第8話

「皆、アイズの人間をとららえろ」


 相手の命令で八人全員がその禍々しさあふれる立方体を懐に構えたまま、まるで訓練された兵隊のように一斉に僕に向かって押し寄せてくる。


「介様、一つ質問よろしいでしょうか?」


「え、今!?」


「はい。今、こちらに向かってきてる八名の人間。その脳内には敵AIの複製体がおり、操られています。介様は例えその人間達に狙われても、殺さないことを選択しますか?」


 いきなりめちゃくちゃ早口! そしてなんで今!? むしろ質問攻めしたいのはこっちの方なんですけど!?


「いや、え……な、なんでそんな、僕にそんな質問!?」


「私がこの体で人を殺しても大丈夫ですか? 罪の意識を負わずに済みますか?」


 もう間合いまで近付いてきてるこの人達を殺す。でもその人達は敵に操られているだけ。そこにその人達の意思はなく、操られるままに怒涛の勢いで襲ってくる。


「ただそれだけを、あなたの口から聞きたい」


 この人達を殺す……いや、ダメだ。その人達自身の意志ではなく操られているだけなら……そんなこと……やっていい訳がない。


「こ、殺すとかダメだよ! せめて戦闘不ぅ……!」


 僕が言い終わる前に、前後から挟み込むように伸びてきた二つの拳。


 一寸の狂いなく、的を射るように僕の首やこめかみを正確に狙ってきたそれを、彼女は器用にも右手左足で止めた。


「殺さず戦闘不能にする。それでよろしいですか?」


「あ、はい!」


「了解しました。その方針で方を付けます」


 力んで声を出すのも一苦労だった僕に、彼女は冷静な口調で返す。


 すると彼女は止めていた二つの拳を押し払うと、今度は体勢を低くしながら踵で地に素早く楕円を描き、二人を地面に転がす。


 倒れた一方の男性の耳に、手にしていた白い立方体を近付けようとしたが、その後ろから三人の男女が僕に向かって拳と足を伸ばしてくる……が、しかし、それを読んでいたかのようにリードさんは華麗にステップを踏んで躱す。


 その勢いを保ったまま軽く飛び上がるや、淡い夕空に三日月を描くように強烈な蹴りを各々のこめかみに一撃ずつ打ち付けた。


「え……。い、今のって大丈夫!? こ……死んでない!?」


「脳を……揺らしただけです。少しの間、まともには……攻撃してこないと思います。ただ、介様には……あまりやって欲しく……ないですね……」


「いや、そんなこと……普通できないから」


 飛び蹴りなんて今までやったことないのに、僕の体がその凄業すごわざを難なくやっていることに驚愕する。


 僕じゃなくて彼女の仕業だけど、その動きの感覚が不思議と僕にも伝わってくる。


 攻撃を一瞬で止めた所作も、数人の頬を流れるように蹴る感覚も、自分がやったことなんだと錯覚してしまいそうだ。


 僕はただただその光景を目の当たりにしてるだけなのに……彼女の身のこなしに体が熱くなる、息が荒くなってくる、手足が痺れる。


「というか……なんで、僕の息が上がって……」


「言いました。これは、共有であると。例え、私が体を動かしているのだとしても……それは介様の、体であることに……変わりありません。残念ですが……私が体を動かしているから、といって……体力面が向上することは、ありませんので……」


 そういうことか……やっと理解できた。これは体の共有で、体力とか肉体とかその他の能力は僕の体のまま、何も変化しない。


 最初に拳銃を相手の手から振り払えなかった時に言われた、あの言葉……。例え彼女が僕の体を使っていても、それは僕のか弱い体であることに過ぎない。


 さっきの異様な飛び蹴りも、ただ彼女の体の使い方が上手いだけ……。


「な、なら……リードさん! せめて、か……楓! 楓を……どうにか、助け……っ!」


 話し出そうとすると息が詰まる。僕は何もしてないのに、リードさんが動けば動くほど横腹が痛くなってくる。


 一息吐けるように攻撃一つ終えるごとに立ち止まってくれてるみたいだけど、正直それでもきつい。


 状況を一見するのも苦労するほど目まぐるしく、自分に向かって飛んでくる拳や足、そしてあの黒い立方体と……僅かな隙を狙って飛んでくる銃弾が頬を掠めていく。


「ちょこまかと……」


 相手の殺気立った視線、狙われているという恐怖。体が激しく動く度、誰とも知れない人達とリードさんが拳を交える度、僕の体は段々と気だるく重たくなってくる。


 避けてもいなしても、迎い打っても、また操られている人たちはその足で立って僕に何度も襲い掛かってくる。殺さないでとは言ったものの、このままじゃ僕たちの方が……。


「すみません、が……この体で妹さんまで、カバーできる余裕は……ないです。体が……徐々に言うことを聞かなく、なっています。ホワイトキューブを使う、いとまも……」


 彼女の言い分は最もだ。僕も自分の体の弱さと疲労をひしひしと感じる。彼女のどこか人間離れした動きに体が付いていけなくなってるのが分かる。


 リードさんは最初、操られている人達の攻撃を躱してカウンターで相手の動きを止め、握っている白い立方体を耳に打ち付けようとしていた。


 しかし、思ったよりも攻撃と攻撃の間がない。操られている人達が次から次へと攻撃してきて、その相手をしてるうちに動きを止め切ったと思った人達が、気付けば立ち上がっている。


 それこそ、白い立方体を使おうとしていたのは最初だけで、徐々に僕の体が激しい動きに耐えられなくなってきた。


 それと、どうやらその立方体は、握ると小さくできるらしい。彼女はやがてそれを諦めたようにぐっと手中に収めてしまった。


 この時、僕はつくづく思った。もっと体が丈夫だったら、と。


「……んっ!」


 おまけにハエと見間違いそうなほどの小さな銃弾と、耳障りな銃声音の残響までが忘れかけた頃に頬の端を掠めていく。


 これが一番厄介で、攻撃と攻撃の間を更に埋め、彼女が白い立方体を使おうとする暇を与えない。


 絶え間なく降り注がれる連撃と銃撃。それをいなすリードさんの人間離れした動きが、しくも僕の身体がかすり傷だけで済んでいる最大の要因だ。


「さすがにまだか……」


 微かに聞こえてくるのは、相手の見定めるような呟き。


 銃弾を躱してみせたが、しかし、さすがにもう僕の体は悲鳴を上げている。操られている八人の顔には所々に薄っすらと赤い汗が流れていた。


「はぁ、はぁ……」


 しばらく続いた絶え間ない連打をリードさんがどうにか搔い潜ると、僕たちはようやく八人との間合いを取ることができた。


 その開けた視界の中で八人の息遣いも荒くなってるのが窺える。絶え間ない攻撃を切り抜けられのは、その八人の疲労もあってのことだろう。


「どうした? もう限界か?」


 言って、相手は八人の間を縫うように銃弾を一発だけ放つ。だが、リードさんはすぐさま反応し、屈めていた身を素早く起こすと小さなステップ一つ踏んで退しりぞけた。


 相手の糸を通すような正確な銃撃もだけど、リードさんもリードさんだ。さっきから思ってたけど、やはり二人ともどこか人間離れしてる。


 まるで人が易々とできるような業だとは思えない。……まあ、平々凡々かそれ以下の僕基準だからあんまり信用ならないけど。


「介様……すみません」


 リードさんは徐にそう口にすると、なにやら脚にぐっと力を入れた。


「ここからは、一気に体力を消耗します」


「へ?」


 それはとんでもない告白だった。今でも結構な消耗をしてるというのに……。


 リードさんは覚悟を決めたように立ち上がると、両足を肩幅程度に開いてファイティングポーズを取り始める。


「だから、どうか……息は絶やさないでくださいね」


「え、あ……はい」


 ひと返事するだけでもいくらか息を整えてからなのに、それでもリードさんは躊躇いなく実行に移す気だ。これ以上、何をしようと……。


「コマンド:フィジカルブースト レベル ワンポイントゼロ」


 すると、唐突にリードさんが静かに何かを口走った。

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