第22話

「くそがっ!」


 小山田が悪態を吐きながら、対妖銃を目の前の影に向けて打ち込む。小山田の目の前には、乱世の時代の存在であろう、鎧武者が刀を構えている。小山田の持っているハンドガンタイプの対妖銃では明らかに火力が足りていない。事実、鎧武者はなにひとつ効いていない様子で歩みよってくる。


「ちっ、転身! 戦略的撤退だ!」


 プライドなど何もない小山田はこういうときの決断は異様に早い。くるりと身を翻すと、そのまま後方に全力で逃げ出した。




 川越の市街地――蔵造りの町並みから市立博物館あたりの界隈は、川越まつりの真っ只中であるというのに、閑散としていた。例年であれば、観光客が行き交う通りには、いま人影はない――否、影はあるのだが、それは人ならざるものの影であった。


「ふむ……川越の、いや、河越の記憶が妖異となって顕現したようだな」


 濃霧の向こう側を透かすかのごとく、教授がオペラグラスで確認し、断定した。


「まさか、河越夜戦の⁉」


 遼太郎はその言葉に愕然とした。

 河越夜戦。

 日本三大奇襲のひとつに数えられる、戦国時代でも類を見ない奇襲戦だった。当時、河越を治めていた北条氏に対して、上杉氏と古河氏の連合軍が戦いを仕掛けたこの戦。連合軍八万にたいして、河越の北条氏はわずか一万。その圧倒的な戦力差をなんともせず、北条氏が連合軍に奇襲を仕掛けて撃退したというのがあらましだ。

 戦国期の関東の情勢を大きく変えたこの戦だが、今では語るものもあまりいない、歴史に埋没したエピソードとなっている。


「天神や不可視馬の件でも明らかなように、概念や記憶が妖気の塊となして、妖異化するという事例は観測されたとおりだ。霧吹きの井戸から吹き出した霧――つまりは妖気が、この事態を引き起こしたのだといえよう……しかし、厄介だな」


 教授は苦々しげな表情を浮かべた。


「あの鎧武者たちが友好的だとは思えない。おそらく、近づけば襲ってくるだろう。どうやってここを抜けるかだな……」


 川越市立博物館には蔵造りの町並みの付近を抜けていくしかない。また、装備班の協力で観測班が飛ばしたドローンによると、川越市立博物館の周囲にも鎧武者の姿が多数観測されたという。


「戻ったぜ」


 そこに、小山田が駆け戻ってきた。


「威力偵察っていやぁ聞こえは良いが、俺の使ってる対妖銃じゃ、豆鉄砲ぐらいにしか効かねぇって事がわかっただけだな」

「アンタの腕前がヘボ……ってだけの話じゃないわよね……」

「まぁな。さて、どうやって押し通すか……」


 小山田と清瀬が思案に明け暮れているところで、遼太郎が不意に素っ頓狂な声を上げた。


「大霧獣キリヤナスってどうでしょうか⁉」

「遼太郎くん、なんだね?」

「いや、怪獣、怪獣って呼ぶのも趣がないので、ずっと名称を考えてみたんです」

「ふむ。それは良いな――では、以後、あの怪獣をキリヤナスと呼称しよう」


 なぜか乗ってきた教授の裁量で、怪獣に名前が充てられた。


「そんな名前なんて決めてる悠長な時間はねぇと思うんですが」


 小山田が珍しくまっとうなツッコミをいれる。


「いや。あの手のあやかしは、名前をつけることで、その存在が無から有のものになる。端的に云えば、対応することが可能になる――というまぁ、日本古来の考えに則ったまじないのようなものなのだよ。そうだろう、遼太郎くん」

「ええ、まぁ、そんなところですね」

「なるほどな。で、そのキリヤナスは未だに実体化せず、か。このまま、井戸を封印するまで何もしてくれなきゃ助かるんだがな」

「そうだな……だが、あの鎧武者。あれはおそらく、キリヤナスが呼び出したものだ。これを見てくれ」


教授がタブレットを取り出し、操作する。地図上に映し出されたキリヤナスの移動範囲と鎧武者が彷徨っている場所の範囲が見事に一致していた。


「となると、キリヤナスをなんとかしないと、この状況は打破されないってことで、キリヤナスをなんとかするためには、霧吹きの井戸を封印すること。だけど、霧吹きの井戸まで行くためにはあの鎧武者をなんとかしないといけない……」


 遼太郎はそこまで云って、気がついた、現状を打破するためにはこの鎧武者の軍勢の間を抜けていって霧吹きの井戸まで行かねばならぬということを。

 果たしてそれは可能なのだろうか。


「おおう、七不思議係。ここにいたか」


 デジャ・ビュを感じる言葉が聞こえた。一同が振り返ると、そこには装備班のおやっさんと班員数名がいた。


「あんたらが霧吹きの井戸をどうにかして封印するって訊いたから、最新装備のデリバリーだ。特別料金でロハにしておくぜ」


 おやっさんは部下に指示を出して、対妖装備の店を広げ始めた。

 最新モデルの電動ガンをベースに使用した対妖銃、先日教授が試作したものよりも明らかに洗練された対妖刀、そして、予算の都合であまり使われることのない対妖スタングレネード。さらには、先日試作品が完成したばかりだという、対妖ジャケットが人数分……等など。


「おやっさん……普段からそれをこっちに流してくれれば、もっと楽に封印業務ができると思うだけど?」


 清瀬がそういうのも無理はない。今まで出し惜しみしていたのか? というほどに充実した装備品の数々だった。


「これはな、全部、俺が金を出して試作していたモンでな。役所に通すのはちょっとやばいモンも含まれてるのさ。緊急事態ってことで、勘弁してほしい」

「おやっさん、ありがとうございます!」


 七不思議係を代表して、吉乃がぺこりと腰を折った。


「いいってことよ。まつりを観に来た客も、安全な場所であんたらの成功を待ってる。川越まつりの本番はこれからだからな」


 訊けば、川越警察の誘導はかなりうまくいったらしく、大規模な混乱もなく待避が完了しているとのこと。

 後の憂いはなくなった。七不思議係は総力を持ってして、霧吹きの井戸の封印に当たればいいということだ。


「よし。必要なピースは全て揃った。今は行動のとき。諸君の健闘を祈る!」




 市立博物館へのアタックは遼太郎&吉乃、小山田、清瀬の三組で試みることになった。遼太郎と小山田は最新式の対妖銃を、清瀬は対妖刀、吉乃は対妖スタングレネードをそれぞれ装備している。


「うおりゃあ、往くぞぉ!」


 血気盛んに突っ込んでいくのは、いつもどおりに清瀬の役割。切れ味鋭い対妖刀で鎧武者と切り結びながら、一点突破よろしく先駆けていく。


「清瀬、あんまり急ぎすぎんな! 吉乃ちゃんがきつそうだ!」

「私は大丈夫です! このままいきましょう!」


 清瀬が切り漏らした鎧武者を、遼太郎と小山田が対妖銃で打倒し、道を急いでいく。吉乃は体力的に劣るが、必死になって後をついていく。


「うへ、追ってくるぜ!」


倒しても倒しても、後から後から鎧武者が追いすがってくる。


「ちっ、しょうがない。あたしがここは惹きつける。先に行って!」


 目の前にいる鎧武者よりも、背後からおってくる武者のほうが多くなってきたところで、清瀬が転身した。


「清瀬さん!」

「いいから! 早く行って!」

「ちっ……遼太郎、吉乃ちゃん、先に行くぞ!」


 背中に清瀬が鎧武者と切り結んでいる金属音を背負いながら、遼太郎たちは一路、川越市立博物館を目指す。




「清瀬さんは大丈夫でしょうか……」


 市立博物館にだいぶ近づいた四つ角で、三人は小休止をすることにした。装備を確認すると、遼太郎の対妖銃はだいぶ残弾が少なくなっていた。


「遼太郎、これ持ってろ」


 小山田は対妖銃からマガジンを抜き取ると、遼太郎に投げて渡した。それを受け取った遼太郎だったが、受け取ったマガジンと小山田の顔を見比べてしまう。


「え、小山田さん。これは……」

「お前が使ってくれ。俺ぁ、あれをなんとかする」


 小山田の視線の先には、ひときわ隆々とした体躯を持った鎧武者が迫ってきている。小山田は四つ角の真ん中に立つと、懐から札の束を取り出した。


「まさか、これを使うことになるたぁな」

「小山田さん⁉」


 小山田は一枚の札を指に挟んで抜き取ると、真正面に掲げる。そして、もう片方の指で格子状の文様を切る。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


 いわゆる早九字を切った小山田は、札――呪符を鎧武者めがけて投げつける。札は空を切って飛び、鎧武者に張り付く。その次の瞬間、札が強烈な光を放って、鎧武者は雲散霧消した。


「お、小山田さん、それは……⁉」

「詳しい話は省くが、日本古来から伝わる退魔の術……を継承したものだ。コンピューターを使った封印法が確立されるまでは、こういうふうに妖異を封印してたんだぜ」


 小山田はにぃ、と不敵な笑みを浮かべた。


「かかってきな! ここは俺が通さねぇぜ!」


 遼太郎たちを送り出しながら、小山田はいつもどおりにサムズ・アップをしてみせた。




 その場を小山田に任せた遼太郎と吉乃は、市立博物館への道を急いだ。


「清瀬さんと小山田さんは大丈夫でしょうか……」


 吉乃が心配そうに云う。遼太郎は時折襲いかかってくる鎧武者に対応しつつ、言葉を返していく。


「あのふたりは殺しても死ななそうな感じしてるからね。大丈夫さ、きっと」


 身中、遼太郎も不安に思ってはいる。だが、それを吉乃に気取られまいと軽い口調で云ってのけた。それに少し安心したのか、吉乃の表情も少し柔らかくなる。


「さぁ、やっと博物館だ。霧吹きの井戸は……あそこだね」


 ようやく、ふたりは川越市立博物館に到達した。博物館の前庭、霧吹きの井戸があるその周りは、鎧武者が固く守っている。井戸はたしかに妖異化しているようで、そこからもうもうと濃霧が吐き出されている。


「あそこが本丸なのは間違いなさそうだけど……もう、こうなったら出たとこ勝負でいくしかないかな。吉乃ちゃん、グレネードはあといくつ?」

「もうひとつしか残ってないんですよね……」

「僕も残弾はあまりないんだ。グレネードを投げて、ある程度を無力化したら突っ込んでいって封印……かなぁ」


 遼太郎と吉乃は顔を見合わせて――少し笑った。


「なんだか、死地に赴くみたいで、嫌だなぁ」

「まったくです」

「それじゃ……」

「いきましょう!」


 吉乃は大きく振りかぶると、対妖スタングレネードを投擲した。放物線を描いて鎧武者の軍勢の真ん中に落ちた。それが動作して、まばゆい閃光を放った瞬間に、遼太郎たちは駆けた。


「うおおおおお‼」

「やぁぁぁ‼」


 鎧武者がスタングレネードの効果で固まっているうちに、遼太郎たちは霧吹きの井戸にとりついた。そして、捕獲器を改造した封印装置を井戸に設置して、起動プログラム走らせる。


「っつ、やっぱこれだけの規模の妖異だけあって、データ化するのに時間がかかるな……!」

「はやくしないと、鎧武者さんが動き始めちゃいます!」


 井戸に溜まった妖気をデータ化するのに思いの外時間がかかっている。その間に鎧武者たちは再び動きを取り戻していく。


「遼太郎さん!」

「くそっ!」


 鎧武者たちが遼太郎たちに向けて歩み寄ってくる。

もうだめか――ふたりがそう思ったときだった。霧の中を煌々と輝くライトの光と、けたたましい大排気量バイクのエンジンの爆音が響く。


「な、なんだぁ⁉」

「遅くなった‼ 生きているな、ふたりとも‼」


 バイクに跨ったフルフェイスから聞こえてきたのは、とても聞き覚えのあるハスキーボイス。フルフェイスの下にライダースーツよろしく白衣を引っ掛けているので、正体は九分九厘特定されたようなものではあったが。フルフェイスに白衣の人物は、大型バイクで鎧武者を弾き飛ばし、片手に持ったショットガン型の対妖銃で次から次へと鎧武者を釣瓶撃ちをする。


「遼太郎くん、あと何パーセントだ⁉」

「十四パーセントほどです、教授‼」

「承知した。それまで、ここは私が死守する!」


 教授はポンプアクションのショットガンで近づいてくる鎧武者を片っ端から撃ち抜いていく。対妖銃では妖異を根本的に封印することはできない。だが、教授の扱っているショットガンは出力がかなり強化されているようで、鎧武者の動きをかなり長い時間封じることができるようだった。


 そして。


「よっしゃ、きたきたきたぁ! 吉乃ちゃん!」


 井戸に接続した封印装置の進行度表示が百パーセントを示す。


「封印プログラム、起動します!」


 吉乃が封印装置に接続されたキーボードのエンターキーを叩いた。過去の反省から、記憶媒体をガン積みした封印装置に妖気がどんどんカット&ペーストされていく。

 十秒ほどで封印は完了し、あたり一面に立ち込めていた濃霧が晴れ、鎧武者が消えていく。


「やった……」


 遼太郎は少し脱力して、天を仰ぐ。

そうすると、驚くべきものが目に飛び込んできた。


「く……そんな……」


 遼太郎の視線の先。

 そこには、大霧獣キリヤナスが今だに現存していた。

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