第6話
「大丈夫。私の言う通りにしてくれれば撃たないから」
気付けば、優しそうな微笑と一緒に長い筒の付いた銃口が僕の額に向けられている。
その理由を訊くという思考すらまるでその口でぐいっと抑えつけられてるようで、ずっと混乱状態だった僕の頭がついに思考停止にに
『介様、落ち着いてください! こちらに注目してください! 私にです! 私の方に注目してください! 声は届いていますよね!? 今、眼の前にウインドウが出ているはずです!』
突如、僕の目前から拳銃を遮るように浮かび上がった半透明の選択ウインドウ。
【体の権限の一部をアイ・リードと共有しますか?】
そう記された文章の下にYESとNOの二つの選択ボタンがある。
大丈夫、見えてる。何度も指し示されなくても。見えてる……けど……それより、その向こうにある……銃が……。
「私の言うこと、聞いてくれるかな?」
恐怖のあまり、僕は体をわなわなと震わせながら、思わず首を縦に振ってしまった。いや、これは……僕の意志か? 僕が首を縦に振ったのか?
もう、何もかも分からない……。考えることすら怖い……。
『介様! 選択ウインドウだけを見てください! そしてYESを押してください!』
「良かった。それじゃあ、その手に持ってる携帯を耳に当ててくれないかな。今はまだ電話は繋がってないけど、これからもう一度繋げるからさ」
にこりと微笑むその顔は、僕の目には優しさという名の仮面を被った狂気にしか映らなかった。
銃口と視線はそのまま、所在なげにしていた右手でポケットから携帯を取り出す警官。こちらを見下げる灰緑色の瞳は、僕の心を見透かしているようだ。
『絶対に携帯を耳に当ててはいけません! 介様! こちらに注目してください! 選択ウインドウのYESボタンを押してください! 大丈夫、怖がる必要はないです! ほんの僅かな勇気だけ! 必ず、介様を救うと保証します!』
僕は携帯を握りしめている右手を、目の前の警官と一緒にゆっくりと持ち上げる。
「そう、大丈夫。そのままゆっくりでいい」
『ダメです! 介様!』
自分の息遣いが聞こえない。視点も定まらない。まるで操り人形みたいに体が勝手に動いてる……。
「そのまま、私の言う通りにするんだ」
でも、なんでか分からないけど……自分が今、何を選ぶべきか……それだけは既に理解できている気がした。そうだ……言う通りに、今は言う通りにすれば……。
「はい……リードさん……」
僕は携帯を耳に当てるふりをして、右手の人差し指をゆっくりとYESボタンまで持ち上げた。
手近じゃなく眼先にあったから、怯えて力も入らない今の僕にはしばし時間を要した。
『ありがとうございます。承認許可、確認致しました。これより、被験者の体の権限を一部共有します。安心してください。さきほどの約束、必ずお守ります』
どういうカラクリかは分からないけど、僕の指の腹はYESボタンに触れたらしい。
感触は何一つなかったが、ウインドウ上のボタンが盛り上がると、眼の前から選択画面が消えた。
「……ん、どうした? 怖がらなくても、早くそれを耳にっ……!」
途中まで上げていた僕の右腕が、いきなり目の前の銃口を強く払った。
「……お前、もしかして……」
これは……僕じゃない、僕がやったんじゃない。自分で動かしてなんかいない。さっきまで混乱してたからといって、これは僕の仕業じゃないと言い切れる。
この手の甲の痛みは僕が起こしたものじゃない。勝手に体が、僕の右腕が動き出した。
自分の体に異変が起きていることを理解すると同時に、視界の中にいたあの彼女が消えてることにも気づく。クリアになった視界の中で、また警官の顔からは微笑が消えていた。
だけどそれは束の間、仮面が剝がれた落ちたように狂気の笑みへと変貌する。
「アイズの人間か……」
「それが被験者を指すのであれば……正解です。AIナンバー:D3CEB3、アイ・コピー」
勝手に口も動いてる。しかも僕の声じゃない。明らかに女声。女の人の声が僕の喉から出ている。
少し聞いた程度だけど……あの印象的な、丁重な言葉遣いの彼女の声と似てる。
もしかして……あの女性が僕の体を乗っ取ったってこと? そういえばあのウインドウには体の権限がどうとか記されてあった。
それって……こういうこと? 僕の体を……彼女が動かすってこと?
「その声……その瞳の
相手は再度こちらに銃口を向け直し、どこか怯えたように言う。
僕はその時、場違いながらも思った。拳銃、手から弾き落とせてなかったんだ……と。
「だが、その青年の体はどうやらあまり強くないと見る。私が握っていた拳銃を払い落とせなかった」
あ、そういうこと。僕の体だから……。
「さて、どうする。この至近距離からの射撃。あのアイ・リードとはいえ、その未熟な体を使って避けきれるのか?」
リー……彼女に体を乗っ取られっているが、とは言え視界は良好だし耳も聞こえる。
こんな間近で銃口の中など覗いたこともないし、こんな穏やかな殺気を帯びた声も初めて聞いた。
「銃弾を一発消費すれば、分かることだと思いますが」
彼女が挑発的な口調で返すと、相手はふんっと鼻で笑い返す。
「最もだ。口より手を動かせば分かるか。君がそこまで言うなら……一度試してみる価値はありそうだ」
どうして、どうやって。銃口の位置は数メートルじゃない。十センチもないほどの距離に、まつ毛の先が今にも触れそうな距離に……銃口がある。
拳銃はおろか、ましてや銃弾なんか僕の腕ではじけるわけないし、先に引き金を引かれたら……僕の眼に、銃弾が貫通して……死……。
そう思った刹那、不気味な沈黙の中に冷たい風が吹き込んでくる。
僕の体を乗っ取った彼女は握っていた携帯をそっとポケットにしまい込んだ。その動作に一切の
重たい緊張感が漂う中、携帯をポケットにしまう際の僅かな
ここまで敏感になっているのも、もしかしたら死というものを覚悟しているからかもしれない。それでも、僕の体はこの
感覚器官は乗っ取られていないのか……などと、また場違いなことを思いながら固唾を吞む。
いつ途切れるとも知れない緊張の糸。息が詰まりそうな切迫感が僕の全身に纏わりつく。
そして、その灰緑色の瞳がにたりと笑んだ瞬間、静かに口火が切られた。鉄製物同士が擦れたような高音が僕の鼓膜を劈く。
しかし……僕は運悪く、その一瞬にも満たない間を視認できなかった。
気付くと僕の右足が、相手のこめかみめがけて振り上げられている。けれど相手は男性警察官。男子高校生の蹴りなど易々と片腕でガードされてしまっていた。
銃弾は当たったのか、当たってないのか。見ることは叶わなかったけれど、その結末は聞くまでもないらしい。
「やるじゃないか。さすがアイ・リード。あの距離からの銃撃を躱せる速さがその体にあったとは」
「私の力をもってすれば、例えどのような体であっても、この程度のことは造作ないです」
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