第2話

「河童だって⁉ 馬鹿なッ……」


 それはまさしく、伝承上にだけ存在する妖怪、河童であった。遼太郎は轟天号からおりて、ケータイのライトでそれを照らした。その河童は「ケェー、ケェー」というような奇怪な鳴き声をあげて、その場にとどまっている。ライトの光を浴びても、逃げる様子は見られない。そのため、遼太郎はじっくりと観察することが出来た。


「体の色は赤褐色――ということは、遠野系の河童なのか? 川越にも河童の伝承は伝わっているけど、まさか本物が……いや、まてよ。河童に近い姿をしているけど、未知の動物という線もあるな。たしか、川越でもオットセイが捕獲された事件があったし……」


 遼太郎は知識を総動員して眼の前の未確認生物を検分しようと試みた――だが。


「うわぁっ!」


 遼太郎は危険を察知して慌てて飛び退いた。穏健そうな河童の眼光が急に鋭くなったような気がしたからだ。そして、その行動は正しかった。先程まで遼太郎がいた場所に向けて、河童が鋭い爪を振るったのだ。


「こいつ、人を襲うのか――⁉」


 急いでその場から立ち去れば、安全だったであろう。だが、遼太郎の好奇心と妖怪愛が、この場に留まることを選択させた。


「捕獲……いや、写真だけでも撮って……」


 遼太郎は安全な距離を保ちながら、ケータイを構えた。写真撮影を試みるためだ。だが、表通りとは違って露光の少ない裏通り。カメラの感度を上げに上げても、なかなか鮮明な画像を撮影することが出来ない。


 悪戦苦闘しているところで、河童が再び飛びかかってきた。先程よりも勢いがあって、運動音痴気味の遼太郎にそれが躱せるはずもなく。


「いってぇ!」


 二の腕あたりを切り裂かれた、遼太郎。傷は浅い。

 そこで遼太郎は考えを変えた。いかに未知の動物であるとはいえ、人を襲うような獰猛な怪物である。遠慮する必要はない――と。


「見れば、頭の皿の周りに毛は生えていない。というのならば、これは水虎じゃないってことだ。水虎だったら勝ちの目は薄いけど、野良河童程度だったら!」


 水虎というのは河童の中でも特に戦闘能力の高い、上位種と言える存在の妖怪である。古来中国から、水虎は相手にしてはならないと言い伝えられているぐらいに獰猛な妖怪なのだ。それに対し、一般の河童は人間と相撲をとって負ける個体がいるほどに戦闘能力は低いとされている。対峙している河童は、その後者である……と遼太郎は見立てた。


「尻は向けないほうが得策……ってことは、逃げ出せないしな」


 一般的に河童は人間の尻子玉を抜くと云われている。その尻子玉がどういうものなのかは侃々諤々、今日まで議論がされているが、明確な答えは出ていない。しかし、河童相手には尻を見せないほうが良さそうだとは推測できた。


「よし、来るなら来い!」


 遼太郎は自転車のサドルに装着していたスパナを外すと、構えた。これは、河童が金属を嫌うとされる伝承から思いついた、現状で最適と思われる武器だ。


 遼太郎に相対する河童は、相撲の仕切りのような体勢をとっている。どうやら、遼太郎と相撲を一番、打とうとしているようだ。ともすれば、先程の攻撃はただじゃれただけなのかもしれない。だが、実害が出ている以上は、遼太郎にはここでこの河童を放置する気はなかった。


 仕切りの体勢から、組み付いてくる――遼太郎の考えでは、河童はそのような動きをするのだと思われた。そして、案の定というべきか。河童は遼太郎と四つに組み合うべく、タックル気味に突っかかってきた。


「そこだなぁっ……と!」


 遼太郎は身長差を利用して、胸元に組み付いてきた河童の頭の皿めがけてスパナを叩きつけた。そう、河童には明確にして最大の弱点がある。それが頭の皿だ。頭の皿は河童の力の源であり、乾いてしまったり割られたりすれば、再起不能のダメージになる……それが、伝承から導き出された、唯一無二の河童撃退法だ。


 スパナの一撃を叩き込まれた河童は、「グェッ」とくぐもった声を上げた。非力な遼太郎の攻撃では皿を叩き割るまではできなかったのだが、明らかに河童は多大なダメージを受けていた。そして、よたよたと遼太郎から逃げるように移動を開始する。


「あ、まてっ!」


 河童は眼の前の浮舟稲荷神社に逃げ込んでいく。


「誰かが襲われたりしたら、やっぱ僕の責任だしなぁ……とっ捕まえないと」


 夜半の浮舟稲荷神社には猫の子一匹居なかった。さして広くはない境内だが、河童の姿も見当たらない。ケータイのライトで明かりをとりながら、遼太郎は慎重に河童の姿を捜索する。


「居た……うわっ⁉」


 遼太郎が照らす明かりの先で、河童の姿を捉えた。距離がだいぶあると思ったが、遼太郎はある伝承を忘れていたことを思い出した。河童の腕は伸び縮みする――というものだ。そして、それを思い出した時は時すでに遅し。河童の腕が伸びて、遼太郎の首を締めていた。尻子玉を抜いて人を腑抜けにするというイメージが強い河童だが、時として人の命を奪うこともある妖怪なのだということに、遼太郎は一瞬のすきを見せてしまったことを悔やんだ。


「くっ、離せよ……ぐぐ……ぅ」


 河童の指がぐいぐいと遼太郎の首に食い込んでくる。遼太郎は息はできないし頭に血液が行かないしで、本格的に窮地に立たされていた。

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