第7話

 あの至近距離からどうやって銃弾を躱せたのか見当もつかない。しゃがみ込んだ状態からどうやってこんな激しい蹴りまで当てにいったのか想像できない。


 掠れた射撃音がした後はもう何が起きたのかすら……。目まぐるしい速度で景色が流れたかと思えば、僕は相手に向かって足を振り上げていたのだから。


「そうか……私は甘く見ていたようだ」


 そして銃口がまたこちらに向けられようとすると、彼女は振り上げていた片足をすぐさま引っ込めて相手と間合いを取る。


 しかし、その崩れた姿勢の一瞬を相手は見逃さず、こちらが体勢を立て直す間に引き金を引く。確かに放たれた銃弾、初めて耳にしたであろう生々しい射撃音。


 だが、それでも僕の体は全くの無傷で痛みもなかった。そして今度はしっかりとこの目で捉えられた。確かに彼女は、本当に銃弾を避けている。


 それもいとも容易く、まるでドッジボールの球をかわすかのように。地面をタタンッとステップを踏みながら避けるその身のこなしに、僕は感嘆の息を漏らす。


「言ったはずです。これくらいは造作ないと」


「だが、そちらも銃がある限り容易くは近付けないのだろ。その人間の体力とフィジカルは平均よりも劣っていると見る。ほんの少し動いただけでもう息遣いが乱れてる。そのたいから放たれた先程の一撃も、あまり重みを感じない」


 相手の言う通り、さっきの一連の動きだけで息をするのがちょっとだけしんどい。


 というか、普通に呼吸してるけど……これって、僕がしてるの? それとも……彼女が?


「介様。一応言っておきますが、今あなたの体を動かしているのが私とはいえ、介様もいつでも自分の体は動かせる状態です。先程から体を乗っ取られたと思われてるようですが、それは誤解です。私と介様は、介様の体を共有しているという見方が正しいです」


「共有……あっ」


 ほんとだ、喋れる! 自分で自分の口が動かせる!


「まあ、まだこの程度ではべらべら喋る余裕はあるか……」


 一瞬ほころんだ緊張の糸だったが、相手の涼しげな声調で再度気を引き締められる。


「その体、どうやら支配はしてないようだな」


「この世界の人の体を我々AIが支配するのは規約違反です。人の体を借りるなら、共有することまでが最大限譲歩されていること」


「無論、承知の上。でもここは、まだ運用試験段階の仮想世界。まだそのようなルールなど正式に適用されていな……あ、いや。すまない……」


 すると、突然相手は不気味に笑いあげる。


「未来永劫、来ないか! そんな下らないルールが適用される時は!」


 ニヒリと口角を上げる相手。その意はよく分からないけど、あまりに気味の悪い笑顔だっただけに、僕の全身が怖気に震える。


「紹介しよう。私の分体達を」


 どこか楽し気にそう言うと、相手は得意げにパチンッと指を鳴らした。


「まだ機能できてない者も含めれば、ここには九体。今の君の相手にはちょうどいい数だろ」


 人気のない道に突如あわただしい足音が響いてきたかと思うと、相手の背後から四人の人影が現れ出る。ふと、自分の後ろに半身を向けると、こちらも同じ数の人影が近付いてきていた。


 スーツを着たサラリーマン、緩いパーカー姿の女性、学ランを着た中学生くらいの男の子、白い柔肌にしわが目に付く老婆と、様々な世代の人がこの一本道の両脇で僕と相手を挟み込んでいる。


 皆、街灯の当たらない薄暗い所で俯いているせいで顔はハッキリ見えないけど、おそらく僕と面識のない人達ばかり。


 しかし、不可思議にも皆一様に、相手の瞳と同じ灰色の髪をしていた。


「やはり……あなたは一刻も早く捕らえるべきですね」


 それは落ち着いた声音だが、どこか沸々とたぎるような怒気が感じられる。彼女の声は僕の口から出ているものだったけれど、軽く鳥肌が立った。


「介様の携帯電話……拝借いたします」


「あ、うん」


 言うと、彼女はさっき右のポケットにしまった携帯を取り出す。どうするんだろ……。まさか……投げて相手に当てるとか?


 なんて安直なことも想像してみたが、彼女はいきなり携帯の液晶画面の上で激しく親指を動かし始める。


 それは指が軽くつってしまいそうな速さで、まるで伸縮性のある鞭のように親指の関節を何度も曲げられる。


 僕はつい弱音を吐きそうになるのをグッと堪え、全身の力を抜いて身を任せることにした。


 彼女が視線も首も動かさず相手を睨み付けてる以上、彼女が今から何をしようとしてるかはまだ想像の域を出ない。


「マテリアライズ、ホワイトキューブ」


 操作を終えて携帯を耳に当てると、数秒ほど流れた着信音の後に彼女はそう言い放つ。


 するとどういうわけか、僕の携帯が今まで見たことないほどのまばゆい光を放ち始めた。


「いつの間に、そんなものを……」


 最初は携帯がバグを起こしたのかと疑ったけど……僕の携帯は白光を放ちながら、僕の手の中でその形状を変化させていく。


 それはやがて手のひらサイズほどの小さな立方体になると、その輝きの中から全貌を露にした。


「これは、AIを閉じ込めるために創られたキューブ型格納装置。あなたが盗み持っているブラックボックスとは、似て非なる代物です」


 その立方体は変形してなお直視できない白さを纏っていて、気を抜いたらつい落としてしまいそうなほど滑らかな側面をしている。


 携帯ケースを外して携帯を持った時の……あの滑らかな感じと手触りが似ている。落とすと、すぐにでもひびが入ってしまいそうな危うさだ。


「へー……そうか」


 相手はそう呟くと、こちらと同じように握っていたスマホの画面上で親指を激しく踊らせた。


「マテリアライズ、ブラックボックス」


 そして、携帯を耳に当てるや、彼女と似たような言葉を言い放った。


 その携帯は白光ではなく、奇怪な黒い光を放ちながら徐々にその形状を変化させ、やがてこちらとは違う禍々まがまがしいほどの黒さに包まれた立方体に変化する。


 一見してその色以外は僕たちが手にしている立方体と全く同じものだ。


「君が探してるのは、これのことかい?」


「今からでもまだ遅くはありません。それを今すぐ返していただければ、少なくともあなたの罰を軽くすることは可能です」


「罰を軽くするだけじゃ、渡すメリットがないなあ。なにより私には、このブラックボックスに全人類の意識を閉じ込め、肉体を奪い、その骨肉を地球の糧とする、人類肉体たい化計画を遂行する野望があるのだから。事実、もう99%の人類の意識体をブラックボックスの中に閉じ込めてある」


「同じAIとはいえ、理解しかねますね。実際あなた側に付いたAIは十体もいなかったはず」


「だとしても関係ないさ、私には。あとは地下の超巨大シェルターに避難した残党と、この仮想世界にいる被験者が最後。しかもその被験者の意識体が目の前にあると知った今、もう後戻りをする気もさらさらない」


 ……うーん……途中から、二人の話に付いていけない。特に肉体堆肥化計画の話。仮想世界とか被験者とかはまだ大丈夫。まあその話を彼女から聞いたのは今さっきで、その時からもう混乱状態なわけだけど。


 それに……さっきから気になってたけど、アイズの人間ってなに? 何かの専門用語? なんかどっちもスカしたような話し方してるから全く話が掴めない。あと、僕の携帯……元に戻りますかね?


 ちょっと説明してもらおうかな……なんて口を挟める状況になく、相手は握ってる拳銃の銃口を再三こちらに向けてくる。


「そろそろ長話はして、目的のために動くよ。最後に言っておくが、このブラックボックスはこの仮想世界用に複製して持ってきたものだ。オリジナルはこの世界に持ってきていない。仮にこれを奪い返せたとしても、君に全人類は救えない。そもそも器となる肉体はもう大半が地球の肥料となっているのだから」


「……だとしても、私のすべきことに何の変更もありません」


「ふっ……そうか」


 吐息交じりにむや、相手はまた指を鳴らす。途端、僕たちと相手の背後にいた人達が一斉に各々の懐から携帯を取り出した。


「「「マテリアライズ、ブラックボックス」」」


 彼ら彼女らは一切の呼吸の乱れもなく、一斉に動き始め、そして携帯電話を耳に当てると皆一語一句違わずそう言い放つ。


 警官の彼と同じ、皆が持っていた携帯電話もやがては黒い立方体へと変貌した。

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