第20話

「教授、こっちはこれでいいですか?」

「うむ、いいよ」


 遼太郎が七不思議係でバイトをするようになって三ヶ月と少々。十月の第三土曜日を迎えていた。川越が一年で最も人を集める一大イベント、川越まつりが開催される日取りである。七不思議係もこの日ばかりは、日常の封印業務を離れて、まつりの設営運営に尽力することになっていた。

 教授を始めとする一同は現在、本川越駅に設営される仮設の観光案内所の設営に駆り出されていた。野外テントを組みたて、長机を設置して、パンフレット類を配していく。本川越駅周辺は、川越まつりが開催されている間は非常に人が多く、混雑する界隈だ。


「教授、遼太郎、少し休憩にしましょうや」

「ほいほい、弁当も買ってきたわよ」


 この日ばかりは多少真面目に働いている小山田が、ペットボトル数本の入ったレジ袋を下げてコンビニから戻ってきた。それと時を同じくして、弁当を買いに行っていた吉乃と清瀬も戻ってきた。


「うむ、ご苦労。では、設営を一時中座して、休憩に入ろう。そろそろ観光客も増えてくる時間だから、すまぬが手短にな」


 この日は川越の市街に、各自治会が演奏するお囃子と、絢爛な山車が街なかを行き交う。その非日常的な雰囲気は、川越の誇りとして親しまれている。国指定の重要無形民俗文化財であり、ユネスコの無形文化遺産に指定されていることも広く知られている。


「遼太郎さん、ちょっと質問なんですけど」

「なんだい、吉乃ちゃん」


 お弁当のおにぎりを頬張りながら、吉乃が話を切り出した。


「お祭りのお囃子って、場所ごとにやってるのが違うんですね。同じお祭りなのに、どうしてですか?」

「うん。川越まつりは江戸の天下祭に由来があるお祭りなんだ。各自治会がお囃子や山車をもてるんだけど、それぞれが江戸のお囃子に影響をうけて出来たものなんだ。川越まつり会館では、それぞれがどこのお囃子の傍流なのか、なんて展示もあったりするね」

「へぇ。詳しいんですねぇ」

「これでも、生粋の小江戸っ子だからね……さてと、それじゃ、教授」


 お弁当を食べ終えた遼太郎は、ゴミを袋にまとめると、立ち上がった。


「吉乃くん、今日これからは君を遼太郎くんに預けた。生粋の小江戸っ子の遼太郎くんの案内で、川越のことをもっと知ってくるといい」

「えええ、良いんですか?」


 吉乃はすこし面食らった表情をした。


「おう、俺たちのことは気にしないで、まつりを楽しんできな。なぁに、今までも教授と俺と清瀬で過不足なく回せてたからな。お前さんらは、思う存分に青春してきな!」


 小山田はそう云って、お決まりのサムズ・アップをしてみせた。教授と清瀬もその言葉に異論はないらしく、笑顔を浮かべている。


「ありがとうございます! 大田吉乃、遼太郎さんとおまつりを楽しんでまいります!」


 なぜか吉乃は少々時代がかった口調でそう云うと、皆に向けてサムズ・アップをしてみせたのだった。




「よしと、それじゃ。どこ行こっか」


 本川越駅を出た遼太郎と吉乃は、行き先を決めずにブラブラと歩き始めた。


「食べ歩きとか、出店も観ていきたいですけど、山車も気になります。どこから見たら良いか、迷っちゃいますね」

「それじゃ、僕の住んでる町内会の会所に行ってみる?」

「会所?」


 聞き慣れない言葉だったようで、吉乃は思わずオウム返しした。


「そう。各町内会の拠点みたいなところでね。居囃子と、山車の停車場所になってるんだ。僕の知り合いで囃子連に入ってる人もわりと多いから、行けば歓迎してくれると思うよ」

「なるほど。それじゃ、そこに行ってみたいです」

「おっけ。すぐそこだから」 


 遼太郎がすぐそこ、といった言葉に嘘はなかった。本川越駅から最寄りの会所が、遼太郎の住んでいる家がある町内会のそれだったからだ。


「こんにちはー」

「おう、おうおう。牧田さんとこの。どうした?」


 遼太郎が声をかけると、出迎えてくれたのは、色黒のがっしりした体つきをした中年のおっさんだった。


「この娘が川越まつり初体験なんで、とりあえず会所でも見る? って云って連れてきたんですけど。お邪魔じゃなければ、お囃子を少し聴いていってもいいですか?」

「よ、よろしくおねがいします!」


 遼太郎と吉乃がかるく頭を下げると、おっさんは、がはは、がははと笑いながら、大きく頷いた。


「おう、構わねぇよ。仕出しだが、食い物と酒もあるからな。ゆっくりしていってくれ」

「酒って……僕たちは健全な高校生ですからね。ジュースならいただきますけど」


 遼太郎がそう返すとと、おっさんは再び、がははと笑った。


「そりゃそうだな!」


 ひとしきり愉快そうに笑ったおっさんは、そのまま会所の奥の方に引っ込んでいった。残されたのは、遼太郎と吉乃。まつりがこれから本格的に始まっていく時間だけあって、周りは皆忙しそうにしている。

 遼太郎と吉乃は会所の長机に向かい合って腰を下ろすと、紙コップにペットボトルのオレンジジュースを注いだ。


「ふぅ、今日は朝から設営だったけど、吉乃ちゃんは疲れてない?」

「お気遣いありがとうございます、遼太郎さん。私は大丈夫ですよ。忙しかったですけど、小山田さんも清瀬さんも、教授さんもさり気なく手を貸してくれましたから」


 吉乃はそう返すと、目を閉じて居囃子の音色に身を任せていく。江戸囃子の流れを組む、太鼓や笛の音が秋風に乗り、遼太郎と吉乃の間を、さぁと流れていく。川越生まれ川越育ちの遼太郎だが、そんな吉乃の仕草を見て取っては、お囃子の音色も特別なものに聞こえてしまう。


「この音色……聴いていると、すごく落ち着きます」

「そうなんだ。僕も、ちっちゃな頃からずっと聴いてる音色だからかな、こうしているとすごく落ち着くよ」


 しかし、その実。言葉とは裏腹に遼太郎の心臓は早鐘のごとく鼓動していた。まつりという非日常空間、そして、目の前には想い人。うまくすれば、大人の階段を一歩二、三歩スキップするがごとくに駆け上がってしまうかもれない……可能性はあるのだが、悲しいかな遼太郎にはそのためにどうしたら良いかという知恵がなかった。通っている学校は男子校、趣味は妖異、顔の出来は標準というだけの、とり得るところのあまりない少年が、遼太郎だ。こんなときに気の利いた言葉をかけることも出来ない自分に気が付き、軽く絶望を感じながら、遼太郎はオレンジジュースをわんこ飲みするばかり。


「どうしたんです、遼太郎さん? そんなにのどが渇いてますか?」

「いやぁ……ははは」


 遼太郎のほのかな恋心が実ることは、今の時点ではまずありえないだろう。

 そのことに思い当たった遼太郎だったが、若干の焦りを感じはするものの、そこまで悲観はしなかった。


「別に、きょう決めなくたって、明日があるさ。当分は、保留、保留……」

 オレンジジュースを飲みながら、まつりの雰囲気に酔いながら、遼太郎は吉乃と過ごすこのひとときを全力で楽しむことを、決意したのだった。


 ◇ ◇ ◇


 居囃子をひとしきり堪能したふたりは、またぶらぶらと散策に出ることにした。本川越駅から、蔵造りの町並みに向けて歩みだす。


「だいぶ人が多くなってきましたね」

「そうだね。でも、夜の混雑はこんなもんじゃないからなぁ」

「え、もっと混むんですか⁉」「

「そうだね、今日の夜の宵山――全部の山車が出る時間とか、混雑で前に進めないぐらいになるからねぇ」


 川越市民ならば誰しも一度は体験する川越まつりの混雑。

 まつりはかつて、十月の決まった日取りで行われていたが、観光との兼ね合いもあって、十月の第三週の土、日という、休日の開催となった。その頃から、東京を始めとする近郊の都市から、観光客がこぞってやってくるようになった。以前の日取りでも混雑したまつりだったが、近年は知名度のさらなる向上もあって来場者は右肩上がりになって、ますます盛り上がり、ますます混雑するようになった。

 人が多く集まれば、様々な者がやってくる。まつり目当ての純粋な観光客がほとんどではあるが、なかには当然、悪しき者もいる。それは、集客の大きな催し物が避けては通れない問題の一つだった。


 そして、今。


 遼太郎たちの前、ちゃらついた三人の男が道を塞いでいた。


「よぉ、そこのカノジョ! 俺達とカラオケいこ、カラオケ!」

「いいだろぉ?」

「楽しいからさ、絶対にさ」


 古典的とも言えるその立ち居振る舞い。吉乃が無視を決め込んでもしつこく声をかけ続けるその粘着性。彼らは、まつりにとって間違いなく、悪しき者たちであろう。

 ようするに、悪質なナンパ師に遼太郎達――というよりは、吉乃が目をつけられてしまったのであった。


「遼太郎さん、いきましょう」


 吉乃は無視を決め込むことにしたようだった。遼太郎の袖を引いて、脇を通り抜けていこうとする。

 だが、ナンパ男達の粘着度は考えられないようなものだった。吉乃の後を執拗に追いかけていく。


「やめてください……」


 吉乃が小さく震えているのに遼太郎は気がついた。


「やめろって言ってるだろ? そんなにカラオケにいきたければ、あなた達だけで行ってくればいいじゃないか!」


 ここで動かなくては男が廃る……と思ったかどうかはさておき、なけなしの勇気を振り絞ったのは確かだろう。遼太郎は吉乃の手近にいた茶髪を軽く押しのけて、先へと進もうとした。

 軽く押しただけ――のはずだった。

 胸板を押された茶髪は、わざとらしく、派手に転倒した。


「てめぇ、ざっけんなよ!」


 茶髪の仲間のナンパ男たちはにわかに激昂した。そして、三人のうちでも一番腕っぷしの強そうな男が、遼太郎の胸ぐらを掴み、殴打する。


「ぐっ……!」


 遼太郎はその勢いのままで後ろに、こちらは本当に転倒した。


「遼太郎さん!」

「いてて……」


 吉乃が遼太郎に駆け寄る。遼太郎は額あたりを、転倒した際に切っていた。それほど深い傷ではないのだが派手に出血し、遼太郎の半面が朱に染まっていく。


「許さない……」


 吉乃は俯き、小さな声で云った。

 すると、遼太郎たちがいる場所を中心として、濃い霧が立ち込めていく。


「へっ、いい気味だぜ」

「いこうぜ!」

「おらよ、おまけだぜ……ッ⁉」


 立ち去り際に、倒れている遼太郎に蹴りでも入れようとしたのだろう。足を引いた男が、そのままの姿勢で固まった。


「な、な……ァ」


 男の視線の先、そこには――。

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