第17話 カチャカチャカチャカチャカチャ

「断る!」

「え……」


 彼女に絵を教えることを拒否した。

 なぜかって?

 そんなの簡単なことだ。

 彼女に絵を教えるってことは、それだけ僕の執筆時間が奪われるってことでもある。こう見えても僕は人気漫画家だ。

 最近はそうでなくても【廻れ狂想曲】の連載が遅れてきている。単行本の第二巻の作業だってまだ手つかずの状態だ。


 アシスタントもいないし、もうすでにオーバーワーク気味。そのうえ彼女のめんどうまで見ていたら、はっきり言って過労で力尽きてしまう。


 何よりも、彼女は超人気のコスプレイヤー。こんな風に二人で会っているだけでも、僕にとっても彼女にとってもリスクが伴ってしまう。週刊誌がコスプレイヤーテンテンを狙わないと言っても、街中にはスマホを持ったパパラッチがうじゃうじゃいる。


 彼らに撮られたら、容赦なくSNSにアップされて、僕は顔も名前も知らない人々からバッシングを受けることになるだろう。

 そんなの絶対に嫌だ!

 僕はただ平穏に暮らしたい。

 だからここは、断固として拒否の立場を貫くつもりだ。


「そっか」

「……ごめん」


 意外にもしおらしく俯いてしまった。

 てっきりいつものように脅迫されるのではないかと身構えていたのだが、どうやらその心配は無用のようだ。


 ――カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ。


 と思ったけど、それは撤回。

 彼女はテーブルの下で、ものすごい速さでスマホをタップしていた。


「あ、あの……一応聞くけど、それは何をしていらっしゃるんですか?」

「気にしないで、ただのツイートだから」

「ちなみに、その……どのような内容なんです?」

「面白くもなんともない内容だよ? 見る?」

「……せっかくだから、投稿する前に見せてもらおうかな」


 彼女はパッとスマホを僕の前に差し出した。

 その顔はにこにこと微笑んでいた。


『放課後一個下の男の子(漫画家の黄昏先生)に絵を教えてほしいとお願いしたら、断られちゃった。当然だよね。相手は超多忙な漫画家の先生だもん。わたしって本当に非常識だよね。

 それはさておき、黄昏先生ってすごく可愛いんだよ。わたしと腕を組んだだけで顔が赤くなっちゃうの、可愛くない? あとね、わたしのいちごパフェ一口あげちゃった。あはっ♡ これって間接キスってやつ? それにしても、先生のあ〜ん♡ すごく可愛かったな。あっ、先生とのラブラブツーショット写真みたい人は【いいね】【リツイート】よろです! 1万【いいね】いったら公開しちゃおっかな〜』


 ――バン!  と僕はテーブルに手を打ち、涙をこらえるために必死の努力をして、身を前に突き出していた。


「是非ともわたくしめに絵の方をお教えさせてはいただけないでしょうかっ!」

「え、本当にいいの? でも、みくねっちさっき断るって――」

「言ってません! コートワルという画家の手法がテンテンさんには合っているんじゃないかと、そう言ったんです! 神に誓って断るなんてことは言ってませんから!」

「あっ、そうなんだ。ならこの下書きは削除だね」

「……お願いします(泣)」


 僕は――ゴンッ! とテーブルに額を打ちつけていた。


「それはそうと、みくねっちの学校にもわたしと同じコスプレイヤーの子がいるんだね。ちょっとびっくりしちゃった」

「ひょっとして、瑠璃華――ルリルリのこと?」


 どうして彼女が瑠璃華のことを知っているのだろうかと、僕が疑問符を浮かべていると、


「さっき校門でみくねっちを待っているとき、校舎から出てくるところが見えて。どこかで見たことある子だなーって考えてたんだけど、SNSを開いたときに思い出したの。そういえばたまに【いいね】してくれる同業者の子がいたなって」


 ああ、なるほど。そういうことか。


「彼女はテンテンみたいに事務所に所属してるわけじゃないよ。個人で活動してるだけだから。つっても、たまにそこそこ大きなイベントに呼ばれることもあるみたいだけど」

「へぇー、詳しいんだ」

「そんなんじゃないよ。クラスが同じだから、たまに話してる内容が聞こえてくるだけ」


 そっかそっかと頷きながら、彼女はグラスの中の氷をストローでかき回していた。


「そういえば、一緒に女の子が二人ほどいたみたいだけど……彼女たちも単なるクラスメイトなのかな?」


 はて、一体誰のことを言っているのだろう。

 瑠璃華はクラスでも特に中心的な存在で、友達はかなり多い。いつもは派手な女子たちと一緒にいることが多いが、彼女たちのことだろうか。


「ギャルっぽい子だった?」

「ううん。一人はおさげ髪ですごく大人しそうな女の子だったかな。でもすっごく肌が綺麗で、かわいらしい感じの子だったよ。もう一人は赤毛のセミロングで、少し気が強そうな感じの女の子。でもこっちの子もすっごく綺麗な子だったな」

「あー、影野さんと手塚さんのことかな?」

「へぇー……影野さんと手塚さんっていうんだ。そっかそっか。みくねっちは仲良かったりするの?」

「実は手塚さんも【コミックナイト】でブラックパレードって作品を連載していて、たまに作品のことで相談に乗ってるんだ。もちろん、僕が黄昏だってことは知らないけどね」

「ブラックパレード……ああ、あの失速したやつか……」

「ん……何か言った?」

「ううん、気にしないで。それで、おさげ髪の子は?」

「影野さんとは何かとわけあって、毎朝図書室で色々な話をする仲なんだ」


 ――パリーンッ!!


「!?」


 突如、彼女の手の中のグラスが割れてしまった。


「嫌だな、このグラスひびが入ってたのかな?」

「………え、あ、その……だ、大丈夫?」

「うん、ちょっとお手洗い言ってくるね」


 微笑みながら席を立った彼女がお手洗いへと歩いていった。

 彼女がいなくなった席には、壊れたグラスが散乱していた。


「どうやったら割れるんだよ、こんなの……」


 彼女はひびが入っていたと言ったが、本当だろうか。僕には彼女がグラスを握りつぶしたように見えたのだが……。


「うっ……」


 試しに自分のグラスを握りつぶそうと力を込めてみるけど、何も起こらない。


「気のせい……かな」


 このグラスを握りつぶすには、少なくとも握力80kgは必要だと思う。

 彼女の細腕では無理に決まってる。


「あっ、すいません!」


 彼女がお手洗いに行っている間に、僕は店員に事情を説明し、割れたグラスの片付けを頼んだ。

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