第9話

「遼太郎さん、小山田さん、おかえりなさい!」


 不思議係のオフィスに戻ってくると、吉乃がふたりを出迎えた。教授は忙しそうに仕事に向かっている。


「あれ、清瀬さんは?」

「清瀬くんは七不思議の観測に向かっているよ。片葉の葦周辺に妖異の出現の兆しがあるという情報が観測班から上がってきているのでね」


 遼太郎の質問に、教授が書類を見遣りながら答える。遼太郎は自分の席に着きながら、教授にもうひとつ質問する。


「片葉の葦の伝承ってどういうものなんですか?」

「簡単に説明する。いくさに破れ川越城から逃げ延びたお姫様が『七ッ釜』まで逃げ延びた。だが、お姫様は七つ釜の沼に落ちてしまう。助けを求めて葦にしがみついたものの、葦は脆くも千切れ、お姫様は沼に沈んでしまう。その後、七つ釜に生える葦は片葉になったという……という伝承だ」

「七ッ釜っていうことは、浮島稲荷神社周辺ですか?」

「そうだよ」


 吉乃が発見された浮島稲荷神社付近は昔は湿地帯で、釜が七つ浮いているようにも見えたことから七ツ釜と呼ばれていたという。遼太郎と教授がそんなことを話していると、PCがアラートを鳴らし始めた。


「こちら七不思議係……清瀬くんか? なるほど、承知した。すぐに小山田くんと遼太郎くんを向かわせる」


 清瀬からの報告らしい。教授は苦い表情を浮かべていた。


「清瀬くんからの報告で片葉の芦に関連する妖異が出現したとのこと。カテゴリー五相当の――『お姫様』が出現したということだ。小山田くん、遼太郎くん、すぐに応援に向かってくれ!」

「ほいきた!」

「は、はい!」


 教授の指令で、小山田と遼太郎は再び炎天下の市内へと駈け出ていった。


「しかしよぉ、カテゴリー五って、やばくねぇか?」


 現場に向かう車中で、小山田はハンドルを握りながら、ヘッドセットに言葉を向けた。

『まずいな。そのレベルの妖異の出現は今まででは何十年かに一度、あるかないかだ。不測の事態に備えて、封印課本隊にも出動を要請した。だが、今日は川越市各所で妖異が出現しているということで、上もてんてこまいらしい。応援は期待するな。君たちだけで片付けてくれ』

「な、なんとかなるんでしょうか?」


 状況が完全に飲みきれていない遼太郎だったが、かつてない妖が出現が出現しているということだけは分かる。そして、その現場に自分が刻一刻と近づいていることも理解できた。


「この間から気になっていたんですけども、『カテゴリー』ってなんなんですか?」

「ああ、説明してなかったな。妖異はその脅威度によってカテゴライズされているんだ。人間に全く害を与えないものを一、危害が及ぶ危険性のあるものが二、危害を与えるものが三、重篤な危害を与える可能性があるものを四」

「それじゃあ、五っていうのは」

「そうだ。人間を殺害する威力を持った妖異っつうことだ」


 殺害。


 その言葉に、遼太郎の顔は少し青ざめた。そんな遼太郎を視界の端に捉えた小山田は、笑ってみせた。


「なぁに、心配しなさんな。俺らが着く頃には、清瀬の野郎が片付けちまってるかもしれないぜ」

「そう……だと、いいんですが」


 小山田は気楽そうにしているが、遼太郎は不安で不安で仕方がなかった。そして、その不安は見事に的中することになる。




「小山田ァ、新人クン、遅い!」


 現着してバンを降りた瞬間、遼太郎と小山田は清瀬に怒鳴りつけられた。早速言い返そうとする小山田だったが、清瀬の姿をみて絶句してしまう。清瀬は普段どおり上半身を腰に巻いた赤いツナギ姿だった。上に着ているのは白いTシャツなのだが、腕や脇腹に鋭利な刃物で切りつけられたような傷が見え、シャツも所々朱に染まっている。


「だ、大丈夫なのかよ、清瀬⁉」

「これが大丈夫に見えたら、あんたの脳みそはお豆腐ね! ああ、痛ッ!」


 ざっくりと斬り裂かれた二の腕をバンダナで止血しながら、清瀬は忌々しげな表情を隠さない。


「清瀬さん、その、カテゴリー五のお姫様ってのは?」


 顔を青くしながら遼太郎が問いかけると、清瀬は前方を顎でしゃくってみせた。その先には、異形の姿があった。


「あれは……お姫様というよりも、怪物……!」

「今はね。私が発見した時は、人の形をしてた。だけど、ほんの数分であの有様よ!」


 その怪物は、妙に長い四肢に避けた口、鋭い眼光とまさしく化物であった。しかし、身につけている衣服は女物の着物で、たしかにお姫様であった名残はみてとれる。


「あいつの爪でやられたのか?」

「違う。一定の距離に近づくと、葉っぱを投げてくるのよ。それが斬れるの斬れないのって」

『おそらくそれは、葦の葉だろう。掴んだ葦の葉が千切れ、身を水中に沈めたとされる姫の伝承にも合致する』


 インカムから教授の声がする。その冷静な声に、遼太郎は弱冠だが気を確かにした。


「清瀬さん、周囲の住人への被害は?」

「大丈夫、この辺は人通りもそんなに多くないからね。公用車のスピーカーで外出しないようにも呼びかけたわ」


 遼太郎たちが相談していると、姫の妖異がぐるりと首を回してこちらの方を見た。鋭い視線に射すくめられ、遼太郎は背筋が震え上がった。


「見てます! こっち見てます!」

「言わなくても分かってるわ。とりあえず、射程圏に入らなければ大丈夫だと思うけど……」

「おい、動くぞ!」


 姫の化物はずりずりと移動を開始した。遼太郎たちは後ろに距離をとりながら追跡を開始する。どこへ向かっているのかは定かではなかったが、通行人にでも出会ったら厄介なことになる。


「誰にも会わなければ良いんですが……」

「そうは問屋が卸さないみたいね、前に誰かいるわ――そこの人、危険ですので退避を!」

「えっ。うわぁ、なんだこいつ!」


 たまたま前を通りがかった男が、大声を上げて逃げていく。姫の化物はその背中に向けて葉を投げつけようとする。


「大きな音にも反応するのかよ!」


 小山田が舌打ちする。


「ここはあたしが!」


 化物が投げた葉に向けて、清瀬がライフルでセラミック弾をばら撒く。そのうちの一発が葉に命中し、空中で弾けた。


「清瀬さん、すごい!」

「へっ、このくらい朝飯よ! 新人クン、小山田、突っ込んでカタをつけるわよ! 援護ヨロシク!」


 血気盛んな清瀬は、ライフルを構えるとセラミック弾を撃ち込みながら突撃していった。無謀にも程がある、特攻まがいの突撃である。


「あんの馬鹿! 遼太郎、援護だ!」

「は、はい!」


 小山田に促され、遼太郎はハンドガンで援護を試みた。だが、この距離ではほとんどが外れるばかりで効果は今ひとつだ。化物にある程度接近した清瀬だったが、その場で百八十度ターンして駆けて戻ってきた。


「死ぬかと思った! 死ぬかと思った‼」


 見れば、傷跡がまた増えていた。接近しているときに、葉を存分に打ち込まれたようだ。


「新人クン! 援護は⁉」

「いや、ぼくはこういうのまだ慣れていないので……」


 申し訳なさそうに遼太郎が云う。


「ああ、それを忘れていたわ!」


 と、清瀬はプリプリ怒った。遼太郎に、というよりは自分自身に腹が立っているようだ。


「おい、待て。あの姫さん、なんか云ってるぞ」


 その時、小山田がなにかに気がついたようだった。


『……らめしい、うらめしい』

「うらめしい、って云ってます?」

「まるで幽霊だな。ん、幽霊?」

「どうかしたんですか、小山田さん」

「幽霊がうらめしい、っていやぁ、なにか原因がある。あの姫さんが向かってる先は浮島稲荷神社だ。なんか、クセェと思わねぇか?」

「そういえば……」

「よし。俺ぁ、向こうから回り込んで、浮島稲荷を見てくる。遼太郎と清瀬は姫さんの足止めをしておいてくれ」


 そう云い残すと、小山田は裏路地に消えていった。


「小山田さん⁉」

「ちょっと、小山田ァ!」


 思わず大きな声を出してしまう、ふたり。その声に反応して、姫の化物はふたりを目標に定めたようだった。


「やばいわね」

「やばいですね」

「とりあえず……」

「逃げましょう!」


 話はまとまった。


 遼太郎と清瀬は回れ右をしてそのまま駆け出した。その後ろを、異形の怪物が高速で迫ってくる。ちょっとしたホラー映画のワンシーンだ。


「追ってくる! 追ってくるよ、新人クン!」

「ひぃ!」


 後ろから投げつけられる葉っぱの気配を感じながら、全力で逃げる遼太郎と清瀬。このあたりの道は入り組んでいるので、角を曲がり曲がりに走っていくが、振り切れない。


「清瀬さん! あの方、弱点とかないんですかね⁉」

「そんなこと、あたしが知るわけないでしょ!」

「人の姿から化物に変わった時の状況とか、覚えてないんですか⁉」

「そういえば……あの姿になった時、腕に一発撃ち込んだら効いてたような」

「それ、それですよ! 次の角曲がったら、待ち伏せしましょう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る