第11話

「色々、騒がしくして、心配かけて……すみません」


 しょんぼりと頭を垂れる僕を見て、なぜか孝子さんはふっと鼻で笑った。


「……まあ、介くんはちょっと楓ちゃんに対する執着が強いところあるから」


「いや……僕は別に……家族が心配というだけで……」


「でも、いつも楓ちゃんと一緒に登校してるでしょ?」


「そりゃあ同じ高校ですから。当たり前ですよ」


「当たり前、ねぇ……。さて、どうかなぁー」


 完全にからかいに来てる……。別に僕は楓が妹だってこと以外に何も思ったことはない。


「僕の体が中学まで悪かったこと……孝子さんは知ってますよね」

「うん。免疫系、よわよわだったもんね」


 そういう言い方されるの、なんかヤダ……。


「そんな免疫よわよわだった僕を、楓と両親がちゃんとてくれてたんです。僕が高校生になった後は、なぜか両親が行方知らずになって……それで楓はより僕のことを気に掛けるようになった。ただそれだけです。僕じゃなく、楓が付いてくるってだけです」


「……それはつまり……介くんよりも、楓ちゃんの方が執着心が強いって言いたいの?」


「そうですよ。じゃないとおかしいですよ」


「……はぁ」


 なんでか孝子さんはポカンと口を開けたまま何度も目をぱちくりさせてる。


 いや……何かおかしなこと言った? 確かに楓のことを気にしてないと言ったら噓になるけど、比較的楓の方が僕のことを気にしてくれているってことを言っただけなんだけど。


「でも……今はもう正常でしょ? 成長期に入ってから、介くんはもう看取られなくても普通に生活できるようになってるし。体育の持久走もやれるくらいだし」


「それでも楓は僕の身の回りをいつも気にしてくれてます。つまりは、僕なんかより楓の方が執着心強いんですよ」


「……ふっ、ははははは!」


 訳も分からず高らかに笑い出す孝子さん。別に何もおかしなことを言ってないはずだけど……。


 だって楓、未だに栄養面をめっちゃ気にしてくるし。まあそれは大目に見るとしても、睡眠時間に何かと口うるさいのはどうかと思う。日付変わる前に寝た方がいいって何度聞かされたか……。


 孝子さんはそのまま笑い声を上げながら椅子から立ち上がると、さり気なく僕の前まで来る。


「はぁ……ほんと見飽きないよ。二人は」


 その視線が僕たちのことを馬鹿にしてるものなんだと思うと、いやでも嫌悪感が湧く。僕は孝子さんから逃げるようにそっぽ向いた。


「院内では静かにしないといけないんじゃなかったんですかー……。あと、その笑い声、多分ですけど外にも響いてますよ」


「あー……そうだったね。でも……そう言ってる介くんも、楓ちゃんのこと、好きってことでしょ?」


 話、聞いてないな。


兄妹きょうだいに好きとか嫌いとかないでしょ。……家族……ですから」


 楓に対して好意がどうのこうのとか考えたことない。どこまでいっても楓は大切な家族で、それ以上でもそれ以下でもない。


 僕の体が弱かった幼い頃から僕の面倒を見てくれていた。外に出れない時も、ベッドから出るのが辛かった時も、側で話をしてくれたり面倒見てくれていた。


 当時は思いも寄らなかった外の世界のことをいろいろ話してくれて、急な発熱にも応対してくれていた幼い頃のことは今でも昨日のようのことにおぼえている。


「……そっか」


 孝子さんは優しく頷くと、いきなり僕の体をぐっと抱き寄せた。


「え、ちょっ……なんですか」


「良かったよ。ほんと、良かった……」


 それは意外にも孝子さんらしからぬ湿った声だった。体の震えがその膨よかな胸の振動と一緒に僕にも伝わってくる。


「昨晩は、ずっと起きないから……ほんと心配で……。でも……生きてるんだって分かって、今はほっとしてる……」


 言葉が吐き出される度、孝子さんの抱きしめる力が増していく。


 さっきまでいやに大人びた余裕を見せてたから、その急な態度の変化に最初は戸惑った。驚いてつい突き放してしまいそうになったくらいだ。


「……うん」


 でも、今はなぜだか僕の方がもらい泣きしそうになっている。突き放そうとしていた腕の力が入らないのも筋肉痛のせいにして、孝子さんに自分の身をゆだねた。


 ずっと自分の中で張っていた緊張の糸が綻んでいくのを感じる。しかし反して、僕の口元は涙をこらえんと硬く強く結ばれる。十八にもなって、大人だっていうのに……泣いてちゃダメだって分かっているのに。


 でも、もうあふれてしまったものは止められない。人に抱きしめてもらうことがこんなにも嬉しいことだったんだと、その温もりが、まだ寝たきりだった昔の僕の記憶を思い起こさせる。


 ほんと……自分のことはみっともない奴だと思う。


「大丈夫? まだこうしとく?」


「……へ? あ! いや! ……いいです。その……名札が当たって、いい加減痛いんで……」


 まあ、ほんと……こういうところがあるから僕は孝子さんをつくづくうざったく思ってしまう。やっぱり最初から突き放しておくべきだった……。


 僕はあまりの恥ずかしさに孝子さんから顔を背け、陰で目元をぐいっと拭った。


「ていうか孝子さん、看護師の仕事とかあるんじゃ……」


「まあね。でも別にまだ始業じゃないんだけど、一応ある程度終わらせてから介くんのとこに来たんだよ。今の仕事量なら、他の人だけでも事足りると思うから。だからこうして来たの。ていうか私、五時くらいまでここで一緒に寝てたからね」


「……え?」


 思わずちらとそちらを見やれば、孝子さんは赤い目元をハンカチで拭っていた。


 なんだか見てはいけないものを見た気がして、今度は孝子さんが軽く視界に外れない程度にまたそっぽ向いてしまう。


「あー、寝てたって言っても、こう……腕の中に頭を埋めてたってだけだよ? 学校の授業中に寝る感じで」


「それ、例えが教育上良くない感じが……」


「やかましい」


「いてっ」


 頭頂に軽くチョップされてしまった。別に患者とかじゃないけど、病室で寝てた人にチョップをお見舞いする看護師とは……。これまた世間を騒がしかねない事件である。


「それで、目を覚ましたらまだ介くんが起きてなかったから。まあ無理やり起こせないし、暇を持て余すのもなんだから一度ナースステーションに行って、制服に着替えて、今日の分の仕事をちょっとだけ手を付けて……それで様子見に戻ってきたら、介くんが立ってもんだから……もうびっくりだよ」


 そう言うと、孝子さんはふんっと鼻息を荒く吹く。それは怒っているのかなんなのか、ちょっと分かりづらい。


「起きたのはさっき? それとももしかして、昨夜に一回起きてた?」


「いえ、さっきです。起きたらもう朝でした」


「そっか。じゃあとりあえず、介くんが目を覚ましたら、怪我とか異常がないか診てもらえることになってるから」


「あ、そうなんですか。いつの間にそんな手配を……」


「手配じゃないよ。倒れてた他の人達にも処置はしてたし、寝てたから気付いてないと思うけど、介くんの体も一応診てもらったんだよ。特に目立った外傷はなかったから、今度は起きた時にまた改めてって」


 僕が知らない間に、診られてたんだ。目立った外傷がなかった、ってことは……あれだけの人を相手にして、しかも銃弾まで飛んできて……それでも目立った外傷はなし。


 今更だけど……すごいんだなぁ、リードさんて。てかリードさんが視界の中にいないの、今になって気付いたよ。いつ消えたんだ……。


「診察室まで歩けそう? 無理そう?」


 さっきは歩こうと立ち上がったら全く足に力が入らなかった。なんせ昨夜の乱闘のおかげで全身が筋肉痛だし。


「今から行くんですか?」


「できれば今からがいいかなー……。他の人が起きたら、順次診ることになるし。それに診てくれる先生にも時間に限りがあるからね」


「あ、じゃあ……分かりました。行きます」


「あ、あとね……」


 ベッドの手すりを掴んで立ち上がろうとしていたら、側で孝子さんが不安げに眉毛に落とした。


「警察の人が……事情聴取したい、って」


 それを聞いて、思わず僕の体が強張こわばる。悪いことはしてない……そう胸を張って言えたらいいが、あいにく僕の手と足は彼女の所業により出てしまっている。


 もし監視カメラとかで撮られていたら、正当防衛だったなんて言い逃れはできないかもしれない。


「……うん。分かった」


 頷きざま、僕は恐る恐る床に両足の裏を付ける。


「どう? 歩けそう?」

「……ちょっと、肩……貸してほしい……」


 さっきより手足の震えはマシだけど、まだどうしても力の伝達が上手にできない。空回りしている感覚だ。筋肉痛はまだまだ顕在だが、幸い激痛ではない。


「分かった」


 孝子さんから了承を得てすぐさま右の肩と腕を掴み、僕はようやく一歩を踏み出すことができた。


 診察室に向かう道中、孝子さんの口元は終始、なぜか柔らかく笑んでいた。

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