


『確かに共有ではありますが、私は最初から視覚野にいるので、介様の目に映る景色は私にも最初から見えてます。バッチリと』


「そういえばそうでしたね!」


 そうだ、彼女は僕の視覚野にいる。だから僕が見てる景色は、彼女もいっしょに見てるということか……て、冷静に反芻はんすうしてる場合じゃない!


 僕はすぐさま浴室を出て、脱衣所へと移動してきた。


「いきなり怖いよ。体の分析されるとか……」


『安心してください。私は人ではないので性欲はありませんし、興奮もしません。むしろできない、と言った方が正しいでしょうか』


「そういうことを言ってるんじゃないんだけど!? 見方というか……い、言い方というか!」


 脱衣かごに入れていたカッターシャツとズボンは、いつの間にか学校の体操服ジャージに変わっていて、だつかごの横に掛けられてるビニール袋の中には押しつぶされているカッターシャツとズボンがあった。


 あと、ちゃんとパンツまで新品に変わってる。なんだか恥ずかしい……。


 体を拭き終えてからバスタオルも一緒にビニール袋に詰め込んでたら、途端に自分のお腹が強烈なうなりを上げる。


 リードさんと話をしたからか、やけに体力を使った気がする。なんだか疲れた……。


 しかし、だ。入院患者じゃない僕には当然ご飯なんか出ない。なら、僕は事情聴取が終わるまでこのまま空腹に耐えるしかない……のか?


「お、スッキリした?」


「あ、はい」


 着替え終えてシャワー室から出てくると、扉横の長椅子に座していた孝子さんに声を掛けられる。


「着替え、ありがとうございます。そういえば孝子さん。僕、今日の学校は……」


「それはもう連絡してあるから。今日は休みにしてもらってるから安心して。あと、警察の人がもうすぐ来るみたいだから。介くんは一旦病室に戻って待ってて」


「あ、はい。分かりました」


 シャワー室の中に掛かっていた時計は午前七時半過ぎを示していた。事情聴取は昼前くらいにされると思ってたが、予想よりもかなり速い。お疲れ様です、警察の方。


「はい。じゃあ、これ」


 ふと、孝子さんから小さなトートバッグを手渡される。


 そーっと中を覗き込んでみると、黒くて太いゴムに巻かれてる銀色の弁当箱と黒色の保温ボトルが入っていた。


「お腹、減ってるだろうなーと思って。まあ昨日急いでつくろったやつなんだけどね」


「え、ありがとうございます! え、あれ……孝子さんって、料理作れましたっけ?」


「もちろん作れるよー! でもその弁当箱の中、コンビニで買ってきた奴を詰めただけなんだけど」


「え……なんで、それが弁当箱の中に?」


「え、あー……保温のため?」


「保温……?」


 理由がおかしい。保温のためだけにわざわざコンビニ弁当の中身を弁当箱に移し替えるか? 洗い物が無駄に増えるんですけど……。


「いや、孝子さん。そういうのって、材料とかを買って……」


 そこまで言って、不意に昨夜の買い物事情が脳裏をよぎる。


「あっ、そういえば孝子さん。警察の人にエコバックとか渡されました?」


「あ、うん。渡されたよ、二つ。昨日の夕飯の材料とか入ってる奴だよね?」


「それ! それって、今は……」


「ちゃんと保管してあるよ。うちの冷蔵庫に」


「……そっか」


 その材料を買ってきたのは全て楓だ。料理当番で張り切ってたし、楓が体調を万全にしたら何か作ってもらいたいな……。


 まさか孝子さん、それで料理をせず……いや、さすがにないか。お酒のつまみくらいしか作れない人だ。多分ない。


「じゃあ、介くんは病室に戻って警察の人を待ってて。私はちょっくら仕事してくるから」


「あ、来てくれるんだ。あっちから」


「うん。その時介くん、まだ歩くのダメダメだろうし?」


 な、なるほどね……。


「私は違う階で仕事してるから一緒に面会できないけど……もし何か用があるなら、連絡して。一応いつでも出れるようにはしておくから」


「分かりました。お仕事、頑張って」


「……」


「……ん?」


 話の流れ的にここで解散すると思ったのだけど、なぜか孝子さんが僕を凝視したまま固まっている。


 僕は昨夜のこともあって内心少し身構えたその瞬間、孝子さんが急に抱き付いてきた。


「うん……頑張る」


 嬉しそうな、泣きそうな……そんな声調だった。ぎゅっと優しく締め付けてくる孝子さんの腕から太陽みたいな温もりを感じる。


 それは一瞬にも思える間で、孝子さんはすぐに僕から離れるや微笑交じりに目礼だけして立ち去っていった。


 その背中はもう保護者としての孝子さんじゃなく、看護師として働く一人の女性に一変している。


 僕はとお退くその様を静かに見届けると、孝子さんにもらった温もりを一度したためてから足先をひるがえす。


 自分の病室へ戻る道中、院内ですれ違う人達の無地の患者衣や看護服が度々たびたび目に付く。


 周りに対して僕の服装は学校の体操服ジャージ。全体的に薄水色の割合が占めてるけど、それゆえに袖の三本の紺色ラインのデザインがものすごく目立つ。


 ここを歩いてていいのか……患者でもないのに……。そんな思いに駆られながらも、僕はまだ少し震える足で三階の自分の病室に戻ってくることができた。


 この階は他の階よりも比較的静かだ。まだ患者の人達は寝ているのか、ここではmまだ誰の影も見ていない。


 もっとも、不気味なことに人の気配もしない。看護師の人も見かけなかった。もしかしたらこの階に入院してる人はあまりいないから、下の階に集中してるのかもしれない。


『お疲れ様です、介様。私はその介様の服装、問題ないと思いますよ』


 また急に現れる……。というかなんでさっき、孝子さんが視界に入ってから消えてたのか。ずっとそこにいればいいと思うんだけど。


「またいきなり……。さっき消えてたよね」


『一人になられたようなので、話の続きをと思いまして』


「別にさっきは孝子さんとちょっと話すぐらいだったし、そんな律儀に視界から消えなくても……」


『私がいると、コミュニケーションがしづらいかと思いましたので』


「それは……どうも」


 考えてみれば、もしあの時リードさんが僕の視界にいたら、孝子さんに抱きしめられているところを見られるのが恥ずかしすぎて孝子さんを無理やり突き放していた可能性はある。


 一応、リードさんのその配慮に軽く感謝の意を言っておく。それは良いとしても、出てくるときの配慮の方はどうにかならないものか……。


 予告なくいきなり人が視界に入ってくるのは普通に怖い。


『いえいえ。また訊きたいことがあれば、何でもおっしゃってください』


 などと促されたところで、リードさんが答えられる範囲という前提条件がある。


 つまりは、全てを教えることはできないと言われてるようなもの。事実、僕は精神衛生上の問題で~と一度断られてしまった。


 リードさんからはこの世界や、僕を狙う者の話を触り程度に教えてもらったけど……聞けば聞くほど疑問が出てきてしまう。


 例えば、ここが仮想世界ならなぜ僕はこの世界にいるのか、現実世界にいた時の記憶がないのはなぜなのか……ダメだ。こんなの挙げ出したらキリがない。


 ひとまず一度落ち着こうと、僕はトートバッグとビニール袋をベッドの上にそっと置いてから、傍にある椅子に腰かけた。


「リードさん……あ、リードさんって、呼んでもいいかな?」


『はい。大丈夫です』


「リードさんは……本当に何者なの?」


 なんて訊いてはいるが、僕の中である程度予測がついている。


 さっきシャワーを浴びていて思い出したことがある。それは、昨夜彼女がAIナンバーという謎の単語を言っていたこと。


 それから察するに、おそらく人工知能の類ではないかと思う。


 けれど見た目は人間とほとんど差異はない。それにアイ・リード、そして昨夜戦った相手のアイ・コピー。どちらの名前も初めて耳にする。


 だからこそ、リードさんの口から自分が何者なのかを直接言ってもらいたい。

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