第12話

 片葉の葦の妖異を封印してから数日後、別の七不思議に活性の徴候があると、観測班からの報告があった。


「しかし……係の人員総出で来てみりゃあ、存外に平穏なもんだな」


 七不思議係の面々がやってきたのは、市役所からもほど近い、三吉野神社の境内。三芳野神社は天神さまを祀った神社で、とおりゃんせの歌にも歌われる古刹である。


「そもそも、初狩の杉の妖怪ってどういうものなのかしらね? 杉の木か雁か……想像がつかないわね」


 先日の傷も癒えた様子の清瀬は、煙草を吹かして目を細めている。遼太郎と教授、そして吉乃は荷物を手に、その後ろから合流する。小山田がぼやいたように、今、三芳野神社の境内はそれはとても静かなものだった。人を襲うカテゴリー三以上の妖異が発生しているとは、とても思えない。


「うぅむ、正確無比の観測班がことを違えたか?」


 教授も訝しげな表情をみせる。


「初狩の杉の伝承っていうと、春になるとどこからともなく雁が飛んできて、境内の杉の周りと三度鳴きながら、三周した……って話ですよね? 杉の木はともかくとしても、この真夏に雁なんかいるはずもないですし――」

「あ、あの! あれは⁉」


 吉乃が何かに気がついた様子で声を上げた。彼女の視線の先を追った七不思議係の面々は、信じられないようなものを目にしてしまった。


「あれは……鴨、か?」


 さすがの教授もあっけにとられた様子だ。

 それもそのはず。

 七不思議係の面々の前には、全長三メートルはあろうかという鴨が転がっていたのだ。


「教授、七不思議係に関連した妖異てのは、雁と鴨を取り違えるようなアバウトなものなのか?」


 ずり落ちてきたセルの眼鏡を直しながら、小山田は教授に問う。それは、この場にいるもの全員の共通した疑問だった。


「そうだな。清瀬くん、妖気の偏差はどうなっている?」

「あー、教授。あのバカでっかい鴨から、ビンビンね」

「そうか」


 教授は一瞬目を閉じ、口元に指を当てて思案した。


「あの鴨が七不思議に由来したものかどうかはさておき、放置することはできない。『妖総ス』だ、封印の準備をするぞ」


 目の前の巨大鴨が七不思議の妖怪であるという確証はない。だが、それの無害有害に関わらずに『妖怪は総て封印スべし』というのが七不思議係の業務方針だ。小山田と清瀬は乗り付けてきた大型バンから機材を搬出し、LLサイズの捕獲器を組み上げていく。


「のんきそうな面構えをしているなぁ。それで教授、どうやってあの鴨かもを捕獲器に誘導するんですか? あそこから動く気配がありませんけど」


 捕獲器を組み上げながら、遼太郎は巨大鴨を仔細に見分していた。大きさは三メートルほど、近所を流れる新河岸川などでよく目にする真鴨をそのまま大きくしたような妖異だ。


「うむ、対妖銃を撃ち込めばなにやらの反応は期待できる……が、あの大きさは厄介だな。暴れられでもしたら、大事に至らないとも限らない――鴨かも、とは?」

「鴨かも知れない妖異の略で鴨かもです。妖怪にしても、バカでかいだけの鴨なんて、少なくとも僕は知らないので仮に名前をつけてみました」

「ふむ。では、以後あの妖異を鴨かもと呼称することにしよう」


 遼太郎と教授がそんな話をしている間に、捕獲器が組み上がっていた。小山田はサムズ・アップしてみせていた。このポーズが出たということは、準備は万全なのだろう。


「んで、どうする? 俺らの持ってるカードは対妖銃をぶっ放して捕獲器に追い込む、それ一枚だが?」

「いや……先日の片葉の葦を思い出すんだ。とおりゃんせ……それも有効かもしれない。ちょうどいい機会だ、実証実験といこう」


 教授が提案したのは、とおりゃんせを歌って妖怪が引き寄せられるかを試してみる、ということだった。確かに巨大鴨は図体こそは大きいが、今のところは地面に転がっているだけで明確に敵意を持っているとは思えない。


「おし、じゃあ……遼太郎、歌え!」

「え、僕ですか⁉」


 小山田に振られて、遼太郎は当惑した。歌を歌うということは嫌いではないし、カラオケにも行く。だが、いきなり人前で歌えといわれて歌えるほどの胆力はない。


「清瀬さん、お願いします!」

「え、あたし⁉ ……しょうがないわねぇ」


 遼太郎は真横に居た清瀬にスルーパスした。振られた清瀬は、最初は遼太郎同様に困惑した表情をみせた。だが、意外にも乗り気なようであった。


「お、やんのか、清瀬?」

「やってやろうじゃないの!」


 そう云うと、清瀬は腕まくりひとつして、朗々と、とおりゃんせを歌い始めた。


 とおりゃんせ、とおりゃんせ

 ここはどこの細道じゃ

 天神様の細道じゃ

 この子の七つのお祝いに、御札を納めに参ります

 行きはよいよい帰りは怖い

 怖いながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ――。


「鴨かも、動きませんな?」


 腕組みして様子を伺っていた小山田がぼそりと呟いた。だが、歌い終えた清瀬は満足そうな表情を浮かべている。


「どうよ⁉」

「どうよ、って、だなぁ……お前さんが歌が達者なのはわかったが、肝心の鴨かもが動かないんじゃ、完全に骨折り損ってもんだぜ? どうしやす、教授」


 教授は顎に指を添えて、ひとつ思案した。そして、吉乃に視線を向けた。


「吉乃くん、きみが歌ってみたまえ。前回と今回の差異を鑑みるに、きみが歌うことがトリガーになっていると私は推察した」

「――はい、わかりました!」


 教授に促された吉乃は、一歩前に進み出た。


 とおりゃんせ、とおりゃんせ

 ここはどこの細道じゃ

 天神様の細道じゃ

 この子の七つのお祝いに、御札を納めに参ります

 行きはよいよい帰りは怖い

 怖いながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ――


 吉乃の澄んだ歌声が、境内に響き渡る。

 すると。


「鴨かもの様子が!」

「こりゃあ、ビンゴだったな」


 遼太郎は思わず声を上げてしまった。小山田は吉乃にむけて、サムズ・アップしてみせていた。巨大鴨がのそりとその身を起こし、ゆっくりと七不思議係の面々の方に歩み始めたのだ。


「ふむ……やはり、吉乃くんの歌声、か――検証は後ほどとして、小山田くん、封印を頼んだぞ」


 教授はなにか思うところがあったようだが、とりあえずは目の前の仕事を、ということで、封印の指示をだした。巨大鴨はのそりのそりと歩みを進め、捕獲器に踏み込んだ。


「はい、それまでよっと!」


 小山田が捕獲器に接続されたPCのエンターキーを叩く。すれば、通常通りに閃光が瞬き、巨大鴨の姿は掻き消えた。


「なんとか、うまく行きましたね……」


 実質的にはなにもしていないに等しい遼太郎だったが、そこそこに緊迫した場の雰囲気に当てられてしまったらしい。大きく深呼吸をして、頭をしゃっきりとさせる。


「あたしの歌じゃだめで、吉乃ちゃんの歌に反応……って、どういうことかしらね?」

「妖異も年増より若い子の歌声のほうがいいんじゃねぇかな」

「小山田ァ!」


 うかつなことを口にした小山田は清瀬にまたもコブラツイストを掛けられていた。そこはそれでとおいておき、遼太郎は教授に向き直った。


「吉乃ちゃんの歌声……もしかして、記憶喪失とかそういうのと関係あるのですか?」

「――私も確信に至っているというわけではない。いくつかの仮説を立てることは出来た……が、まだそれを口にするべきではないと考える。もう少々、時間が欲しい」


 教授は眉間にシワを寄せていた。相当に難解な思考実験に挑んでいるかのようだった。


「まぁ、今日は無事に封印業務を果たすことが出来たということで良しとしよう。帰投する――清瀬くん、そのくらいにしておきたまえ。小山田くんがねじ切れてしまう」


 教授に助け舟を出してもらって清瀬から開放された小山田は、ゆっくりとサムズ・アップしていた。そんな彼に目をやっては、吉乃は笑みを浮かべる。そうしているうちには、彼女は普通の高校生ぐらいの少女にしか見えない。


「…………」


 そして遼太郎は、そんな吉乃の笑みに、一瞬ではあるが目を奪われたことに気がついていなかった。

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