第3話

 真に受けていいのだろうか……と逡巡しゅんじゅんしている傍ら、彼女は続けざま話し出す。


『まず、あなたがいるこの世界は、仮想世界の中です。そしてこの世界には、ある者があなたのことを狙っています』


「僕を……なんで? 僕が、なんか悪いことしたってこと?」


 疑問はあれど、とりあえず僕は調子を合わせて訊いてみた。すると彼女は、首を静かに横に振った。


『とにかく、私はあなたを救うためにこの世界に赴き、あなたにコンタクトを取りました』


「……いろいろ言葉がにごってて、よく分からないんだけど……」


 でもなんとなく、彼女が求めていることは察せる。きっとこれ以上のことを話したら僕の理解が追い付かなくなるから、ひとまず僕には首を縦に振って欲しいのだろう。思えば、最初から彼女はこんな感じだ。


 けれど、僕はまだ彼女のことをよく知らない。唯一分かったのは、彼女がアイ・リードという名前であることと、彼女が僕の脳内にいること、とその過程。


 しかし、それでもまだまだ疑問は湧いて出る。だが、その全てを解消する余裕を、おそらく彼女にはないのだろう……。


『いきなりこんなことを言われて混乱するのは無理もありません』


「いや、ほんと……もうちょっと他に方法とか……なかったんです?」


いくも思考した結果、私はこの方法しかないと判断しました。無理やり仮想世界からあちらの現実世界に介様を連れ戻そうとすれば、今この世界にある介様の意識と現実世界の肉体が離れてしまうリスクがあると判明したのです』


 その言いぶりだと、今の僕は意識だけってこと?


「外がダメなら内から……みたいな感じ?」


『そういうことです。理解が早くて助かります』


「いや、これは理解というか……」


 無理やり自分に落とし込んだだけなんですよねぇ……。


「さっきの、意識と肉体が離れるって……じゃあ今のこの体は、僕の本当の体じゃないってこと?」


『そうです』


 即答されるとまたそれはそれで……。


「じゃあ、待って。今のこの体は何? 本物じゃないなら、この体は偽物?」


『そういうことです。今の介様は、ゲームのアバターに入っているような状態です。つまりその体は借り物です』


「借り……」


 とりあえず、彼女が何を言わんとしているのかはおおよそ掴めてきた。しかし、そうだと完全に認めることはできない。


 こんな混乱状態のまま無暗に、自分の体は借り物なのか……なんて認めてしまったら、不意に自分自身を見失ってしまいそうで怖い。


『私が言っていること全てを信じて聞くことは難しいと思います』


「いや、まあ……そうだね」


 非通知電話が掛かってきてからずっと胸中でドロッとした不安感がうずいていて、それがいやに気持ち悪くて仕方がない。


 まず仮想世界って時点で納得いかない、いくわけがない。なら、今まで生きてきた僕の人生は一体なんだったんだって、そう激しく訴えたい。


『そして、私の目的はこれです』


 彼女がそう切り出すと、突如視界中央に半透明のウインドウ画面のようなものがポンっと現れ出た。



【被験者 00000003番の試験運用を終了します。よろしいですか?】



「被験者?」


『介様はこの仮想世界が正常に動くかどうかを調べるための実験対象となっていました。その記憶は今、介様にはないと思いますが』


「……うん。心当たり……ない……」


 今、自分の頭の中を覗けるなら、記憶を全て見漁ってみたい。僕が実験対象って……。この世界の運用? そんな記憶が頭の片隅にでも転がってたら、僕は思わずおかしくて笑ってしまうと思う。


『下に選択肢があるのは分かりますか?』


 言われて視線を少し下げれば、確かにそこにはYESとNOの二つの選択ボタンがある。


 長い0の羅列といい、被験者といい、気になるところが多すぎるが……早い話、YESを押せば全てまるっと収まるということだろう。


 というか、そもそもこれはどうやって映し出されてるんだか……。そこからもう疑問なんだけど。


「このボタンを押したら……ややこしい話をしなくて済む、ってこと?」


『早い話、そうなります。介様から見て右手がYES、左手がNOになっているはずです。介様がYESを押せば、今この体にある介様の意識を元の世界にある本来の体へ戻すことができます。元の世界に戻っていただければ、私の説明もすんなりと受け止めていただけると思います』


「……これ……僕が選ぶんだ。あなたは僕を、その……現実世界に連れ戻しに来たんじゃないの?」


 徐にそう訊ねると、彼女はしっかりと首を縦に振った。


『はい。もとより私の目的は、被験者である介様を守ることであって、介様を連れ戻すことではないので』


 なるほど。連れ戻すこと、ではなく、僕を守ること……か。そして、僕を守る最も手っ取り早い方法が連れ戻すという……。


『介様がYESボタンを押さない、この世界から出ないというのであれば、私は別の手段をもって目的を達成することに努める所存です』


 別の手段……なんだか物騒な感じがする。NOを押したらいきなり彼女が暴走しはじめそうで怖い。


 しかし、理屈としては案外簡単だった。ただ僕がこのYESボタンを押せばいい。けれど、それでもまだ分からないことばかりで、どうしても気が進まない。


「ちょっと、分からないんだけど……なんで僕の意志が必要なの? もうここまで接触してるなら、無理やりにでも、その……現実世界、に連れていけばいいんじゃ……。その方が、あなたにとってもいいと思うし……」


 まず疑うべきは彼女の今までの話のしんだが、僕はこの世界に脳内に人が入り込むなどという技術の有無を全く知らないし、いくらか目を通しているネット記事に、そんな記載は一度たりとも見た覚えがない。


 まあ、僕の見聞けんぶんが浅いだけと言われたらそれまでだが。


 しかし、少なくともこの地球にはないであろう何らかの方法で彼女が僕に接触しているこの現状に対しては疑念を抱く余地もない。


 故に、彼女が口にする数々の言葉には不思議と説得力を感じてしまう。


「それに、僕を狙ってるやつがこの世界に来てるみたいだし……」


 これに関してはまだはっきりと受け止め切れてないけど、一応その事も交えて訊ねてみると、彼女はそっと口を開いた。


『私がこの選択を介様にゆだねる理由はひとつ。この世界との別れをする覚悟があるか否か』


「……覚悟……」


『はい。ここで私が、介様の意志を無視して連れ戻すことはできるでしょう。しかし、長い目で見れば、介様が納得して現実世界に戻ることを選択する方が良いと、そう思った次第です。無理やり現実世界へ引き戻して介様といらぬ論争になり、信頼や機嫌をそこなってしまうリスクを避けるための』


「配慮……て、ことだね」


『おっしゃる通りです』


 理由はどうあれ、この選択があるという事はいずれこの世界との別れが来る。それが何を意味するのか、まだ今の段階で理解しきれていないのが悔しいところだ。


「ちなみに……これってどうやって押すの?」


『指の腹を介様自身に向け、選択肢のある位置に持ってきてください。その向けた指紋を徐々に近付けていけばいずれ選択ボタンが反応します』


「あぁ、逆なんだ……」


 そんな押し方だとは……。いやこれ絶対今の時代にないと思う。


 しかし、ふと気付いたけど、このウインドウ画面も彼女同様首を振っても視界中央から外れない。


 試しに手で振り払ってもみたが、その手はウインドウ画面と彼女の後ろを通過するだけ。


 指の指紋がある方をこちらに向けて押す。なんか考えすぎて少し歪んだ産物感が否めないが……ちょっと、試しに、NOの方を……


「何してんの? お兄ちゃん」


 指をこちら側に向けた直後、聞き慣れた声が僕の鼓膜を震わせた。


 振り向けば、ウインドウ画面と彼女が被っていても……明るめに脱色されてる茶髪、襟足付近でわれたツインテールがちらりと見えているだけで、そこにいるのがかえでだと分かった。

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