第16話 あーん♡ それはさすがにちょっと……。

「はぁ……はぁ……」


 突然、僕の通う高校の校門前に超人気コスプレイヤーのテンテンが現れた途端、その場は一瞬で大混乱になった。


「なんてことをしてくれたんですか!」


 神室という自称大ファンのせいで、学校での僕の立場が急激に悪化していた。大勢の男子生徒の前で、テンテンが僕に好意を持っているかのような発言をしてしまったのだ。


 その結果、その場にいた男子生徒たちが一斉に、凄まじい敵意と殺気を向けてきた。もしもあのままいたら、校門前は暴徒化していた可能性が高かっただろう。


 最悪、殺人事件に発展していた可能性だってある。その場合の被害者はもちろん僕だ。これは冗談などではない。神室の目は常軌を逸していたのだ。どうにかして彼女の手を引いてその場から逃げ出さないといけない状況だった。


 正直、一人で逃げ出したかったが、彼女が黄昏の正体を知っている以上、その場で彼女を一人にするわけにはいかなかった。


「約束が違うじゃないですかッ!」


 だからこそ、僕は怒りを感じた。

 僕は平和な学校生活を送りたかっただけなのだ。

 それなのに、彼女は突如現れて、まるで怪獣のようにすべてを台無しにしてしまった。


「写真送ったら来ないって言ったじゃないか! 嘘つき!」


 このままだと、明日からの学校生活が地獄と化してしまう。

 絶望にくれる僕は、ただその場にうずくまってしまいたい気持ちでいっぱいだった。


「そんなこと、わたし言ってないけど?」

「言ったよ! ちゃんとLINEの履歴だって残ってるんだ!」

「ちょっと落ち着いてよ、みくねっち。わたしが言ったのは、みくねっちが【廻れ狂想曲】の作者、黄昏先生だってことを公言しないってことだったんじゃない?」

「え……そうだっけ?」

「そだよ。わたし、みくねっちが黄昏先生だってことは誰にも言ってませーん」


 女神のような微笑みを浮かべる彼女に、僕はそれ以上何も言えなくなってしまう。


 くそっ、なんでこんなに可愛いんだよ。

 卑怯だ!

 反則だ!


「あっ、ちょっと――」

「えへへ、また腕組んじゃったねー♡」

「!」


 またぷにぷにと僕の腕に柔らかい感触が伝わってきて、そのたびに顔が熱くなる。


「せっかくだからデートしよっか♡」

「しませんよ! というか、事務所とか大丈夫なんですか! あなた一応芸能人なんですよね? 週刊誌とかに撮られたらどうするんですか!」


 至極真っ当なことを言ったつもりだったのだが、彼女は楽しそうに笑って「ないない」と手を振った。


「コスプレイヤーのスキャンダル狙うほど、週刊誌の人も暇じゃないから」


 そう言われると、確かにその通りかもしれないと思ってしまう。


 漫画やアニメなどのサブカルチャーが軽視されるような感じがして、正直なところ複雑な気持ちだったけれど、確かにコスプレイヤーと漫画、アニメーションを一概に結びつけるのは適切ではない。それと同時にコスプレイヤーとサブカルチャーの関わり合いも、否定できないのだけど……。


 漫画やアニメーションがコスプレイヤーと密接に結びついていることも、確かなのだ。直接的な影響があるわけではないかもしれないが、彼らコスプレイヤーがいるからこそ、イベントやコミケなどがより一層魅力的で楽しいものになるのも事実だ。


「だ、だからってこれは、その……誰かに見られたら誤解されちゃいますから!」

「いっそされちゃった方が、変な虫が付かなくてわたし的にはいいんだけど……」

「へ……? なんか言いました?」

「何も言ってませーん」


 パシャリ!


「――あっ、ちょっとダメですって!」


 彼女はまた性懲りもなく写真を撮ってくる。しかも今度のはムギュッと腕を組んだツーショット写真だ。

 こんなものがもしSNSで公開されてしまったら……考えるだけで恐ろしい。


「とりあえず近くのファミレスでお茶しよっか」

「行きませんよ! 僕帰りますからっ!」




 ◆◆◆



 結局押しきられる形でファミレスに来てしまった。

 彼女は僕の向かいで幸せそうにいちごパフェを食べている。


「はい、あ〜ん♡」

「え、いや、それはさすがにちょっと……」

「あ〜ん♡」

「……あ、あーん」


 周囲の視線を気にしつつも、僕は抵抗できずにあーんをすることになった。


「おいし?」

「う、うん。美味しい」


 昨日に引き続き、僕は今日も彼女にからかわれている。

 彼女はにっこりと満足げな笑顔でパフェを味わっていた。


 ――ってちょっと待て!


 これって、噂の間接キスってやつじゃないのか?

 僕があの超人気コスプレイヤーのテンテンと間接キスした!? こんなことが彼女のファンに知られたら……絶対にやばい。


 彼女は僕を殺す気なのか…?


「それで、何の連絡もなしに突然何しに来たんですか?」


 僕はドリンクバーで淹れてきた珈琲を飲みながら尋ねた。

 まさか、彼女はただからかいに来たわけじゃないだろうな。でも、彼女ならそれも十分あり得る。

 喫茶店でにたーっと微笑む彼女の姿が、頭の中に浮かび上がった。


『同じの穿いて着ちゃった♡』


 その一言を思い出すだけで、全身が熱くなり、頭がぼうっとする。

 憧れの女性、テンテンがそんなエッチなイタズラを仕掛けてくるなんて、夢にも思わなかった。

 もしやこれは、カメラが隠されているドッキリじゃないかと、一瞬思ってしまうほどだ。


「あ、そうだ!」


 彼女は何かを思い出したように、隣に置いてあったスクールバッグをモソモソと探り始めた。その中から一冊のノートを取り出し、僕の前に置いた。

 真っ黒なノートには【My Design】と書かれており、まるでデスノートのようだ。


「……なんですか、それ?」

「わたしの秘密のノート。特別にみくねっちだけには見せてあげる」


 どうやら中を見てもいいようだ。


「では、ちょっと拝借を……」


 これは……。


 ノートの中には様々なデザイン画が描かれていた。デザインの内容から察するに、おそらくはコスプレ衣装だろう。

 ハロウィンをイメージした衣装や、カフェの店員をテーマにしたデザイン画などがずらりと並んでいた。


「どうかな?」


 彼女はもじもじとした仕草で、恥ずかしそうに上目遣いで尋ねてきた。その仕草がとても可愛くて、つい脳が一瞬ショートしそうになった。


「オリジナル衣装だよね? すごく素敵だと思うよ」


 彼女のアイデアや着たい衣装を視覚的に表現することは、本当に素晴らしいことだと思う。衣装を作る職人にとっても、その視覚的なガイドがあると大きな助けになるだろう。


 ただし、それが伝わるかどうかは別の話なのだが……。


 なぜなら、彼女は絵が非常に苦手だった。

 ノートに描かれているデザイン画は、正直言って幼稚園児が描いたようなクオリティ。これだとせっかくの素晴らしいアイデアも、職人に伝わらないだろう。


「やっぱり」


 彼女ががっくりと落ち込む様子を見ると、この画伯にも自分の絵の実力について一応自覚があるようだ。


「でも、自分で衣装のデザインをするってすごいことだと思うよ」

「ホント?」

「中には自分で衣装を作っちゃう人もいるんだよね?」


 瑠璃華の奴も、よく生地屋に行ってはコスプレ用の生地を買っていた。僕はいつも生地選びに付き合わされたものだ。


「駆け出しの頃はそうかな。事務所に入ってからは、大きなイベントやテレビ番組などに出る際の衣装は見た目が重要だから、プロにお願いするようになったんだけどね。その分、ソーイングスタッフに自分のアイデアを伝えるのも大変になっちゃったんだけど」


 コスプレイヤーも色々と大変なんだな。

 一見華やかな世界のように見えるけど、その裏には絶え間ない努力があるんだろう。どの分野でも同じことが言えるかもしれないけど、コスプレイヤーという職業は特に、多くのスキルが必要なんだと思う。


 写真に撮られるためのポージング、キャラクターになりきるためのメイク技術、衣装を着こなすための体型維持。それに加えてデザイン力、ソーイング技術、コミュニケーション能力など、コスプレイヤーに求められるスキルは数え切れないほど多岐にわたっている。最近ではLIVE配信の知識も必要になってきていると聞く。

 コスプレイヤーは本当に多くのことをこなさなければならない職業なんだ。


 そのため、トップに立つのはほんのわずかなコスプレイヤーだけ。日本一のコスプレイヤーとされる女性は、あるテレビ番組で年収が1億円だと公表したことがある。今やコスプレイヤーは立派な職業として認知されつつあった。


「で、そこでみくねっちにお願いがあるんだけど」


 僕は目を細めて、じとーっと彼女を見つめた。

 この絵を見せられたあとのお願いだ、正直なところあまりいい予感はしていない。


「わたしに絵を教えてほしいの!」


 ほら、見ろ。

 一番星のようにキラキラと瞳を輝かせた彼女が、まためんどくさいことを言い出した。

 僕は当然。


「断る!」

「え……」

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