第13話

「困りました……」


 学校が終わって、七不思議係のオフィスにやってきた遼太郎を出迎えたのは、吉乃の困り顔だった。


「吉乃ちゃん、どうしたの?」


 ナップザックを降ろしながら、遼太郎は尋ねた。


「さっき、課長さんが来たんです。教授さんに取り急ぎで連絡をとってほしい、って云われたんですけど、教授さん、スマホを置いてどこかにでかけちゃったみたいで」

「あら、それは困ったね。清瀬さんと小山田さんは?」

「お二人とも、外回りに出ちゃってて」

「よし、それじゃあ、教授を探しに行こう。行きそうなところに心当たりがあるんだ」


 遼太郎のその言葉に吉乃の表情は、ぱぁ、と花開いた。


「ありがとうございます、牧田さん!」

「遼太郎でいいよ」


 実のところ、この何気ない会話をしている最中、遼太郎の心臓はバクバクと激しく鼓動していた。遼太郎の通う川越中央高校は男子校で、同い年ぐらいの女子と話す機会が極端に少ないのだ。だが、それを悟られるのもなんだか格好がつかないと考えた遼太郎は、表面上は努めて気さくな少年として振る舞うことにした。それが、この会話である。遼太郎の努力は実ったようで、吉乃はそんなことにはまるで気がついていない。


「それじゃ、行こう」

「はい!」


 遼太郎が轟天号で先導し、吉乃はその横を七不思議係の備品の自転車でついていく。


「遼太郎さん、どちらに向かっているんですか?」

「大正浪漫通りの島風っていう、沖縄物産のお店。教授と昨日話したときに、ルートビアを切らしてるって云ってたからね。」

「へぇ、そうなんですね!」


 教授の味覚は独特だ。かなりクセの強い飲料であるルートビアを愛飲していることからもそれは伺い知れる。川越にはそのルートビアを常時取り扱っている店がある。それのうちのひとつが沖縄物産を取り扱う『島風』だ。


「ところで、ルートビアってなんです?」

「ルートビアっていうのはね、アメリカの清涼飲料水だね。植物の根っこから穫れた成分が入った――なんていうかな、湿布みたいな匂いのする飲料なんだ」

「し、湿布……」


 およそ飲料水っぽくない形容詞に、吉乃は絶句した。しかし、世の中にはルートビアを愛飲している者はそれなりにいるし、沖縄ではメジャーな飲料だったりもする。

 市役所から十分ほど自転車を走らせたところに、沖縄物産『島風』はあった。店の前に自転車を停めると、遼太郎と吉乃は店内に踏み込んだ。


「おじゃましまーす……っと、教授!」


 さして広くはない店内。踏み込めば、見慣れた白衣の女性が居るのがすぐに分かる。


「おや、遼太郎くんに吉乃くんではないか。どうした?」

「あの、教授さん。課長さんがお呼びですよ。教授さん、ケータイを置いていっちゃたので、お伝えに来ました」

「課長が? あぁ、例の件でか……うむ、足労かけてすまなかったね。私は車で来ているので、先に戻っている。きみたちはゆっくりと戻るといい」


 そう云うと、教授はふたりの手にルートビアを握らせた。お駄賃代わりらしい。


「了解しました。じゃあ、熊野神社にでも行って、少し休んでから戻ります」

「うむ、そうしてくれたまえ」


 教授は遼太郎の肩を軽く叩くと、店を出ていった。遼太郎は吉乃に声をかける。


「ってことだから、すぐそこの神社で少し休憩しよう」

「はい!」


 そして、熊野神社。開運と縁結びのご利益があるという神社だ。遼太郎と吉乃は手近なベンチに腰を下ろし、ルートビアの缶の封を開ける。

 とたん、ほのかに湿布に香り。


「へぇ、ほんとに湿布の匂い……」

「味も結構独特だけどね、ぼくは嫌いじゃないけど」


 なんとなくルートビアを飲みながら、会話をする流れになった。吉乃は薄く笑みを湛えている。その表情に遼太郎はまたしても少し心拍数が上がってしまう。


「吉乃ちゃんはさ、好きな食べ物とかあるの?」


 そしてその遼太郎の口から出たのは、つまらないにも程がある質問だった。遼太郎とて、そんなことを知りたいわけではないのだが、他に話のきっかけとなるような言葉を持ち合わせていなかったのだ。


「そうですねぇ……このあいだ教授さんに連れて行ってもらった、うなぎは美味しかったですよ」

「へぇ。どこのお店? 川越はうなぎの美味しい店がけっこうあるからさ」

「ええと。たしか、たぬき亭……っていうお店だったかな」

「ああ。あそこかぁ。美味しいって言う噂は聞こえてくるね」


 つまらない質問からの流れだったが、案外に話がうまく転がりはじめたので、遼太郎は心のなかで小さくガッツポーズをした。サムズ・アップは……黒縁メガネが脳裏に浮かぶので考えないことにする。


「遼太郎さんは妖怪が好きなんですね?」

「うん、周りからは妖怪博士なんて呼ばれてるけどね。でも、七不思議係に関係するようになって、僕の知識なんてたいしたものじゃなかったんだなぁ、って実感してるよ」

「うーん、記憶喪失の私が云うのもなんですけど、身につけた知識は腐ることはないと思うんです。かならず、役に立つ時が来るはずです!」


 吉乃は両の拳を握りしめ、力説した。自分を励ましているらしい、ということには、遼太郎もすぐに気がついた。


「ありがとう。そうだね、現実に出没する妖怪――妖異も伝承に基づいた弱点とかそういうのを持ち合わせているって云うし、僕の知識が役に立つときも、くるかもだね」


 遼太郎が口元に笑みを浮かべると、吉乃はとても嬉しそうな表情をしてみせた。その表情を、遼太郎は思わず見つめてしまった。


「? どうしました?」

「――いや、なんでもないよ」


 人間が恋に落ちる瞬間というのは、まさに。

 遼太郎は迷い路に大きく踏み込んでしまったのを、自覚した。

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