第18話

「はぁ、今日も仕事かぁ。たまにゃあ、ぱーっと遊びたいぜ」


 愛車のワンボックスで通勤途中の小山田。ラジオから流れてくるNACK5に耳を傾けながら、そんな適当なことをぼやいていた。


 が、次の瞬間。


 ガコンッ! という大きな音と激しい衝撃が小山田を襲った。その衝撃に反応してエアバックが開いてしまい、小山田の体を包み込むと同時に車内を粉まみれにしてしまう。


「な、なんだぁ⁉」


 小山田がほうほうの体で車外に転がり出ると、愛車のボンネットが事故を起こしたわけでもないの大きく凹んでいる。

 小山田は聞いた。

 そろそろ秋に差し掛かろうという高い空に響く、馬の嘶きと蹄の音を。


「七不思議の妖異が暴れている」


 オフィスにあつまったメンバーの前で、教授が切り出した。通勤途中の一件でスーツをだめにした小山田は、センスのわるいジャージ姿だった。


「城中蹄の音、ですね?」


 遼太郎がこれ得たり、と発言した。教授はひとつ、頷いた


「城中蹄の音っていうのは、江戸時代初期、酒井河内守重忠候が川越城主だった頃の話でね。夜遅くになると川越城内に馬の蹄の音やら戦場の喧騒が響き渡るという怪現象が起きるようになって、ひどく重忠を悩ませたんだ。そこで、易者に占ってもらったところ、戦の絵が災いを起こしている、という。川越城内を探したところ、宝物庫に堀川夜討の大戦の屏風画が一双あるのが発見されて、それを重忠が信仰していた養寿院に寄進したところ、怪現象はぱったりとやんだ……と言う話ですよね、教授」


 遼太郎が一気に話し終えると、教授はまたひとつ頷いた。


「そうだね。先週末あたりから、川越の蔵造りの町並みのあたりを中心に、馬の嘶きや蹄の音を聞いたという報告が上がってきている。そして、今朝」


 そこで教授は小山田の方に視線を遣った。


「あンの野郎! 俺の車をだめにしやがった! 絶対に許さねぇ!」

「どういうことですか?」


 怒りにうち震えている小山田には、触らぬ神に祟りなし、というふうで、遼太郎は教授に改めて問いかけた。


「現在、川越の市街地に目に見えぬ馬の妖異が出没しているのだ。人的被害はまだ出ていないが、物的被害がだいぶ出ている。小山田くんの車も、やつにやられて廃車になったよ」


 教授はこともなげに言ってのけたが、小山田が愛車のを大事にしていることは七不思議係では誰もが知るところだったので、遼太郎は微妙な表情を浮かべることしかできない。


「でも、厄介ですね。姿が見えないなんて、どうやって対処するんですか?」

「そうだね。まずは、観測班による観測で、彼奴がどのような特性をもった妖異なのかを分析しよう。すべてはそれからだ」




 小一時間後、観測班から観測結果が次々と上がってきた。七不思議係の面々はそのデータを仔細に見聞し、対策を練っていく。


「くっそ、こんな七面倒くせぇ作業のときに、清瀬のやつぁ……あとで恨んでやる」


 本日、清瀬は友人の結婚式に呼ばれているということで、有給を使っていた。小山田は恨みつらみを愚痴愚痴云っているが、本気ではないことは容易に知れる。


「小山田さん、清瀬さんに知れたら、またコブラツイストですよ」


 そんな冗句が吉乃の口から漏れる程度には、緊張感がなくなってきている。各々、パソコンに向かい合って、蹄の音の特性を割り出そうと躍起になっているものの、なかなかに手詰まりになってきているのも事実だった。


「しかし、こう見ていくと完全にランダムで移動しているみたいですね、データを送ります」


 遼太郎は、被害が出た現場や馬の嘶きが聞かれた現場を地図上でピンを打ってみた。その結果は姿の見えない馬の痕跡が残された場所はランダムとしか云いようがない動きをしている。


「完全ランダムな動きをしているとなれば、移動する先を予測することは困難になってくる。合理性のないものは本当に厄介だよ」


 遼太郎からデータを受け取った教授は、眉間にシワを寄せた。普段、そのような表情を見せることの少ない教授の様子に、七不思議係の面々もこの妖異の相手をすることの困難さをひしひしと感じていた。


「そういえば、観測班の皆さんは普段どうやって妖異の観測をしているんですか?」


 ふと頭に浮かんだ疑問を遼太郎は口にした。ここ最近の活動で封印課の業務には慣れたものの、他の部署の仕事はまるでわからない。


「そうだね。息抜きを兼ねて、他の部署を見て回ってくといい。小山田くん、牧田くんと吉乃くんを案内してやってくれ。私はもう少しデータの精査を続けるよ」


 教授はキーボードを叩きながら、三人を送り出した。




 観測班は市役所の東庁舎一階にオフィスを構えていた。


「ちーっす、小山田です。ちょっくら見学させてくだせぇ」


 至極軽いノリで小山田は観測班のオフィスに入っていく。遼太郎と吉乃もそれに続いたのだが、次の瞬間には足が停まってしまった。

 というのも、観測班の職員からの、まるでこちらを射抜くような鋭い眼光がいくつも突き刺さったからだ。


「おう、七不思議の。社会科見学か?」

「あ、こりゃハンチョウ。まぁ、そんなとこですぜ」


 オフィスの奥のデスクに座っていた、ひときわ眼光鋭い初老の男性が小山田に声をかける。小山田はいつもの調子を崩さずに、へらへらしている。


「な、七不思議係臨時職員の牧田遼太郎です!」

「太田吉乃です!」


 遼太郎と吉乃は背筋を正して、大きな声で挨拶した。本能的に、そうせねば……と思ったからだ。そんなふたりの様子に、観測班の班長はひとつ頷いてから破顔した。


「はっはっは、そんなに緊張することはない。小山田みたいにへらへらしてなければ、大丈夫さ」

「ハンチョウ、そりゃねぇっすよ」


 観測班班長が笑いを浮かべれば、オフィスの雰囲気が一気に和らいだ。

「いや、すまないな。ここのところ、例の見えない馬のせいでうちもピリピリしていてね。教授から話は受けている。自由に見学していくといい」

「あ、連絡はきてるんですね。ありがとうございます」


 遼太郎はオフィスをぐるりと見回した。そこここに計器類が配置され、ちょっとした実験設備のようでもある。


「それで、早速質問なんですけど。妖気の計測ってどういうふうに行っているんですか?いつも使っているモバイルに、妖気濃度とか示されてますけど」

「じゃあ、こっちに来てくれ」


 班長が移動して、遼太郎たちを呼んだ。ふたりはところせましと並んでいる計器類にひっかからないように、注意して場所を変える。


「ここに川越市の地図があるだろう? 市街地を中心として、市内各地に妖気計という装置が配置されているんだ。妖気の性質は説明しないで大丈夫だよな?」

「はい」

「妖気計は妖気によって発生した地場の乱れを計測しているんだ。妖気計は地場が強く乱れている場所ほど色濃く反応する。そのデータをCGに変換して、モバイルに送信しているという寸法さ」

「妖気計の配置は結構ばらついて置かれているんですね?」


 遼太郎はモニタを覗き込んで、感想を口にした。


「そうだね、七不思議だけではなく、妖異が発生しやすい場所には傾向があるから、その場所を重点的にモニタリングできるようにしている」

「あ、でも……」


 吉乃がなにかを云いかけてやめた。


「なにかあるならどうぞ?」


 吉乃は考えを頭の中で整理をつけて、慎重に話し出す。


「この配置だと、妖気計の感度がところどころまちまちだと思うんです。川越市全体、確かにカバーされていますけど、エアポケットとかできないのかなぁって」

「それについては補正をプログラムで入れているから大丈夫……ん、まてよ?」


 なにか思いついたらしく、ハンチョウは顎に指を当てて思案し始めた。


「どうしました?」

「いや、ね。件の見えない馬だが、出現と消失が毎回違った場所で観測されていただろう? それに法則性を求めようとしていたが、上手く行かない。ならば、出現したタイミングで現場に急行するしかない」


 班長は頭の中でかなり精細に絵を書き始めたようだ。


「君たちがまとめてくれたデータから、不可視の馬は養寿院を中心とした四百メートル四方で出現・消失を繰り返していることが判明している。その範囲にグリッド状に妖気計を配し、リアルタイムでモニタリングする。グリッドの大きさは――一辺が五〇メートルほどかな。五〇メートル×五〇メートル、六十四のグリッドに、それぞれ職員を配し、反応が出た瞬間に指示を出して、封印に向かわせる」

「いや、それは……封印課の人員って課全体で二十人ほどって云うじゃないですか。とても、人手が足りませんよ。それに、捕獲器だってそんな数は……」


 遼太郎の指摘に班長はにやりと笑みを浮かべた。


「何事も足りなければ、よそから引っ張ってくればいい。環境部の別部署に応援を頼むことにする。追加で必要になる捕獲器と妖気計は、装備班になんとかさせよう。時間はあまりかけられないから、突貫作業になるぞ。あと二週間で必ずケリをつけなくてはいけないからな、臨時予算は下りるだろうよ」


「……あ、そうか」


 班長の言葉に、遼太郎は失念していたことを思い出した。キョトンとした顔の吉乃。


「何があるんですか? 第三土曜日に?」

「今月は十月。その日は川越まつり。川越が、一年で一番賑わうお祭りの日なんだ」




「あン? 捕獲器を今週中に八十基、妖気計を百基追加で揃えろだァ? 馬鹿云うんじゃねぇぞ!」


 班長から言伝を頼まれ、遼太郎たちは観測班のオフィスから東庁舎の地下にある装備班の作業部屋に足を伸ばした。そして、ハンチョウの作戦を装備班長に伝えたところ、このとおりに怒鳴りつけられた次第だ。


「けどよ、おやっさん。川越まつりの最中に馬が暴れでもしたら、最悪、けが人じゃきかねぇ被害が出るぜ。なんとかならねぇか?」


 装備班の班長、通称「おやっさん」は川越在住だが江戸っ子気質を持った職人肌の男だ。小江戸川越の小江戸っ子、ともいえるだろう。


「ちっ、それを云われると、弱っちまうな……まぁ、モノを揃えるこたぁできる」

「おっ、やったぜ!」


 小山田がすかさずにサムズ・アップしようとしたところを、おやっさんの言葉が遮った。


「できるが、それには近隣の作業所に総動員かけて、人手をバンバン、金もじゃぶじゃぶでなんとかなるってぇ、レベルの話だ。本気でやるなら、臨時予算の決済を取り付けてからだ」


 おやっさんの言葉に、小山田は不敵な笑みを浮かべた。


「ふっふっふ、甘い、甘いぜ、おやっさん」

「な、なんだよ」

「これを見な」


 小山田はおやっさんに一枚の書類を突きつけた。


「――っ‼ こりゃ、マジか⁉」

「マジもマジ、大マジだぜ」


 小山田がおやっさんに見せた書類は、認可済みの決済書類の写しだった。そこには、市長の権限で、封印課の年間予算三年分という、通常では考えられないほどの追加予算が降りた旨が記載されている。

 小山田は今度は誰にも邪魔されることなく、サムズ・アップを決めてみせた。


「よし、全員集合!」


 おやっさんの号令に、各々作業をしていた班員が集まってくる。


「今日から、突貫作業で封印装置八十基、妖気計百基を一週間で完成させるぞ。取引のある工場にも動員をかけるが、装備班はローテで仕事にあたれ!」


 その言葉を聞き終えるやいなや、装備班班員はばたばたと慌ただしく持ち場に移動していく。


「いや、なんかすごいですね、装備班」

「そうですねぇ……迫力が」


 遼太郎と吉乃はその迫力にただただ飲まれていた。飲まれすぎて、少しの間、呆然としてしまったぐらいだ。


「よっし。それじゃあ、俺たちゃぁオフィスに戻るとするか。教授にはハンチョウとおやっさんから連絡がいってるとは思うが、俺からも報告は上げておかねえとな。ホウレンソウは仕事の基本の基よ」


 そんなことを云いながら、小山田はまたサムズ・アップを決めてみせた。

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