第12話
僕の体を診てくれた先生は、昨夜救急搬送で運ばれた僕を診たという中年男性の整形外科医の方だった。
優しそうな面持ちが印象的な人で、なんだか早朝から診てもらっているのが忍びなかった。
先生からは外傷がないことを改めて診断されると、今度は腕や脚を指でギュッと押されたりして身体の内部の様子も診てもらった。
念のためレントゲンを撮ってもらったところ、肉離れや骨折等は何も見られないとのこと。
ひとまず大きな怪我がないことが分かって、僕は安堵と共にリードさんの存在の大きさに頭が下がる思いを抱く結果となった。
「ありがとうございました」
診察室を出る前に頭を下げてから、静かに扉を閉める。終始、先生の顔には笑みが貼り付いていた。
「脚、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ。先生も骨折はしてないって言ってたし。というか、痛いというより力が入らないって感じだし……」
「そっか。ならいいんだけど」
しかし、あれだけ派手に動き回って捻挫もしてないとか……もう何度もリードさんのことをすごいと思ってしまう。
本当にあの時、あの街路で戦っていたのは自分の体だったのかすら疑ってしまう。自分の記憶すら怪しい。本当は、楓……家で寝てるんじゃないか?
「話、変わるけどさ……」
隣を歩く孝子さんが、俯きがちにそう切り出した。
「介くん……シャワー浴びない?」
「え……いいんですか?」
「うん。ちょっと……汗臭いんだよね」
「そんなはっきり……」
いやまあ、確かに起きてから薄々気になってはいたけど。僕の鼻にも付くくらい汗の臭いがしてたけど。
「というか、そもそもシャワー室って使わせてもらえるんですか?」
「大丈夫! 念のため超偉い人から許可もらっといた! ピース!」
「はぁ……」
最後のピース、なに。
「ベッドに寝かせる前に介くんの汗だくの体見せたら、即刻許可くれた」
「え……? 体を見せた!?」
「いや、そりゃあ……汗だくの体でベッドに寝かせるのは、衛生面的に気にしない訳にはいかないし。大丈夫。介くんの体をタオルで拭いたの私だし、さっきの先生には介くんが服着た状態で診せたから。ちなみに体拭いた私ですら大事な部分は見てないから。安心して」
なぜだろう。孝子さんの「安心して」という言葉から、一切安心感を得られない……。
「まあとりあえず、これから警察の方に会うわけだし。それなりに準備は必要でしょ? もう終わったことだし介くん自身は何も覚えてないんだから大丈夫大丈夫! 切り替え切り替え!」
「いや、まあ……はい。そうですね……」
勢いで誤魔化されてるみたいで釈然としないが、そういえば僕はこれから警察の人に会うことになってるんだった。
となれば、汗の臭いを放っている体で人前に出るのは控えたい……って、もう出てはいるんだけど……。
とりあえず、シャワーを使わせてもらえるなら有難く使わせてもらおう。
「シャワー室は二階。エレベーター出たら右に曲がって、真っ直ぐ進んだところにあるから。表札がドアの上にあるしすぐ分かると思う。あと、シャワーには二十分の時間制限があるから。そこだけ気を付けて」
まだ脚の震えは治まってないけど、もう孝子さんの補助がなくても歩けるくらいまで回復している。
だけど膝はまだ上手く上がらないので、やむなくエレベーターで上へ行くことにした。
最後に孝子さんが「着替えは後で持ってくから」と言ってたので、僕はその言葉を信じて一人、二階に上がるやシャワー室へ赴く。
中は思いの外小ぢんまりしてるけど、清掃が行き届いていてとても綺麗だ。昨夜目にしたあの白い立方体のような白さが際立っている。
病院は多忙そうだし、特にこういう水回りは行き届いてないんじゃないか……という僕の偏見が洗い流されたというどうでもいい話はさておき。
あれだけ派手に動き回ったからか、最後に湯水を浴びたのが二日も前なんじゃないかと思うくらいシャワーが気持ちいい。
『とりあえず、介様の体に異常がないようで安心です』
「うおおっ!! び、びっくりしたぁ……」
いきなり視界に現れるから、本当になにか化けて出たのかと思った。シャワー浴びてて油断してるこの時に……心臓に悪すぎる。
「い、いきなりすぎない……?」
『それは現れるのが突然すぎてという意味でしょうか?』
「あ、はい。そうです。え、もしかして日本語苦手?」
『いえ、日本語は決して苦手というわけではありません。ただ主語がなかったもので。何に驚かれたのか、少々理解が追い付かなかったというのはあります』
冷静に考えて、あなたがいきなり目の前に現れたこと以外に何があるのか……。
『驚かせてしまい、申し訳ございません。念のため、介様に私の存在がまだ顕在であることを証明するべく、こうして現れた所存です』
「あ、いや……別にいなくなったとかは思ってないけど……」
『であれば、なによりです』
そもそも勝手に消えたのはそっちだけど。
「……この後、いろいろ訊いてもいい?」
少しの覚悟と勇気を振り絞るために僅かな間を置いて、僕は慎重に尋ねた。
『お答えできる範囲であれば、構いません』
そう言われると、質問する方は易々と訊けない。そういうのは、
……まあ、実際それを提示されても、結局どこからどこまでがオッケーなのか、今の僕には測れやしないけど。
『もしくは、もうここで現実世界に帰るという手もあります』
「あぁ……そんな話もあったっけ」
その件のことはすっかり忘れてた。確か、あの選択ウインドウ画面……。体の共有を求められた時はもうこれしかないと思って、半ば諦めもあった。
でも、押したらリードさんが僕の体を動かして……そして僕は無事にあの危機から脱することができた。
つまり、あのウインドウ画面は陽炎や幻影の類じゃなく、ボタンもちゃんと押せて、機能する。
となると、リードさんが最初に提示してきた選択ウインドウのYESボタンを押したら、僕は本当にこの世界から抜け出せる……のか?
いや、仮にそれができたとして……
「もし僕が、その……現実世界? に帰ったら……楓とか孝子さんはどうなるの?」
『すみませんが、それは介様の精神衛生上の問題により、お答えしかねます』
「えぇー……」
早速リードさんがお答えできる範囲から逸れた……。
「じゃあ、僕の……この体はどうなるの?」
『介様の体はそのままになりますが、その中身である意識体はこの仮想世界で生成される意識体が自動的に挿入され、介様の代わりにその体の余生を過ごされます。以前例に挙げたゲームのアバターの話を思い出していただければ、今の話は想像に難くないと思います』
「あ、うん。まあ、そうだね……」
昨日は頭を抱えさせられるようなことばかり説明されてあまり記憶にないけど、今の僕はゲームのアバターに入ってるようなものだと、そうリードさんに言われたことは不思議と覚えていた。
でもなに、仮想世界で生成される意識体って……。リードさんの話を
当然、この話にも現実味は感じられないが……おそらく事実なのだろう。
「僕たちは……あの相手を捕まえられたってことで、いいのかな?」
楓や乗っ取られていた人たちが未だに起きないこととは直接的な関係はないかもしれないが、今の懸念点はそれだ。
もし捕えられていなかったのなら、またあの相手が楓や他の人を襲うかもしれない。
『あの時、私は確かに脳内にいるアイ・コピーを、キューブを使って吸い出しました。介様も、白い粒子が耳から出てきているのを見ているはずです』
確かに僕たちは、相手の意表を突いてそのキューブという白い立方体を使い、行動不能にした。それはしっかりと目の当たりにしてる。
大丈夫。楓がまだ起きない事とは……関係ないはず。
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