第5話

「まず、大前提として。この世には妖異と呼ばれるモノが存在している」


 遼太郎はそれを聴くと、手を挙げた。


「妖異というと、広義でいうところの妖怪も含まれると思うのですが。妖怪というと、古来から様々な種類のものが記録されていますが、それが全て存在するということですか?」


 まずは挨拶代わりに、という質問だ。妖怪の話となれば、目の色が変わるのが遼太郎だ。教授はその質問を受けると、軽く頷いた。


「妖怪の中には想像の産物であるとされるもの、自然現象が転化したとされるものなど、いくつかのカテゴリーに分類される。それらすべてが存在するというわけではないのだが、伝承されている妖怪のそれなりの数が、現在までに確認されている。まぁ、我々の業界では、妖怪と呼べないような存在、事象に当たることも多々あるので、妖異という呼称を用いているがね」


 教授は云い切った。妖怪の存在を肯定された遼太郎は、複雑な表情になった。妖怪博士などと周りから持ち上げられていたが、自分は妖怪のことをその実、なにも知らなかったのではないか、と思ってしまったのだ。


「それじゃあ、さっきの河童は本当に河童で、妖怪――妖異なわけなのですね?」

「そうだ。だが、妖異は超常的な力で生まれた存在というわけではない。自然界の法則にしたがって普通に発生するものなのだ」


 教授はそこで一旦区切るとテーブルの上のサーモマグをとり、喉を潤す。そして、続ける。


「妖異は自然界に普通に存在している。それは、野山の動物と変わらない。では、なぜ妖異が動物の種別ではなく、妖異と呼ばれているのか。それは『妖気』という力を持ち合わせているからにほかならない」

「妖気……」


 遼太郎は思わず息を呑んだ。


「先程、妖異は超常的な存在ではないと話した。存在自体は自然的なものなれど、妖気はときに超常的な作用を生み出すことがある。これが、妖異を妖異たらしめている」

「ということは、自然界の動物や人間が妖気を得たとしたのならば、妖異に転じる……ということですか?」


 遼太郎が放ったその質問は、なかなかに的を射ていたようだった。教授がぴくり、と片眉を動かした。


「きみはなかなか察しが良いな――そのとおり。動植物が妖気にあてられるなどして、その身に妖気を得た場合、妖異に転じるのだ。妖異という概念がどのようなものなのかは、理解できたかね?」


 教授は遼太郎に確認をとった。遼太郎にとっては衝撃的な話だったが、頭の中を整理してから、頷いた。頷いてから、浮かんだ疑問を口に出す。


「妖怪が現実に存在する、というのはわかりました。それじゃ、なんで市役所のひとが妖怪――妖異と戦ったりしてるんですか⁉」


 その問いに、教授と清瀬は苦笑じみたものを顔に浮かべた。


「我々、七不思議係は川越市の環境部封印課に属している。封印課、というのは、まさしく妖異を封印するという業務を行っているからだが、そんな封印課がなぜ環境部に置かれているのか――それが、きみの質問への回答となる」


 いつの間にか、遼太郎はかなり前のめりになっていた。大学で教鞭を執っていたというだけあって、教授の話術は巧みだった。


「妖異は妖気を持つ、とは先述のとおりだが、その妖気そのものは生命には直接の害はない。だが、環境には悪影響を及ぼすのだ。妖異が妖気を発していると、土地は痩せ、水は濁り、風は淀む。生命が暮らしにくい環境になっていくわけだ。環境部は川越市の環境を整えるための部署だ。そこまで話せば、もう分かるだろう?」

「川越市の環境保全のために、妖異を、ええと、封印? しているということですか」


 教授は薄く笑みを浮かべた。


「そのとおり。封印課などと云っても、やっていることはゴミ拾いとさして変わらんのだ――ただ、封印の手順は少々特殊だがね」


 それを聞いて、遼太郎はぽんと手を打った。


「特殊な方法。それが、あのおもちゃの銃とかなんですね」

「それは、あたしが説明するわ」


 教授に代わって清瀬が手を挙げた。


「銃は市販の電動ガンに手を加えたものね。特注のセラミック弾を荷電して射出、妖気で体を構成している妖異にダメージを与えるのよ。そして、捕獲器に追い込んで、プログラムを起動してやれば、妖気はUSBメモリに保存されるっていう寸法よ」

「え、妖気をUSBメモリに保存⁉」

「妖気というのは電子データに極めて近い性質を持っているのよ。だから、荷電セラミック弾でダメージを与えられるわけ。ある程度弱らせたら、プログラムでそのまま情報をカット&ペーストしてUSBメモリなりHDDなりSSDなりに保存する……ま、『封印』なんてたいそうな呼ばれ方をしてるけど、あれよ、ネットでエロ動画を探して自分のPCに保存する、みたいなもんよ」


 そう云って、清瀬はカラカラと愉快そうに笑った。


「な、なるほど、大体わかってきました。では、もうひとつ質問。封印課というのはなんとなく分かったんですけど、七不思議係の七不思議ってのはどういうところから来ているんです?」


 教授は一旦言葉を切った。そして、話し出す。


「この川越には七不思議と呼ばれるものが存在する」

「ええと、おばけ杉とか山内禁鈴とかでしたっけ?」


「ほう、よく知っているな。だが、それらは喜多院七不思議と言われるものだ。喜多院七不思議は管轄が喜多院になるので、我々の仕事には直接関わってくることは少ない」


 遼太郎が昔、小学校の頃に小学校の遠足――川越の古刹、喜多院で聞いた話を思い出すと、教授はそれを引き継いでから補足した。


「我々が取り扱っているもの、それは川越城七不思議といわれているものだ」


 教授はオフィスに据え付けられたホワイトボードに「川越城七不思議」と書いて、まるで囲った。


「川越城七不思議は、初雁の杉、霧吹きの井戸、人身御供、游女川の小石供養、天神洗足の井水、片葉の葦、城内蹄の音という七つのファクターで構成される。その伝承が伝わる七箇所は、妖気が特別に溜まりやすい場所なのだ。川越城が現存していたことは、その妖気を転換して城の防備に利用していた……という説もあるようなのだが、諸説紛々くわしいことは判別していない」

「でも、川越城は本丸御殿しかもう現存していないですよね?」


 遼太郎の指摘に、教授は頷いた。


「ほとんど遺構すら残っていない有様だな。だが、場の特性は残っているのだよ。その場所は特に妖異が発生しやすい。七不思議係はそこで発生する妖異を優先的に封印することを目的にして設立された組織なのだよ」

「でも」


 遼太郎はひとつ気になったことがあって、口を開いた。


「川越での妖異――ぼくの調べた話では妖怪の出現の噂ですが、それは今年の春先から急に増えてますよね? 七不思議の場所に妖怪が発生するなら、今まででももっとたくさん目撃情報とかがあってもいいと思うんですけど」

「そのとおり。ここ十数年は七不思議での妖怪の出現数が激減していたのだ。まるでゼロというわけではないがね。七不思議は活性と停滞が交互に訪れることが、長年の観測によって明らかになっている。去年までしばらく長い間は、七不思議の状況は停滞期にあったのだ。これまで蓄積された経験則から、七不思議にはそのファクターに関連した強力な妖異が現れる可能性が高いことがわかっている。それに対抗するための七不思議係……ともいえるわけだな」

「なるほど。理解できました」


 遼太郎はひとつ、大きく頷いた。その様子をみて、教授と清瀬は目配せしあった。


「ええと、遼太郎くん。きみは今、バイトとかしている?」

「コンビニでちょこちょこは働いていますけど」

「その片手間で構わないから、あたしたちに力を貸してくれないかな?」


 清瀬の申し出に、遼太郎は目を丸くした。


「え?」

「いやね、今回の七不思議の活性化は過去に例を見ない規模が予測されるのよ。教授も人員の補強を上申してくれてるんだけど、色よい返事をもらえてなくてね。だったらもう、安く雇えるバイト――そう、高校生なんかを枠外で雇っちゃおうか、なんて話になっててね」

「きみは河童を相手に金属を武器に頭の皿を狙った――それなりにあやかしというものを知っていると推測する」

「いやぁ、そんな……ていうか、見てたんですか?」


 遼太郎は照れ半分、恨み半分な表情を浮かべて、こめかみを掻いた。妖怪好きとしては、その道の先達である七不思議係の教授たちに褒められたのは嬉しい。しかし、河童に襲われたところを見ていたのならば、助けてくれても良かったのではないか、と。


「助けが遅れたのはすまなかった。一般人ならば妖怪に遭遇したら一目散に逃げ出すものだからな。愛嬌のある河童とは云え、それに遭遇しても逃げることなく、仔細に検分したうえで適切な対応する――そんな高校生を探していたところだったのだ」

「遼太郎くんはその条件にドンピシャリってわけよ」


 ふたりの説明を受けて、遼太郎は逡巡した。そして、返答をまとめた。


「承知しました。その話、お受けします」


 遼太郎の言葉に、教授と清瀬は軽くハイタッチを交わした。


「ですが」


 遼太郎が続けると、なにか? という感じで視線が向いた。


「この七不思議係にいる間だけでいいですから、僕にこの業界のことをもっと教えてください。それが条件です」

「そのくらいならお安い御用ね」

「ああ――教えるのは清瀬くんではなく、私の役割になりそうだがな」


 七不思議係の女性ふたりはそんなふうに云って、笑った。


 遼太郎がスマホの時計で時間を確認すると、三十分ちょうどが過ぎていた。


「うーん、ここは?」


 それと時を同じくして、木の上から落ちてきた少女が目を覚ました。

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