川越市役所環境部封印課七不思議係

秋葉シュンイチ

第1話

 埼玉県川越市。

 池袋から私鉄で四十分、人口三十三万人の都市。

 江戸時代から舟運で栄え、小江戸とも呼ばれる――。



 牧田遼太郎は妖怪博士である。


 博士と云っても実際に博士号を持っているわけではない。が、少なくとも彼を知る者の間では、妖怪博士で充分に通用する。趣味が講じて 『九州地方に於けるぬりかべの名称について』という小論文まで書いた。


「ありがとうございました、またお越しくださいませ!」


 遼太郎は高校の課外ではコンビニバイトをしていた。というのも、妖怪好きというのが過ぎから――としか云いようがない。妖怪関係の書物を購入したり、縁の地に足を運んだりするのに、お金はいくらあっても困らない。もっと割の良いバイトも世の中にはあるが、遼太郎はコンビニバイトが分相応だと思っていた。


「牧田くん。この次の時間入ってくれないか?」

「嫌です」

「嫌ですって……きみは時間の融通は効くだろう?」

「今日はこれから調べたいことがあるので――失礼します」


 遼太郎は勤務態度こそ真面目だが、自分の都合は絶対に曲げない。それが特に妖怪絡みならば、なおさらのことだ。


「今日こそはあの噂のしっぽを掴んでやるぞ!」


 なにか胸に強い意気込みをこめて、遼太郎は愛車『轟天号』にまたがった。轟天号などという大層な名前をつけているから大型バイクであろうと大抵は思われるのだが、その実、彼の愛車は自転車であった。それも、イタリア製スポーツバイクなどでもなく、ただのママチャリだ。近所の大型量販店で一九八〇〇円で購入した青いママチャリ――それが、遼太郎の轟天号だった。


 遼太郎が意気込んでいること、それは「ある噂」の真相を掴むことだった。その噂とは「川越の各所に妖怪が出現する」という極めて曖昧なもの。


 今年の春先がその噂が囁かれ始めた時期――というのは、遼太郎がネットの海からサルベージしてきた情報だ。


「目撃情報が上がってるのは、三芳野神社に本丸御殿、喜多院、浮舟稲荷神社、川越中央高校付近……正直、脈絡がないんだよなぁ」


 遼太郎は脇田本町の自宅を出ると、市街に向けて轟天号を走らせた。浮舟稲荷神社から喜多院に抜けるルートを自転車で流しつつ、なにか特異なものがないかを確かめてみよう、という考えだった。


「最近は浮舟稲荷の付近で特に目撃情報が多いんだよなぁ。なにがあるんだか……」


 遼太郎は妖怪の存在を頭から信じているわけではない。妖怪は伝承の中にだけ存在するものであり、その伝承を調べることが遼太郎のライフワークであった。今回の噂に関しても、妖怪の存在を実証しよう――というわけではなく、噂になる程度に目撃される『妖怪』の正体がなんなのかを考察するというのが目的だった。幽霊の正体見たり枯れ尾花――その枯れ尾花が何かが分かれば、遼太郎は満足なのだ。


「そもそもひとくちに妖怪って云っても数千種類もいるわけだし、なんかよくわからないものを目撃したから『妖怪』って云われてるだけなんだろうなぁ」


 時計の針は二十時を少々回っていた。浮舟稲荷神社に向かう道路は車の往来もそれなりにあり、街灯が煌々と闇夜を照らしている。


 遼太郎が轟天号のペダルを踏み込み、細い路地に差し掛かったときだった。


「な、なんだぁ⁉」


 眼の前を幼稚園児ほどの大きさの影が横切った。だが、その影は明らかに人ではなかった。


 その影には甲羅があり、アヒルのような嘴があった。遼太郎にはそれがなんであるか、一瞬にして理解できた。


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