第15話
それから数日の過ぎた、休みの昼下がり。遼太郎が家で惰眠を貪っていると、突如スマホがメロディを奏で始めた。
「うわっ、電話だ!」
着信の相手は教授だった。モニタをスワイプして応じる。と、いつもより少し慌てた様子の声が聞こえてきた。
『遼太郎くん、オフィスに出てこられるかね?』
「え、今からですか? ええ、構いやしませんが」
『では、頼む。ときに、清瀬くんのケータイが繋がらないのだが、心当たりはあるかね?』
「清瀬さんですか? たしか、今日はサバゲ会があるとか云ってた気が。あの人のことだから、無頓着で電池を切らしてるんじゃないですかね?」
電話の向こうで、小さくため息が聞こえた。
『しようがないな。遼太郎くん、清瀬くんを捕まえて、こちらに向かってくれないだろうか? オフィスにはもう全員揃ってしまっているのでね、きみに頼むのが一番効率がいいと考える』
「わかりました。小一時間で向かいます」
『頼む』
遼太郎は急いで服を着替えると、轟天号を発進させた。
「ええと、道は確かこっちで……と」
以前に清瀬に誘われたことのあるサバゲ場に向けて、遼太郎は轟天号を走らせる。清瀬が毎週のように足を運んでいるサバゲ場『サンドストーム』は川越の端、荒川の河川敷にある。国道から脇道に入り、細い小道を縫うように走っていくと、唐突に視界がひらけた。サンドストームの駐車場に着いたのだ。そこに駐車すると、遼太郎はゲームが行われている会場に足を向けた。
「あのー、清瀬さん来てますかねぇ?」
「清瀬ちゃん? いま、試合の最中だよ」
受付に居た眼鏡の青年に清瀬の所在を尋ねると、すぐに居場所が知れる。都合悪く、ゲーム中とのことだった。さすがに大勢が参加しているゲームの中に突入していって清瀬を引っ張ってくる気にもなれず、遼太郎はベンチに腰をおろしてゲームが行われているフィールドを眺めた。サバゲのフィールドはBB弾が流れないようにかすみ網で囲われている。
フィールド内では「フラッグ戦」と呼ばれる形式でゲームが行われている。二チームで双方の陣の最奥に設置されたフラッグを奪い合うゲームだ。なんとなくフィールドを見回していると、真っ赤なつなぎを着込んだ清瀬の姿――顔には防弾グラスをしているので判別がつきにくいが、おそらくはその姿を発見する。清瀬と思しき女性は普段仕事で使っているのと同じ型の突撃銃を手にし、果敢にアタックを繰り返していた。仲間との連携も見事なもので、向かってくる敵陣営を各個撃破しながら、着実に前進していく。
「へぇ、やるもんだなぁ」
サバゲの戦術になどは明るくない遼太郎だったが、その様子に思わず舌を巻いてしまう。清瀬と思しき女性のチーム、赤チームはそのまま一気に敵陣営を攻め落とし、フラッグとして使われているブザーを押した。
ファァァン、という音がフィールド内に響き渡り、ゲームが終了する。フィールドに散っていたプレイヤーは各々銃を担いで外に出て、外に出たところで防弾マスクを外す。赤いツナギの女性はやはり、清瀬だった。遼太郎はベンチから腰を上げると、清瀬の元に向かった。
「清瀬さん。お楽しみのところ恐縮ですが、教授の招集です。このままオフィスに向かいますので、準備をよろしくおねがいします」
「あら、新人クン? ええ、わかったわ。すぐに荷物をまとめる」
少し名残惜しそうにしながらも、清瀬はすぐに帰り支度をはじめた。三分ほどで荷物をまとめた清瀬。轟天号を清瀬のバンに詰め込み、市役所に向けて出発した。そして、軽く渋滞に巻き込まれながらも、遼太郎が宣言したとおり、小一時間でオフィスに到着した。
「牧田、到着しました」
「すんません、遅れちゃいまして」
遼太郎と清瀬が七不思議係のオフィスに到着すると、教授を始めとする面々は勢揃いしていた。
「で、今日は何の要件で?」
遼太郎は傍に座っていた小山田に訪ねたが、小山田は首を横に降った。呼ばれては来たものの、皆、なにも聞かされていないらしい。すると、係長席の教授がパン、パンと手のひらを打ち鳴らした。
「全員揃ったな。今日は大事な話があるから、緊急に休日出勤してもらった次第だ。今日の要件というのは、他でもない――吉乃くんのことだ」
教授の隣に腰をおろしていた芳野が、困ったような曖昧な笑みを浮かべた。どうやら、吉乃へは教授からすでに話が通っているようだった。
「天神の言葉がどうにも引っかかってな。芳野くんの体のデータを観測班の協力のもとで測定し直してみた。人間の体も微弱な妖気を持っていることがある。だが、吉乃くんの体の妖気には極めて特異な点が検出された――芳野くんから、妖異と同じ波長が検出されたのだ」
その言葉に、オフィスの中がざわめいた。それを遮るように教授はさっと片手を挙げた。
「芳野くんが発見された経緯、場所、時刻などを鑑みた結果、ひとつの結論に達した。それは――」
教授は芳野に目配せした。芳野は小さく頷いた。
「それは、吉乃くんが七不思議の妖異であるということだ」
その言葉にオフィス内はにわかに騒然となった。それもそうだろう。長年とは云えないまでも、それなりに時間を積み重ねてきた少女が妖異である、というのだから。
「教授、そんな――」
教授に問いかけようとした遼太郎だったが、それを教授は手のひらで制した。
「――そして、それは川越城七不思議を構成するファクターである『人身御供』に関係するものだ。遼太郎くん、おさらいだ。人身御供の内容を説明してみたまえ」
「は、はい……」
有無を云わせぬ様子の教授に気圧されながら、遼太郎はポケットからメモを取り出して、該当する七不思議のページを繰った。
「人身御供は……太田道真、道灌親子は川越城を築城する際に、七ツ釜の底なしの沼地に悩まされていました。そんなある日、同真の夢枕に七ツ釜の竜神がたち、「城を完成させたいと云うのならば、明けた朝一番に同真の元を訪れたものをさしだせ」と云ったんです。どうしても城を完成させなければならない同真はその条件を飲みました。しかし、翌朝に同真のもとに現れたのは、同真の娘、世禰姫だったんです。姫も同真と同じ夢を見て、自らの意思で同真の元に足を運んだ。同真は娘を生贄にすることを拒みますが、姫は七ツ釜に身を投げてしまいます。その犠牲があってから程なくして川越城は完成したとのこと……と云う話ですね」
遼太郎の説明に、教授は頷いた。
「そう、そのとおりだ。私が考察するに、芳野くんは件の伝説の世禰姫に相当するのではないか、と考える」
「ちょっと待ってくださいよ、教授」
信じられない、という顔で遼太郎は教授に食い下がる。
「そもそもそれは伝説の話で、本当にあったかどうかも定かではない話でしょう? それで芳野ちゃんが「世禰姫」だ、なんて云われても……」
「遼太郎くん。伝承においては実際にあったかどうかは重要ではないのだよ。その話が長きときに渡って語り継がれてきた。そこが大事なのだ。こと、妖異は伝承の影響を受けやすい。人間の記憶が妖異の出現に関連しているという仮説もあり、私はその説があんがい的を射ているのではないかと思っている」
「良いんですよ、遼太郎さん」
吉乃が語り始める。
「私は妖異でも、別に構わないんです。私のことを太田吉乃として認識してくださる皆さんが居る。それだけで、十分なんです。それに、私が居ることで環境への影響はとくにない、と観測の結果が出ているみたいで。教授も、私を封印することはしないと云ってくれましたよ」
その言葉で、再び教授に視線が集中した。
「どういうことですか、教授⁉ 妖異――特に、七不思議の妖異は確実に封印しないとマズいって、常日頃から云ってたじゃないですか!」
清瀬が教授に食って掛かった。『総ての妖異は封印スべし』という職業意識がそうさせたのだろう。そんな清瀬を小山田がなだめる。
「そんなカリカリすんなよ。なにか? お前さんは吉乃ちゃんを封印してぇのか?」
「そんなわけないでしょ! 付き合いはまだ短いけど、知り合いを封印するなんてまっぴらよ!」
清瀬と小山田の間で口論が始まりそうになったが、それを教授が制した。
「先の天神の言葉ではないが、妖異だからと云って必ずしも封印せねばならぬ……ということではないのだよ。吉乃くんが発見されてからこれまでの川越の環境データを観測班に出してもらったのだが、その影響でそれが乱れたということは観測されていないのだ。ともすれば、吉乃くんは無害な妖異ということだ。我々が妖異を封印するのはなぜだ?」
「そりゃ、環境を悪化させて、人を襲うからで……あ」
それを口にした清瀬ははっとした顔になった。
「環境を乱さず、人と無理なく共生できている吉乃ちゃんを封印する意味はない……って事ですか?」
「そういうことだ。我々は機械ではない。融通を利かすことができる、人間なのだよ」
「なるほど、そういうことなんだな。良かったじゃねぇか、遼太郎」
教授の言葉を受けて、小山田が遼太郎の背中をバンバンと叩いた。不意打ちされた遼太郎は目を白黒させる。
「って、なんですか、いきなり!?」
「いや、遼太郎は吉乃ちゃんのこと気に入ってるみてぇだったしよ」
「まぁ、好きか嫌いかでいえば、好きな部類には入りますけど。でも、僕は七不思議係のみなさんをそんなふうに思っていますよ」
少し照れた様子を浮かべながらも、遼太郎ははっきりと宣言した。そんな遼太郎にあてられたか、オフィスにいる皆々が照れたような笑みを浮かべた。
「皆さん、ありがとうございます……」
吉乃は感動の面持ちで、目尻に涙を溜めていた。自分が人外の者であることを知らされてからは気が気ではなかったのだろう。だが、思いの外簡単受け入れられて、七不思議係の皆の懐の深さを改めて認識していたのだ――もっとも、誰かさんに関しては「適当にやっていればよろしい」が信条なので、深く考えていないだけなのかもしれないが。
「よし。今日はこれまでにしよう。皆には手当もつかないのに休日出勤を強いてしまって申し訳なかった。今日は私がポケットマネーで奢るとしよう。小江戸ビールでも呑もうではないか」
小江戸ビールは川越ブランドの地ビールだ。本場ドイツのコンテストで賞を獲得するぐらいのクオリティが自慢のビールである。それを教授が奢ってくれるというのだから、皆の士気は否応なしに高まった。
その日の七不思議係の業務日報は白紙で提出された。
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