第16話

「掛からないわねぇ……」

「釣りの基本はいちに忍耐、にに忍耐、さんしがなくて、ごに忍耐ですよ」


 その日、遼太郎と清瀬、吉乃は伊佐沼で釣り糸を垂れていた。

 というのも――。




 数時間前。


「観測班から報告があった。七不思議の妖異の反応が検出された。今度はよな川の小石供養だ」


 教授が朝礼の際に、観測班からのデータを開示した。七不思議に関する妖異も、残すところは半分を切っている――もっとも、直接的に封印したのは片葉の葦の一件に留まっているのだが。初雁の杉に関しては何となくそこで発生した妖異を封印しただけであるし、天神洗足の井水は自然に消え去った。人身御供に関しては吉乃がそれに該当するので、経過観察中……といったところか。


「よな川の小石供養……といえば、また浮島稲荷神社付近かね?」


 得たり、と云った風で小山田が教授に尋ねる。だが、教授は首を横にふった。


「その反応は、移動しているのだ。よな川とされる小川から移動して、今は伊佐沼で強く反応している」

「まさか」


 遼太郎が思わず声を上げた。


「なんだね、遼太郎くん?」

「まさかとは思いますが、よな川の小石供養と、大妖怪ヤナの伝承が混じっちゃってたりします?」

「ほう、よく勉強しているね――うむ、その可能性が高いと私も考える」


 教授と遼太郎の間では話が通じているが、他の面々はなんのことやら今ひとつピンときていない様子だ。


「それって、どういうことなんですか?」


 皆の疑問を代表するように、吉乃が遼太郎に問いかけた。


「ああ、ごめん。よな川の小石供養っていうのは――むかし、若侍が小川のほとりでおよねという美しい娘に出会った。やがてこの娘は縁あって若侍の嫁となったんだけど、姑にいびられ実家に帰されてしまったんだ。およねはたいそう悲しみ、小川のほとりで夫が通りかかるのを待っていたんだけど、結局、会うことができず小川の淵へ身を投げてしまった。やがてこの川を「よな川」と呼ぶようになった。川の名は「およね」からきているとも、よなよな泣く声が聞こえるからともいわれている――という話でね」


 遼太郎はそこで言葉を切った。そこに、教授が続ける。


「大妖怪ヤナというのは川越城、霧吹きの井戸に住んでいたとされる妖怪で、川越に戦がやってくると霧を放出して城を隠し、防衛していた……という伝承が残っている」

「じゃあ、霧吹きの井戸関連のなんじゃないのか?」


 小山田が疑問を挟む。


「たしかにその可能性も捨てきれない。だが、伊佐沼、よな川、とふたつのキーワードを考えたときにはどうか。よな川とされる小川は伊佐沼まで続いているとされ、大妖怪ヤナは川越城の堀と伊佐沼を行き来していた、と伝承されている。そして、「よね」という単語には聞き覚えがないだろうか?」


 教授は口元に薄い笑みを浮かべて、皆を見渡した。


「世禰姫……」


 吉乃が呟いた。その言葉にオフィス内の面々は、はっとした顔を浮かべた。


「そう。伝説で川越城完成のために人柱になった姫の名前が、「世禰」なのだ。大妖怪ヤナの「ヤナ」と云う名前も、「よね」が転じたものではないかという説がある。川越城七不思議と「よね」という単語は密接に関わっているのだ」

「じゃあ……その妖異の封印には、私も同行させてください!」


 吉乃が声を上げた。オフィス内の視線が吉乃に集中する。


「私が世禰姫の妖異だというのならば、なにかお手伝いできることもあるかもしれません!」

「つうことなんですが、どうしやす、教授?」


 小山田が教授に伺いを立てる。教授は一瞬の逡巡の後に、口を開いた。


「いいだろう。行ってくるといい――伊佐沼の妖異を封印するための装備一式は用意してある。それを使用して、封印を行ってくれ」




 そして、今に戻る。


「まさか、妖異を一本釣りすることになると思わなかったわ」


 教授が今回の妖異を封印するために用意した対妖装備が、なんと一本の釣竿だった。


「この時期の伊佐沼は水が多いですからね。どうやって封印するんだろうか……って思ったんですけど、釣り上げるって発想はなかったです」


 夏場の伊佐沼は、農業用水として利用されるため、水量がかなり多い。バス釣りなども盛んに行われていて、周りを見渡せば、遼太郎達以外にも釣り糸を垂れている姿が目に付いた。


 今回の封印業務を担当するのは清瀬と遼太郎。スーパーバイザーに吉乃。小山田は別件の封印業務に駆り出されていて不参加だ。


「教授を信じないわけじゃないけど……釣れるの、これ本当に?」

『不満かな?』


 インカム越しに教授の声がして、清瀬はぺろりと舌を出した――しまった、と云う表情だ。


『竿は普通の竿だが、疑似餌に工夫がしてあるのだ。妖異が発するのと同じ波長の電磁波を放つ疑似餌だ。それに興味を引かれてヤナが食いついたら、そのまま一本釣りして捕獲器に放り込んで封印――という寸法だ。これが、最適解だと私は考える。封印装置のほうは少々不格好になってしまったがね』


 妖怪ヤナの放つ反応は相当なもので、その全長は五メートルにも達しようかと推測された。今回用意された捕獲器は、中型トラックに乗せなくては移動できない大きさになっていた。接続されているPCもいつものノートではなく、教授の私物だという、カスタムマシンだ。市役所からここまでは、原付き免許から大型免許までひととおり持っている清瀬の運転でやってきた。


「とは云うものねぇ……」


 インカムを一時的にオフにしてから、清瀬はぼやいた。


「妖異を一本釣りなんて、普通は考えない話よね。教授は『最適解』って云ってたけど、どこからそんな発想が出てくるのかしら」

「教授の頭の中は底が知れないですからねぇ。これだ! と思ったものがあるんだと思いますよ。伊佐沼は溜池にしては結構な広さがありますから、上手く掛かってくれるかちょっと疑問に思わないこともないですけど」


 全長五メートルもの怪魚――妖異を狙うにしては、教授から手渡された装備は貧弱……とまでは云わないまでも、少々心もとなく感じるところはあった。


「ここから見渡す限りは妖異のよの字も見えませんねぇ。なんだか、すごくのんびりしちゃいます」


 遼太郎と清瀬が竿に集中しているので、吉乃はその後方にキャンピングシートを敷いて、待機していた。妖怪ヤナが掛かるまでは、吉乃はとくにやることもない。「とおりゃんせ」を歌う……という作戦も考えられたが、水中にいる妖怪ヤナに効果があるかわからないし、漠然と歌い続けるのも辛いだろうということで、今はそれは実行はされていない。教授の策がハマって妖怪ヤナが引っかかったのならば、釣り上げに吉乃も協力するということになっていた。


 伊佐沼での釣りを始めてから、しばらく経った。その間、対妖疑似餌にはヤナは引っかからなかった。三匹のブラックバスと二匹のブルーギル、あとはナマズが数匹釣れたのみだ。


「ヤナは釣れないのに、他のお魚はだいぶ釣れますねぇ」


 吉乃はその釣果に対して、純粋に感心している。


「そりゃあ、あたしが釣ってるんだから、このくらいは朝飯よ」

「清瀬さん、釣りの経験が?」

「ふふふ、聞いて驚きなさい。あたしの出身地は伊豆の大島。島でのあだ名は『太公望』だったぐらいよ!」

「へぇ、それはすごい」

「教授も食わせ者よ。このルアー、見た目は普通のスピナーベイトだけど、水中での動きが滅茶苦茶にトリッキーなのよ。あの人、絶対に釣りの経験者。しかも、ひねくれたルアーを好む、変態的な釣りセンスの持ち主ね!」


 それと同時刻、七不思議係のオフイスで教授が盛大にくしゃみをしていたのは想像に難くない。


「でも、肝心の妖怪ヤナが釣れないんじゃ、意味がないと言うか、骨折りというか」

「新人クン、きみが云ったとおり、釣りはいちに忍耐、にに忍耐、さんしがなくて、ごに忍耐よ?」

「なんか、すみません……生意気なことをいっちゃって」


 大島で女だてらに太公望とあだ名されていたという清瀬に向かってそんな事を言ってしまったかと思うと、遼太郎は心のなかでじたばたとすることしかできなかった。まさに、釈迦に説法をしたかたちになったのだから。


「とはいえ、このまま待ちの一手ってのもあんまりよ。ここはひとつ、打って出ましょ」

「清瀬さん、なにか策があるんですか?」

「撒き餌をね、やろうと思うわ。水が汚れるから、こういう沼での撒き餌はよくないんだけど、四の五の言ってられない……っていうか、あたしは飽きてきた」


 釣果はそれなりにあるとは云え、本命が釣れない状況で漫然と釣り糸を垂れるというのは、案外にしんどい。本命のあたりがありでもすればまだマシだが、こうも外道ばかり釣れるとあっては、清瀬が飽きてくるのも無理のない話である。


「撒き餌……って、妖異が寄ってくるような餌なんてあるんですか?」

「実はあるのよねぇ。と、て云っても、これも教授が持たせてくれたんだけど」


 そう云うと、清瀬は荷物の中からひと袋の粉のようなものを取り出した。ぱっと見れば、普通につかわれる撒き餌のようにもみえる。よく見れば、袋に印刷があって『スーパー妖異パワー ヤナ専用撒き餌』とイラスト入りで描かれている。


「……教授さんは暇なんでしょうか?」


 吉乃がぼそりと呟いた。遼太郎と清瀬は苦笑することしかできない。


「まぁ、それは良いとして。清瀬さん、これはどういうものなんですか?」

「袋に効能書きが印刷してあったわ。なんでも、今までに封印した妖異の妖気を照射して変質させた、芋の粉末……らしいわ」

「え、ってことは、性質的にはその芋の粉は妖異になっているんじゃ?」

「半妖異、ってところみたいね」

「人工的に妖異を生み出す……まるでマッドサイエンティストですね……」

「ふふっ、そうかもね。ま、妖異を封印する研究を行っていたときに副次的に生まれたものらしいわよ――おしゃべりはこのくらいにして、ささっと撒いちゃいましょ」


 生物、非生物、有機物、無機物。この世に存在するものが妖気を得たのならばそれは妖異化する。教授は芋の粉に妖気を人工的に与えて、妖気を帯びた芋の粉を生成した。この技術は、人工的に妖異を生み出すことができるという証左になる。悪用されれば惨事を引き起こすことも考えられる技術だが、使えるものはなんでも使うというのが、教授らしい考えであるといえる。

 なにはともあれ、ヤナを引き寄せる算段は整った。

 清瀬は撒き餌をバケツに移し、適量の水で溶いた。それを柄杓で掬うと、威勢よく伊佐沼の湖面に撒く。二、三度、柄杓を振るってから遼太郎に声をかけた。


「新人クン、ヤナの動きは?」


 遼太郎はモバイルギアを操作して、可視化された伊佐沼の妖気の偏位を確認した。


「大きな反応はこれで……清瀬さん、来てます! 二時の方向から、こっちに向けてゆっくりとですが近づいてきてますよ!」

「ビンゴ!」


 清瀬はこれ得たりと、釣り竿を手にする。そして、遼太郎がナビゲートした方向に向けて思い切りよくルアーを投げた。ルアーは二十メートルほど円弧を描き、着水した。


「よっしゃ、食いついてちょうだいよ!」


 清瀬はリールを巧みに操って、ヤナを誘いにかかる。小刻みに竿を上下させ、緩急をつけながらリールを巻く。遼太郎と吉乃はその様子を息を呑んで見守った。


 そして。


 ルアーが着水してから三十秒。伊佐沼の水面に巨大な水柱が立った。ヤナがルアーに食いついたのだ。


「フィーッシュ!」


 ヤナの食い付きに合わせて、瞬間的に清瀬は竿を立てた。

 瞬間、竿が大きくしなる。


「くっ、重い……! 新人クン、吉乃ちゃん、手伝って!」


 見れば、清瀬は今にも竿ごと伊佐沼に引き釣りこまれそうになっている。遼太郎と吉乃は慌てて、遼太郎は竿を、吉乃は清瀬の腰を、それぞれ掴んで保持する。


「くう、なんて力だ!」


 竿を持っていかれそうになり、遼太郎は足を踏ん張って必死に堪える。少しでも気を抜いたらそのまま伊佐沼に引き釣り込まれてしまいそうな感もある。


「吉乃ちゃん、頑張って!」

「あたしには⁉」

「き、清瀬さんも頑張ってください!」


 そんなふうに騒がしくしていると、周囲の釣り人も何事かと思ったらしくぞろぞろと集まってきた。この伊佐沼でこれほどまでの大物が釣り上げられることなど、今までなかったことなのだから、興味を惹くのは当然のことだと言える。


「おう! ねーちゃん、がんばってな!」

「いける、いける!」

「ぬおお、やったるわよぉ!」


 周囲から応援の歓声が飛び、清瀬の心に完全に火がついたようだった。腰を落とし、真正面に竿を向ける。そして、ときにリールを緩めてヤナを泳がし、タイミングをあった瞬間にはリールを強く引いて、手繰り寄せる。

 大型魚との格闘はとにかく根気の勝負になってくる。そして、大型海洋魚を釣り上げた経験のある清瀬は、まさしくこの状況に最適な人材だった。


「ちっ、向こうは妖異だけあって、体力が底なしね……!」


 通常ならば釣り上げられる時間がたっても、ヤナは上がってこない。


「清瀬さん、あなただけが頼りです! がんばってください!」

「ふぁいと、です!」


 こうなってくると、遼太郎と吉乃は応援することしかできない。ヤナがルアーにかかってから、もう二十分近くが経過していた。それほど広くも深くもないこの伊佐沼でそれだけの粘り、まさに大妖怪と云われるだけのことはある。


「もう少しで上がりそうではあるんだけど、も!」


 ヤナが立てる水飛沫がだいぶ岸近くまで迫ってきた。清瀬は残った体力と気力を振り絞り、乾坤一擲、一気にリールを巻きにかかる。


「うおおおおおお‼」


 雄叫びを上げながらリールを巻く姿は、鬼か阿修羅かといわんばかりではあったが、その姿は遼太郎たちには多大な心強さを与えるものだった。


「いっけぇぇぇぇぇ!」

「がんばれぇぇぇぇ!」


 遼太郎と吉乃も声を張り上げて声援を送る。応援をしたところで、清瀬の力が増すわけではないのはふたりとも承知していたが、声を出さずには居られなかった。


「ったぁ!」


 そして、清瀬は仕事をやりきった。気合一閃、竿を振り抜く。大きくしなった竿に引かれ、大妖怪ヤナは水面から空中に跳ね上げられ、そのまま後方の捕獲器に投げ込まれる。そのまま封印が成される……と思われたのも束の間。


「あ、やば……」


 遼太郎は思わずつぶやいた。ヤナの巨体、清瀬が引き上げたスピードそれらが絶妙に作用した結果、捕獲器が破損してしまったのだ。


「新人クン、封印は⁉」

「ダメです! 捕獲器が破損してしまってて、封印できません!」

「なんですって⁉」


 陸上に揚がったヤナは全身を脈動させ、怒りに打ち震えているようだった。あきらかに、不味いことになりそうな雰囲気しかしていない。

 グオオオオオ!

 ヤナが咆哮を上げた。猿叫が轟き、周囲の釣り人、そして、七不思議係の面々は耳を抑えて耐えることしか出来ない。


『――は、はい! 教授さん!』


 そんななか、インカムを耳に当てて吉乃は教授に連絡を入れていた。そして、公用車の荷台をひっくり返して、ひとつの包みを探し当てた。


「清瀬さん、これをつかってください! 教授さんからのアドバイスは『良い感じに当たって砕けろ』です!」


 包みが清瀬に手渡たされる。その包みを改めた清瀬は、引きつった笑みを浮かべた。


「マジか、教授」


 包みの中から出てきたのは、一本の棒状のものだった。柄と思わしき場所に『対妖近接武器(刀型)』とテプラで作ったらしいシールが張ってあり、その握り口の部分にスイッチがあって、そこには『ここを押す』と付箋が張ってある。清瀬がそのスイッチを押すと、棒状の刀身に電流が流れたように火花が散った。

 要するに、対妖異用に設えられた、特製の近接武器――これでチャンチャンバラバラ妖異と斬り結べ、というのだ。

 そうこうしているうちに、ヤナの様子に変化が起こっていた。もともとは魚そのものといった風の外見をしていたのだが、胴体からにょきりと手足が生え、両生類のような姿になっている。


「ちっ、進化してる。新人クン、あたしが時間を稼いでる間に、捕獲器の修理を頼むわ。ただまぁ、そんなに長い時間は稼げないと思う。吉乃ちゃんは対妖銃で援護お願い」

「わ、わかりました!」

「はい!」


 かくして、大妖怪ヤナとの大一番の幕が切っておとされた。

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