第23話
霧吹きの井戸を封印し、川越の街を覆っていた濃霧は晴れ、鎧武者の姿は消えさった。だが、一番の大物、大霧獣は封印されていなかった。
場所は戻って、蔵造りの町並みの入り口。
「あいつがまだ現存ってことは、まだ川越の危機は続いているということですね」
屋台からの差し入れで空腹を満たしながら、七不思議係は次の一手を模索していた。
「キリヤナス周辺からは依然高濃度の妖気が観測されている。それはキリヤナスを実体化させるのに充分な量であると推測される。あれが実体化した場合、川越まつり云々という問題ではなくなるのは想像に難くない」
「なんとかしねぇとな」
「ええ。なんだか大変なことになっちゃったけど、ここで動かなきゃ、なんのための七不思議係だって話よ」
皆、傷の手当は終わってはいるが、小山田と清瀬は特に消耗の色が濃い。遼太郎と吉乃を先に進ませるために妖異を引きつける役割を買って出たふたりだったが、ある程度のところで撤退、教授に遼太郎たちの支援に向かうように上申した。それを受けて、教授がバイクで支援に出た……というのが、先程の霧吹きの井戸の前での一幕の経緯となる。遼太郎たちが霧吹きの井戸を封印している間、小山田と清瀬は蔵造りの町並みの入り口に設えられた対策本部で息も絶え絶えの様子だったという。この短時間でここまで回復したというのは、ある意味では驚嘆に値することだった。
「教授さん、なにか手立てはないのですか?」
吉乃が教授に伺う。教授は一瞬、浮かない表情を見せたが、すぐにいつもの調子に戻る。
「手立てはある」
教授は云い切った。
だが。
「その手段を使用することに、私は躊躇いを感じてしまう」
「え、そんなイリーガルな手段なんですか?」
遼太郎は思わず口に出してしまったが、皆がそれを感じていたらしい。興味の視線が教授に向く。
「手法自体は法に触れるものではないよ。だが、その手法を使う際に我々は非常に重大な決断をしなくてはならない」
教授は非常に慎重に言葉を選択しているようだった。いつもの、明朗快活な調子がまるで感じられない。
「らしくないじゃねぇか、教授サンよ。いつもみたいにズバッと言い切ってくれよ」
小山田が真剣な表情で教授を見据えた。清瀬、遼太郎、吉乃も同じく真剣な眼差しを教授に向ける。四人の眼差しに射竦められた教授は、小さくため息をついたあとで、意を決して語りだした。
「大封印――私が考案した、新しい方式の封印法だ。それは張り巡らされたネットワークに強力なエネルギーを流し込むことによって、その土地の妖気を一定の間すべて封じ込めるというものだ」
「実現したら、すごい話ですね」
「封印課のあり方が根本から変わってくるような技術だぜ」
男性陣が感嘆の声を上げる。教授は軽く頷いてから話を続ける。
「ネットワークについては、先日、城中蹄の音のときに作成したものを強化し、すでに川越全域をカバーするものが構築済みだ」
「仕事が速いですね……」
「ハンチョウとおやっさんにはだいぶ無理をさせてしまったがね」
「それじゃ、そこに流し込むエネルギーっていうのも?」
「うむ。吉乃くんのとおりゃんせにヒントを得たのだが、長年、想いを込めて奏でられたメロディーには妖気に性質の似た力が生まれることを突き止めたのだ。吉乃くんの歌に特別に力が生まれていたわけではなく、我々が通常に歌う程度では微弱な力しか発生しないのだということもね」
教授はそこまで話すと、皆が理解しているか確認するように、ぐるりと見回した。七不思議係の皆は、小さく首肯で返した。
「そして、この音楽の力が、吉乃くん以外で強く生み出す例を観測で明らかにした」
遼太郎はぽんと手を打った。
「あ、もしかして、お囃子……」
その言葉に、皆も理解した。
「なるほど。お囃子の音を音楽エネルギーに変換して、ネットワークに流し込めば、川越のすべての妖気をまるっと封印できるわけか。よっしゃ、この状況、打破できるじゃねぇか!」
小山田がサムズ・アップをしようとした……が、教授がそれをさせないように手のひらで遮った。
「ひとつ……ひとつだけ、大きな懸念があるのだ」
「わたし、ですね?」
今まで沈黙して話を聞いていた吉乃が、小さく手をあげた。
その言葉を聞いて、皆の表情が一瞬のうちに翳りに転じた。
大田吉乃は、無害なれど妖異なのだ。川越から近辺の妖力が封印されてしまえば、それに巻き込まれて存在は消えてしまうだろう。
「そ、それじゃあ。大封印を行うときに吉乃ちゃんを川越の外に連れ出せば……」
遼太郎の苦し紛れの意見に、教授は首を横に振った。
「妖異は生まれた土地を失っては存在することができない。特に、七不思議に由来する妖異である吉乃くんにとって、川越の妖気が消え失せるということは……それは……」
そこまで云って、教授は俯いた。教授が俯くと同時に、キリヤナスがひときわ強烈な咆哮をあげた。耳を劈かんばかりのそれに周囲の空気が大きく震えた。
沈黙が、その場を支配する。
そこにハンチョウとおやっさんが血相を変えてやってきた。
「キリヤナスに実体化の兆候が見られた。足元がすでに実体化を始めている――あれをやるのならば、時間はあまりないぞ」
「教授、この空気ということは……話したのか」
ハンチョウとおやっさんはこの件を承知しているようだった。
「教授、僕たちはどうすれば……」
遼太郎が問いかける――教授の返事はない。
「みなさん、聞いてください!」
そのなか、吉乃が声を張り上げた。
「私は……大田吉乃という名前をもらい、みなさんと出会えて……とても、幸せでした。でも、自分が妖異だってわかったときから、こういう日が来るんじゃないかとも思ってました。だから……覚悟はしていたんです。私は消えてしまうかもしれないけど……川越の七不思議から生まれた存在であるからには、川越とともにありつづけると思います。だから、だから……おねがいします。大封印、やってください!」
吉乃は、その言葉を最後まで言い切った。
「おれぁ、こんな適当な性格をしてるけどよ……誰かが死ぬとか消えるとか、そういうのは、やっぱきちぃな……でもよ。吉乃ちゃんが決めたのならば……俺からはなにもいえねぇよ。その決意、無駄にはしねぇ」
普段の飄々とした調子は小山田からは消え失せていた。完全に覚悟を決めた様子だった。
「小山田! 短い間だったけど、一緒に過ごした仲間が消えるのよ⁉ 吉乃ちゃんも、それで本当に良いの⁉」
清瀬は納得いかない様子で小山田に詰め寄った。
「……私は、吉乃くん、きみを巻き添えにして、川越を救った者としての咎を、これから先忘れずにいる……忘れるものか!」
教授が叫んだ。ここまで感情的になっている教授の姿は、今までにないものだった。
「だから……清瀬くん。頼む。いまだけは……」
振り絞るようにそう云うと、教授は清瀬にすがるように、その両肩に手をおいた。
「教授……」
全幅の信頼を置く教授にそこまでされては、清瀬は何も云えなくなってしまう。
そして、遼太郎は。
「吉乃ちゃん、どこか行きたい所ある?」
「……そうですね、熊野神社でルートビアを飲みましょうか」
「おっけ。それじゃ、教授、小山田さん、清瀬さん。あとは任せます。吉乃ちゃん、借りていきますね!」
◇ ◇ ◇
遼太郎と吉乃を見送ってから、教授は再び顔を上げた、その眼差しには決意が宿り、いつもどおり以上に教授らしい顔だった。
「大封印を執り行う! 小山田くん、課長を掴まえてこの書類に判をもらってきてくれ。清瀬くん、封印課の人間を片っ端からかき集めて、各自治会の会所に伝達を。十八時きっかり、宵山のタイミングで一斉に祭り囃子を。ハンチョウ、おやっさん、ネットワークと音声変換装置の起動と、キリヤナスの観測を頼む!」
教授は指示を出し終えると、そばに止めてあった愛車――大型バイクに跨った。
「教授、どこへいくんで?」
「私はこの大封印のすべてを見届ける責がある。市役所の最上階から、記録を残す。なにかあれば、ケータイに入れてくれ――なぁに、大丈夫さ。私が信頼する君たちが実行するんだ。私が急な判断をすることもないさ」
に、と笑みを浮かべると、教授はバイクを駈って市役所にむけて走り去っていった。
それから先は、七不思議係だけの仕事ではなくなった。ここまで関係各所の折衝や観光客の避難にあたっていた封印課本隊、観測班、装備班が所属の垣根を超えて大封印という、ひとつの区切りを目指して動き始めた。
封印課の全員がこの大封印で失われるものがあることを知っていた。しかし、それを口にするものはいなかった。吉乃のことをよく知るもの、あまり知らないもの……それぞれいたが、全員が少しずつ、ほんの少しずつでも、七不思議係の者とともに咎を負う覚悟であった。
◇ ◇ ◇
「吉乃ちゃん、ほんとにここで良かったの?」
沖縄物産店島風でルートビアを買い込んだ遼太郎と吉乃は、熊野神社の端にあるベンチに腰を下ろしていた。
「あはは……ほんとはもっと小洒落たところも考えたんですけどね――でも、ここかな? って。熊野神社は、開運と縁結びの神様なんですって」
「縁があれば、か」
遼太郎は天神の化身、老人にいわれたことを思い出していた。
「うん。せっかく、出会えたんだ。これで終わり……なんてことはないさ」
「そう。そうですよ、うん」
その後はふたり、沈黙してしまう。黙りこくったまま、ルートビアの缶を空にした。そして、どちらからともなく顔が近づき――。
「湿布の匂いですね」
「吉乃ちゃんもね――」
時刻は十八時きっかり。
宵山の開始とともに祭り囃子が川越の街中を駆け抜けていく。
多くの者が見つめる中、大霧獣キリヤナスの姿が消えていく。
そして――。
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