第8話

「さてと、来たもんだが。教授、マップを送ってくれ」


 遼太郎と小山田がやってきたのは市役所から徒歩圏内にある川越市でも有数の観光スポット、菓子屋横丁だった。菓子屋横丁は明治時代より菓子の製造を行う店が軒を連ね、今は駄菓子を中心とした素朴な菓子を販売する店が横丁を形成している。「日本一長い麩菓子」や芋菓子などが人気の商品となっていて、観光客を楽しませている。このあたりは細い路地が多く、迷子になる観光客もいる。

 インカム越しに小山田は地図を要求した。すれば、即座に小山田のモバイルギアに地図がネットを通じて転送されてくる。


「うわ、なんかすごいですね」


 その画面を覗き込んで、遼太郎は感嘆した。このあたりの地図なのは間違いないのだが、かなりグラフィカルに色分けがされ、細かな文字も多い。


「これはな、この辺りの妖気の偏差を色分けして表示してるんだ」

「へぇ、それはどうやって?」

「封印課には七不思議係の他にもいくつか部署があってな。そのなかの観測班っつう部署が、日々、妖気の偏差、妖異の出現を観測しているんだぜ」


 普段何気なく生活しているこの川越市にも、まだまだ知らないことが多いな、と遼太郎は瞠目する。小山田の手にしている小型モニタには、この近辺全体に薄く妖気が漂っていることが確認できる。そして、数軒先の路地に一際に濃い色がかかっている。


「小山田さん、この色の濃いところは、もしかして」

「おうよ。妖異が発生した場所ってぇことさ。よし、いくぞ!」



 遼太郎と小山田が勢い込んでその路地に踏み込むと、そこには猫の子一匹しかいなかった。


「猫の子ですね」

「ああ。どうやらやっこさんがそうらしい」


 妖気の最も濃い場所にいたのが、その子猫だった。にゃあにゃあと鳴きながら、顔を洗う姿はとても愛らしい。


「妖怪には見えませんけど?」

「いや、見ろ。始まったぞ!」


 遼太郎たちの前で、子猫の様子が変化していく。その身は一気に倍近くに膨れ上がり、口は裂け、爪は刃のごとく鋭くなっていく。わずか数秒のことだった。可愛らしかった子猫は、化け猫と言うにふさわしい姿になってしまった。


「うわ、結構エグい光景ですね……」

「まぁ、そうだな。遼太郎、銃は使えるか?」

「エアガンなら小学校の頃、遊んだことはありますけども」

「上等だ。これを渡しておくぜ」


 小山田は荷物の中から一丁の拳銃を取り出しくるりと手の中で回転させてから、遼太郎に手渡した。受け取ると、ずしりとした重さがあることがわかる。


「これは……」

「対妖異用特殊空気銃だ――略して、対妖銃。まぁ、大仰な名前が付いてるが、基本的にはふつうのエアガンと大差ない。安全装置を外して引き金を引けば、荷電された特殊セラミック弾が発射される。法律の範囲内で作られたもんだから、殺傷能力は低い。だがまぁ、人に向けて発射はするなよ。目に当たったりしたらあぶねぇからな」

「は、はい……」

「俺ぁ、今から捕獲器の組み立てをするから、猫ちゃんの相手は遼太郎、お前に任せたぜ!」


 小山田はそう云うと、荷を解いて捕獲器の組立作業にはいった。遼太郎は勝手がわからず、どうしたものかと立ちすくんでしまった。対象の化け猫は、くわぁと大きくあくびをしたかと思ったら、明後日の方向に歩きだした。どうやら、七不思議係の男たちには興味がないようだ。


「遼太郎、逃がすなよ! 足止めだ!」

「あっ、はい――ええい、ままよ!」


 遼太郎は覚悟を決めて、化け猫に向けて対妖銃の引き金を引いた。パスッ、パスッ、という案外に軽い音とともに、セラミック弾が撃ち込まれる。結果から先に言うと、遼太郎の放った弾はすべて外れた。改造エアガンとは云え、銃を素人がいきなり使いこなすのは難しい。だが、それによって化け猫の気を引くことにはなった。化け猫の視線が遼太郎に向けられた――瞬間に、飛びかかってきた。


「う、うわッ⁉」


 遼太郎は咄嗟に身を捻って、化け猫を回避した――つもりだったが、悲しいかな持って生まれた運動神経のなさが災いし、妙な具合で化け猫に伸し掛かられる事になってしまった。


「く、離れろ……!」


 化け猫はなかなかに好戦的な性格をしているようだった。「キシャア!」と鋭く声を上げると、噛みつきかかってくる。遼太郎は左手で化け猫の喉元あたりを抑え込んで、なんとか噛みつかれるのを阻止する。噛みつきを阻止しながら、反対の手にした対妖銃を化け猫の土手っ腹に至近距離で撃ち込んでいく。いくら初心者の遼太郎の射撃と云えども、この距離では外すほうが難しい。それは有効であったらしく、化け猫はひと声上げて、遼太郎の上から飛び退いた。


「くっ、なかなか大変な仕事だよ、これ!」


 遼太郎は起き上がると、化け猫に向かい合った。相手はまだまだ元気な様子だ。


「小山田さぁん! まだですかぁ⁉」

「おう、捕獲器を展開したぜ! 猫ちゃんをこっちに追い込んでくれ!」

「追い込めっていったって、どうすれば⁉」

「そこはそれ、ドーンといってバーンとだなぁ」


 小山田がまるっきり頼りにならないので、遼太郎は自分でなんとかすることにした。対妖銃を化け猫に向けて構え、引き金を引く。アスファルトの路面にセラミック弾が撃ち込まれると、化け猫は弾けるように遼太郎に向けて飛びかかってきた。

 しかし、遼太郎は冷静だった。それをある程度予測していたので、その胴体めがけて足を振り上げた。慢性的に運動不足気味の遼太郎だったが、予測できている軌道に合わせて蹴りを放つぐらいのことはできる。サッカーボールキックの要領で化け猫を蹴り上げる。蹴り飛ばされた化け猫はごろりと転がって、捕獲器の上に――。


「小山田さん!」

「おう! でかしたぜ、遼太郎! はいこれまでよっと!」


 小山田は間髪をいれずに捕獲器のスイッチを押す。電撃がまたたく間に捕獲器を走ったかと思うと、化け猫の姿は一瞬のうちにかき消え、子猫がたたたっと走り去っていく。


「よし。封印完了だ」


 小山田は化け猫のデータが封じられたUSBメモリを捕獲器から引き抜くと、「使用済み」のシールを貼って、ポケットに仕舞った。


「教授、終わった。カテゴリー三、化け猫タイプの妖異を封印。これから、帰投するぜ」


 七不思議係のオフィスにインカム越しで通話を入れた小山田は、遼太郎に向き直ると、お決まりのサムズ・アップをしてみせた。


「見事なもんだ。遼太郎になら、仕事は任せられるな!」

「なんとかやれました! めちゃくちゃ疲れましたけど……!」


 人生でも初めての『戦闘』を終えた遼太郎は、脳内物質に寄る興奮状態の中にあった。荒く息をつく遼太郎の背中を小山田が軽く叩く。


「どうどう、落ち着け。とりあえずは……戻るとするか」

「はい!」

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